これまでを振り返る②〜発症するまで〜 | 春を待つつぼみー脳脊髄液減少症の娘との日々

春を待つつぼみー脳脊髄液減少症の娘との日々

進学校に通っていた頑張り屋さんの娘。2018年高2の春に起立性調節障害(体位性頻脈症候群)と診断を受けるが、2021年春に脳脊髄液減少症であることが判明。
  いつか、この時期が娘の勲章となることを信じて、ありのまま記録します。

 現在おうち生活の娘は、性格は真面目で頑張り屋さんで、優しくて穏やかですニコニコ
同時に、マイナスの感情を見たり聞いたり、また表現したりするのも嫌います。
自分の感情をコントロールするのが上手いのかな〜と思っていましたが、一方ではストレスを溜めやすかったのかな…と今では思いますショボーン

 娘の幼い頃から起立性調節障害を発症するまでの間で、今思えばODの予兆⁉と思えることを、なんとか思い出しながら記録していきたいと思います。

☆幼稚園の頃☆

 頻繁に朝から大量の鼻血が出ていたガーン
(ODと関係あるのかないのか…不明。でも、ODの症状が悪化し始める時期になると、今でも頻繁に鼻血が出てます💦)

 この頃、私と同じお布団で寝ていた幼い娘。もう正確には覚えてないけど、特に夏なんかは週3〜4くらいのペースで朝起きたらお布団が血の海…びっくりマットなどを水で下洗いしてから、バタバタと幼稚園へ連れて行く💦ということが頻繁に…💧マットとお布団の間にビニール袋を敷いて寝てました。寝返りをうつと、ガサガサうるさい(笑)

☆小学校高学年の頃☆

 お風呂の湯船につかると、すぐにのぼせるようになる。
 小学校の保健室の先生に「顔色悪いけど、しんどいの…?」とまた聞かれた〜と、帰って来てから話すようになる。本人はいたって元気いっぱいの様子口笛

 この頃から、確かに娘の唇の色が薄くてくすんでいたのは覚えている。今思えば、脳への血流が悪くなっていたのかな…と💦

☆中学生の頃☆

 朝、起きにくくなる。(遅刻したり、休んだりする程ではないけど💦)起こしても、起こされたことを覚えてない…というえー

 塾に行くようになると、生活が夜型になっていったのが良くなかったのかな💧頑張り屋さんの娘の睡眠時間が少なかったのが、当時の私の心配でした。でも、この数年後、まさか今のような生活になるとは、全く想像すらしてませんでしたショボーン

 〜つづく〜

 またまた、何とも拙い長文を読んで下さり、本当にありがとうございましたm(_ _)m