今日。
なんでも、人間研究の卒論の「ネタ」にするのだという大学生がカフェにやってきました。
娘でもおかしくない年齢の彼女の質問に答えながら、自分でも「ああそうなんだ」と新たに気づいたことがいろいろとありました。
わたしがまだ学生の頃。ふと感じる「なんだか無性に懐かしい」ような「とっても幸せで温かい」ような、そんなイメージをなんとか捉まえておきたくて、音楽をやったり、モノを作ったりしていました。でも、そんな素敵なイメージは捉えようとするとスルリと両手をすり抜け、ふっと消えてしまいます。なんとか集中してそのイメージを追求し、気づいたことは、そのイメージが「普遍的な懐かしさ」を持っているということでした。たとえば、梅雨が来る前に、本当の夏よりも夏らしい匂いがする夕暮れには、記憶の中でだけ懐かしい(つまり実体験を伴わない)幸せな夏の記憶があるのです。
大学を卒業して、仕事をし始め、忙しい日々の中で、「イメージ」を捉まえることなんかすっかり忘れていたのですが、今頃になって再び、WEBというマルチヒーローに助けられ、その「イメージ」を捉まえようと思いたちました。それが1998年に始めたきらら舎(当時は月光舎)です。ここで販売するアイテムと、カフェイベントや、WEBサイトで、いつしか空想と現実をごちゃまぜにすることに一生懸命になっていました。捉まえたいイメージは「実体験のない記憶」です。つまり「空想」の世界にあって現実の世界に居ては決して捉えることはできないものです。そこで、きらら舎のアイテムを介してステルクララなどの空想の入り口につなげていく。カフェでのイベントやWEBはそれを手助けするものです。
そんなことをとりとめもなく話していたら、
「空想と現実をごちゃまぜにする目的ってなんなのでしょう」と聞かれました。
無論、同じイメージを求めている人を探すためでもあります。人によっては本当に無意味なものを、きらら舎では販売しているわけで。それを好きと思って購入してくださるお客さまは、いわば「同士」です。
それから、限りある現実を拡張することにもなります。どんなに頑張っても叶わないことだらけの現実。「限界」だらけの世界に生きている中で、空想が現実と別ものではなく、地続きとなれば、ため息だらけの毎日に、少しだけ笑顔になれる瞬間が訪れるかもしれない……。
な~んて。
人に話してみて、自分でなるほど、なんて思ってしまったのでした。
写真は先日のルーチカカフェの曹達の上部分。
ちょっとミルキーで淡いブルーのグラデーションの曹達の上に綿菓子を乗せたもので、これは、その綿菓子(雲)。ステルクララの春空をイメージしたものです。
ステルクララはこの季節、春靄が立ちこめて、いい香りがしています。