ジョン・ピルジャー氏 逝去 | 狭山与太郎のどですかでん

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全てのマインドコントロールから日本の皆さんを目覚めさせ、解放します

ジョン・ピルジャーと言ってもその名前を知っている人は殆どいないでしょう。

オーストラリアの調査ジャーナリストでドキュメンタリー映画監督のジョン・ピルジャーが、昨年12月30日ロンドンの自宅で84歳で亡くなったと、彼の家族がX(旧ツイッター)への投稿で発表しました。

彼が2022年9月6日ノルウエーのTrondheim World Festivalで行った講演の内容の一部をこのブログで紹介したことがあります。

ジョン・ピルジャーの演説 | 狭山与太郎のどですかでん (ameblo.jp)

 

彼は、最近のガザやウクライナに関する偽ジャーナリズムに対しても声高に批判を続けていました。

彼はデイリー・ミラー紙、ロイター通信、ITVのワールド・イン・アクション紙など、主流の報道機関に長い間定期的に寄稿を続けていましたがこの10年間体制側によって徐々に排除され、2015年ガーディアン紙の定期コラム記事を最後に彼の名は大手マスゴミ誌から姿を消しました。

彼は安易な合意や同調を避け、時事問題に関し急進的で代替的なアプローチをするとともに、一方的に自分の意見を主張するだけではなく50年以上にわたって反対意見のためのプラットフォームを提供したことや、イギリスのベルマーシュ刑務所に収監されているウイキリークスの主催者ジュリアン・アサンジのために絶えざる運動を続けていたことでも知られています。

 

ノルウエーでの講演の時はまだイスラエルによるガザへの無差別攻撃が始まる前でしたが、このイスラエルによる圧倒的非人道的な無差別攻撃が世界中で批判の嵐を巻き起こしている現在でも英米の主流ジャーナリズムは沈黙を保ったままです。

 

ここであらためて彼の講演の内容の全てを私が尊敬してやまない藤永茂氏のブログより引用掲載させていただきます。

ジョン・ピルジャーの声を傾聴しよう - 私の闇の奥 (goo.ne.jp)

 

以下引用

羊たちを黙らせる:プロパガンダの絡繰り

ジョン・ピルジャー

1970年代、私はヒトラーの代表的なプロパガンダ担当者であり、ナチスを賛美する大作映画を制作したレニ・リーフェンシュタールに会った。総統の他の友人たちの運命から免れた彼女は、写真撮影の仕事でケニアの同じロッジに滞在していた。

彼女は、自分の映画の「愛国的メッセージ」は、「上からの命令」ではなく、彼女が言うところのドイツ国民の「服従的な空虚さ」に依存していたのだと教えてくれた。

その中には、リベラルな教育を受けたブルジョワジーも含まれていたのですか?と私が尋ねると、「 そう、特に彼らがね」と彼女は言った。

いま欧米社会を席巻しているプロパガンダを見ていると、私はそのことを考えてしまう。

もちろん、今は1930年代のドイツとは全く違う。私たちは情報化社会に生きている。私たちはグローバリストだ。私たちは、かつてないほど色々なことを意識し、接触し、前よりもっとお互いに連結している。

だが、そうだろうか?それとも、私たちは、洗脳が狡猾に容赦なく行われているメディア社会に住んでいて、国家権力や企業権力のニーズや諸々の嘘にしたがって、知覚にフィルターがかけられているのではないか?

 

欧米のメディアを支配しているのは米国である。メディア企業の上位10社のうち、1社を除いてすべてが北米に本社を置いている。インターネットとソーシャルメディア(Google、Twitter、Facebook)は、その殆どを米国が所有し、支配している。

私の一生の間に、米国は50以上の政府(ほとんどが民主主義国家)を転覆させたか、転覆させようとした。米国は30カ国で民主的な選挙を妨害した。30カ国の人々に爆弾を落としたが、その殆どは貧しく無防備な人々であった。50カ国の指導者を殺害しようとした。 20カ国で解放運動を弾圧するために戦ってきた。

この殺戮の範囲と規模は殆ど報告されず、認識もされていない。そして、その責任を負うべき者たちが英米の政治生活を支配し続けている。

2008年に亡くなる前、劇作家のハロルド・ピンターは、沈黙を破って、2つの瞠目すべきスピーチを行った。

彼が言うには、米国の外交政策は「俺のケツにキスするか、さもなければお前の頭を蹴飛ばすぞ」という事だ。そのくらい単純で粗野なものである。面白いのは、それが信じられないほど成功していることだ。偽情報、美辞麗句の使用、言葉の歪曲などの構造を持っており、これらは非常に説得力があるが、実際には嘘八百だ。これは非常に成功したプロパガンダである。彼らはお金もあり、技術もあり、逃げ切るための手段もすべて持っていて、それを実行しているのである。

