寒川神社の講演会で、聖徳太子とご縁がある事を知ったわけですが、
今生まれている人の中で、聖徳太子の生まれ変わりの人居たら会ってみたいなと思い検索してみたところ、、、、
はい!?
最澄、聖徳太子の生まれ変わりとか言ってるんですか????(@ ̄□ ̄@;)!!
そんな、ネットニュースになるような大胆なことを、、、(笑)
え???
こういう場合、どうなるのでしょうか、、、、?
以前、圭介さんのリーディングで、最澄の生まれ変わりと言われておりまして、、、
そうなると、聖徳太子の魂も内包されているということになるのでしょうか???
その場合は当時、寒川の地に行けていないのではないですか???( ´艸`)
まあ、そうであるかどうかはともかく、親族くらいの距離には居たことは確かなようなので、
それで、そろそろ聖徳太子のことを想い出してと言わんばかりに、滋賀県神社参拝で、聖徳太子のゆかりのある神社ばかりに行くことになったのかもしれません。。。。
岐阜の神社ではなく、なぜ滋賀県なんだろう?と思った謎は、聖徳太子からのオファーのせいだったのかもしれません。。。。
太郎坊は聖徳太子が山信仰をするきっかけとなった場所だそうで、、、、(今知った)
太郎坊でも御朱印に「聖徳太子」と入ったものがあって、なんで聖徳太子?!と思いながらも、選べなくて全部いただいていました。
奥石神社では、弟橘姫の伝説しか書きませんでしたが、
神社の言い伝えにこういったものもあります。
用明天皇の御代(1400年前)聖徳太子が諸国御巡歴の途中老蘇の森に立ち宿りし時、その妃高橋姫がご難産であったので奥石神社に御祈願になったところ忽ちご安産なされたという古伝によって、古くから安産守護神として妊婦の祈願に参拝するものが連日あとをたたない。
もし私が聖徳太子だったら、生まれ変わってもまた参拝した神社ということになりますね
弟橘姫はこの神社の森に留まるとか言ってるし( *´艸`)
この場所、好きすぎじゃないですか
それだけのご縁がありますよと言わんばかりに、普段は閉じている扉が開いていたり、ご神事にも遭遇したわけですね。。。。
この辺に聖徳太子がよく来ていたからと言われればそうですが、
なぜ、立て続けに聖徳太子に関する情報を別々の人や場所で受け取ることになったのか。。。
奥石神社参拝後に、道路で聖徳太子の旗を沢山見かけます。
亡くなってから1400年ということで御開帳をされていて、その旗を見て、予定を変更して、急遽観音正寺にも行くことになりました。
聖徳太子が創建したお寺だそうです。
なんですか、この謎のRPG感wwww
新作ですか、聖徳太子!!!!
しかも、聖徳太子の出生地の候補の1つに、奈良県桜井市もあるんですね。。。。
三輪山のあるあの地域も、、、、
台風来ていて1~2時間後くらいに閉じようとしている三輪山にも、「以前も登っているのでこれくらいなら大丈夫です!」と言って入らせてもらったこともあり( *´艸`)
聖徳太子もよく登っていたのかな。。。
もしかすると、掘って行ったら、寒川神社と聖徳太子と山岳信仰に関する書物も出てくるかもしれませんね
さらに、怖いことに、太郎坊って、実は猿田彦を祀っていて、猿田彦は天狗と同一視されるんですよね。
家の近所の神社の御祭神を調べていたら、太郎坊があって、猿田彦さんがおり、、、
でも、神社のHPとかには書かれていなかったりするんですよね。不思議ですが、、、。
現地の看板には書かれているのに。
太郎坊ってなんだろう?と説明書き読んでもあまりピンとこずに、どこの太郎さん?と思いながら、あ、猿田彦なんだ、と思って参拝していましたが、まさかまさかの繋がりに驚きました。
寒川も天狗と関係あるらしく、、、、
猿田彦はサナト・クラマと同一神で、鞍馬山に降り立ったとも言われていますよね。
猿田彦は山の神でもあるようで。。。
私の今の近所にある神社の御祭神は、過去世からのご縁の強い神様しかいないし、寒川神社にいるとされる神が揃っていることに気付かされました (@ ̄□ ̄@;)!!
そして、聖徳太子を調べていたら、
以前、この記事で書いていた、なぜ左右に十九社ずつあるのか、
そして、空の雲が、なぜその列の上で出方が違ったのか、疑問に思ったのですが、
辿り着いたこの記事内に、その答えがありました。
「イザナギ」と「イザナミ」の38人の子供たちですね。
「天照派」であり、日本の本当の天皇家ですね。
ここに集まる神々である、「八百万の神々」の正体は、「イザナギ」と「イザナミ」の子供たち、38人のことだったということです。
もう少し、この38人の神様、つまり、「八百万の神々」のグループについて、説明しておきますね。
基本的には、このグループは、権力欲や金銭欲などが全くなく、宇宙から地球にやってきた、
「植物」-「動物」-「人間」
この三者が、バランスよく回転しているだけで、地球という惑星は、うまく循環するという考え方です。
だから、この世界観で動いているのです。
それが、多くの神社にあるシンボル、「三つ巴」なのです。
(@ ̄□ ̄@;)!!
今回、寒川神社の参集殿で、マイク台に三つ巴があり、家紋?と思いながら見ていました。。
もしかしたら、この家紋や印を持つ神社や人のご先祖様は、天照派だったのかもしれません。。。
あくまで、天照派というのは、記事を書いた方がつけた名称なので、その説明も記載いたします。
古代の日本は、ある期間、二つのグループが存在していたそうです。
ハッキリとした名前が、ついていたわけではありませんが、ここでは、わかりやすいように、「神武派」と「天照派」という名前で呼びますね。
前回の話の「リンゴ」と「ミカン」の分け方では、こうなります。
〇「神武派」=「リンゴ」=「弥生」=「日の丸」=「北朝」
〇「天照派」=「ミカン」={縄文」=「菊家紋」=「南朝」
「神武派」は、今から50万年前に地球では、中近東を拠点に、「アヌンナキ」という宇宙人の一族が活躍していましたが、そこから流れてきた大陸のグループです。
日本では、神武天皇が、そのグループのリーダーだったようです。
「天照派」は、もっと太古の時代に、すでに宇宙の根源からダイレクトに、日本にやってきてたグループです。
それは、720万年前の出来事だったそうです。
このグループのほうが、古くから地球にいたのです。
イザナギとイザナミが、このグループのリーダーです。
さらに記事を読んでいくと、
そんなとき、一人の救世主が現れます。
「聖徳太子」
この人物が助けたのです。
聖徳太子の登場で、日本史の中で、最高にスリリングなドラマが始まったのです。救世主というのは、「天照派にとっての救世主」という意味です。
私は、「聖徳太子=キリスト説」を主張していますが、まさに、日本においては、聖徳太子が出現する前と後では、西洋での「紀元前(B.C)」と「紀元後(A.D)」に分かれるくらいの時代の大変化だったのです。
聖徳太子というのは、この大プロジェクトを実行するために、日本に誕生したのだと思います。
つまり、聖徳太子は、縄文人のDNAを持つ人々を守り、サポートしていたらしい。。。
聖徳太子、、、、
まだまだ謎多き人ですね
いつもお読みくださりありがとうございます
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