「スクリーモ」 | ルーク・フォン・ジェイド
mixi日記だと漢字が多い記事をあげると難しいとか色々言われてしまいますが、アメブロについてはそこらへんはフリーダムにして書きたいと思います。

優しい表現にするのもなんだか手間がかかるので、内容によっては堅苦しく感じることについてはご容赦いただければと。

5月のliveに向けて、スクリーモ曲の作成に入ります。

バラードのイメージが定着していましたが、最近は随分と払拭出来た感じがします。
地下活動時のメインがバラードだったからそんな感じなのだと思います。

そもそもフルバンドではない限りはイケイケあげあげには中々なれないもので、コピーもオリジナルも色々やりましたが、コピー曲をカバー曲に歌い上げる力が恐らく、プロとアマの差なのだと思います。

そういう意味では誰かの物真似に終始する危険性が高くて、最近はコピー曲は避けています。
他人の曲から学ぶことの方が実際は大きいのですが、自己満足に終始してしまいますね。

大道の曲は別かもしれませんが、例えば僕の場合は声がGLAYのTERUさんとかGacktさんぽいとはよく言われますね。

すっぴんだと見た目はTERUさんぽいって言われますし、先輩バンドのバンギャさんからはあだ名で「テル」って言われます 笑

自分で言うことではないのかもしれませんが、コピー曲であればそこそこのクオリティで歌えはするのですがどこまで言ってもオリジナル(本人)にはかないませんし、それを超えようとするのも何か違うような気がします。

音源としてカバー曲を発売する場合にはある意味、本人を超えて自分自身のオリジナルを加味して歌うということは必要だと思いますが、大概の場合は自己満足に終始してしまう危険性が高いのかなと。

数年前にバラードのカバーをやったことがありますが、当時GtでサポートしてくれていたJPOPのメジャーアーティストさんには「途中からカラオケになってたよね」ってきついお言葉をいただいたこともあります。

ただ、最後まで世界観を維持していたのは褒めることが出来ると・・。
ただのコピーだったら相当にクォリティが高かったのでしょう。
でも所詮は物真似です。

オリジナルから再び、カバーをやってみて、カバー曲でも「これはSaygaさんのオリジナルですか?」と聞かれることが増えたので、2年前の課題は恐らくクリアは出来ているのでしょう。

同じ曲を数年前から聴いている人に「オリジナルですか?」と言われるようになったということは、数年前の歌は聴くに値しなかったということでしょう。今、同じ曲を歌うとオリジナルですか?と聞かれるようになったことは成長の証なのだと思います。

地声が他のアーティストさんに似ているのは仕方がないと思います。
ある程度、ベンチマーク(目標設定)した上で歌唱力を磨くという意味ではそれが最短距離ですから、何も指標がないなかで築き上げるというのは実際は難しいです。

仕事でもなんでもそうですよね、全てがオリジナルということは人類史上、ありえないことです。
仮にあったとしても誰からも認められません。

シェークスピアでも誰でも種本というものが存在するのですから、それが正しい。
自動車や飛行機をゼロから別理論で作る人なんていませんから。

グレイシー柔術もそうですね、講道館柔道のベースがあって成り立っている。
何が源流で誰が偉いとかそんな話ではない。

ルーツをいちいち語ることって馬鹿らしい。
70億人がそれぞれ啓蒙しあって文明が成り立っているのだから、受けた恩は忘れてはなりませんが、言語でも芸術でもありとあらゆる文明はある意味、相互扶助の産物なのだと思います。