「台湾の少年」を読む | 狭山与太郎のどですかでん

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「台湾の少年」は昨年の9月92歳で亡くなった台湾の蔡 焜霖(さい・こんりん)の生涯を描いた全4巻のコミック本なのであります。

蔡焜霖さん死去 台湾の児童雑誌「王子」の創刊者:東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

この本コミック本にしては珍しく岩波書店が発行しています。

1巻2400円ですから4巻で9600円

基本岩波書店は買い取りですから街の本屋さんに多分在庫はないでしょう。(図書館から借りました)

 

 

日本統治時代に生まれた読書好きな少年の体験を通して太平洋戦争後の台湾の歴史が詳細に語られています。

因みに、彼の兄蔡焜燦は日本版wikipediaに掲載されていますが何故か 蔡 焜霖の記事は見当たりません。

 

1945年日本が敗戦し台湾は中華民国に組み入れられ、カイロ宣言に基づき、連合国軍の委託を受けて、日本軍の武装解除を行うために中国本土から蔣介石主席率いる中華民国国民政府・中国国民党の官僚や軍人らが台湾へ進駐し「失地回復」という名目で台湾の行政を引き継ぎ支配するようになります。

台湾の人たちは自分たちの政府が実現するかと期待しましたがこの期待は裏切られ、治安の悪化や役人の著しい汚職、軍人・兵士などの狼藉、さらに経済の混乱は到底受け入れがたいものとなり人々の不満は高まっていました。

そうして、1947年2月28日に台湾民衆と国民政府官憲との衝突を契機に民衆の怒りが爆発し台湾全土でデモや暴動が発生し大混乱に陥ります。

1949年には戒厳令が発令され 裁判官・医師・役人をはじめ日本統治時代に高等教育を受けたエリート層が次々と逮捕・投獄の上拷問され、その多くが殺害された所謂「白色テロ」と言われる恐怖政治が行われ以後38年間1987年まで戒厳令が続くことになります。

二・二八事件 - Wikipedia

因みに、1989年 ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞を受賞した台湾映画「非情城市」はこの時代を背景にした映画なのであります。

 

この本の主人公 蔡 焜霖は1930年、日本統治下の台湾・台中に生まれ1950年この「白色テロ」で、反乱組織に参加したなどとして懲役10年の判決を受け島流しとなり1960年まで服役します。

その理由というのは高校生の時に読書会に参加していたというものでした。

10年間の厳しい懲役と思想教育を経て釈放された後も台湾が民主化されるまでの間元政治犯として監視 差別され厳しい生活を強いられるわけですが、そうした状況下でも小年野球や児童文化への貢献及び女性誌non-noの創刊などに携わり日本語が達者であることから明治生命の伝説のセールスマンと言われた原一平やその他訪台する日本人の通訳などを務めます。

その後美麗島事件や林 義雄の母親と7歳の双子の娘が殺害された事件、陳文成殺害事件などを経て国内の民主化運動が盛んになり、蒋独裁政権が終わりを告げます。

蔡 焜霖は台湾が民主化されてからは白色テロ時代の政治犯の名誉回復と人権教育に注力し日本との相互理解の促進に貢献したとして2021年日本政府から旭日双光章を受章しています。

 

彼の波乱万丈の人生はこのコミック本を読んでいただくとして、とにかく台湾が如何に過酷な体制下で多くの犠牲を払いながら民主化を成し遂げたか。

又、現在の台湾の複雑な事情が良く把握できるのではないでしょうか。

1996年彼が国華広告会社の副社長時代、日本ではネットの繋がったPCを社員が一人に一台使用していることに刺激を受け会長に直談判し多額の投資をして社内のIT化を推進した逸話が出てきます。

現在、台湾のIT技術は世界の最先端で遥かに日本を越えていることは先年のコロナ対応でも話題になりました。

その頃までは日本の方が進んでおり、台湾は日本をお手本としていたのです。

 

第二次大戦後の冷戦時反共の砦としてアメリカは台湾の蒋介石政権を支えてきましたが中国本土の市場性に目を付けると1979年には中華人民共和国を中国として承認し台湾とは国交断絶するというご都合主義的な不義理を果たしています。

ですから、台湾有事にはアメリカがいくら支援すると言ってもとても信用できないというのが台湾人一般の考え方なのではないでしょうか。