ノーベル文学賞の受賞に際して、ピンターはこう言った。「米国の犯罪は、これまで組織的で、一定不変で、悪質で、情け容赦のないものであったが、実際にそれについて語る人は殆どいない。米国は大したものだ。米国は、普遍的な善のための力を装いながら、世界中で極めて巧妙な力の操作を行ってきた。見事な、機知に富んだ、大成功の催眠術のような行為だ」。

ピンターは私の友人であり、おそらく最後の偉大な政治的賢者であった、つまり、反対派の政治が紳士ぶるようにされてしまう前の話だ。私は彼に、彼の言う「催眠」とはレニ・リーフェンシュタールの言う「服従的な空虚さ」のことか、と尋ねた。

「同じことだな」と彼は答えた。「洗脳が徹底しているので、私たちは嘘の塊を飲み込むようにプログラムされているということだ。プロパガンダを認識しなければ、それを普通に受け入れて信じてしまうだろう。それが服従的な空虚さというものだ」。

我々の企業民主主義のシステムでは、戦争は経済的に必要なものであり、公的補助金と私的利益の完璧な結婚である:金持ちのための社会主義、貧しい人々のための資本主義。9.11の翌日、戦争産業の株価は急騰した。さらなる流血が予想され、それはビジネスにとって素晴らしいことだったのである。

今日、最も収益性の高い戦争は、独自のブランド名を持っている。それらは「永遠の戦争」と呼ばれている。アフガニスタン、パレスチナ、イラク、リビア、イエメン、そして現在のウクライナである。すべては嘘八百に基づいている。

イラクは最も悪名高く、存在するとされた大量破壊兵器などありはしなかった。2011年のNATOによるリビアの破壊は、ベンガジで起きた大虐殺がその正当化の理由だったが、大虐殺など起きていなかった。アフガニスタンは、9.11への都合の良い復讐戦争であり、アフガニスタンの人々とは何の関係もなかった。

今日、アフガニスタンからのニュースはタリバンがいかに邪悪であるかということであって、ジョー・バイデンによる同国の銀行準備金70億ドルの窃盗が広範囲に及ぶ苦しみをもたらしているという事ではない。最近、ワシントンのナショナル・パブリック・ラジオはアフガニスタンについては2時間も費やしたが、飢餓に苦しむ人々については30秒を費やしただけだった。

米国が支配するNATOは、6月のマドリードでの首脳会議で、欧州大陸を軍事化し、ロシアや中国との戦争の可能性をエスカレートさせる戦略文書を採択した。この戦略文書では、「核武装した同業競合相手に対する多地域間戦闘」を提案している。言い換えれば、核戦争である。

その戦略文書には、「NATOの拡大は歴史的な成功を収めた」と書かれている。

私はそれを信じられない思いで読んだ。

この「歴史的成功」の指標がウクライナ戦争である。この戦争のニュースは、殆どがニュースではなく、超自国優位思想、歪曲、省略の一方的な羅列である。 これまで私はいくつもの戦争をリポートしてきたが、これ程までに全面的なプロパガンダに出会ったことはなかった。

ロシアは2月、国境にあるロシア語圏のドンバス地域で約8年間続いた殺戮と犯罪的な破壊への対応として、ウクライナに侵攻した。

2014年、米国はキーウでクーデターを起こし、ウクライナの民主的に選ばれたロシア寄りの大統領を追い出し、米国人の言いなりになること請け合いの後継者を後釜に据えた。

近年、アメリカの「防衛」ミサイルが東ヨーロッパ、ポーランド、スロベニア、チェコ共和国に設置され、ほぼ間違いなくロシアを目標にしているのだが、そうではないという偽りの保証がなされてきた。この手の保証は1990年2月にジェームズ・ベーカーがゴルバチョフに「NATOはドイツより先に拡大しない」と約束したことにまで遡る。

ウクライナはその最前線である。NATOは、1941年にヒトラー軍が突入してソ連に2300万人以上の死者が出た、まさにその国境地帯に事実上到達したのである。

昨年12月、ロシアはヨーロッパに対する広範な安全保障計画を提案した。西側メディアはこれを取り上げようとせず、嘲笑し、抑圧した。誰がその段階的な提案を読んだだろうか。2月24日、ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領は、米国がウクライナを武装し保護しない限り、核兵器を開発すると脅した。 これがロシアの我慢の限界となった。

同じ日、ロシアが侵攻した。西側メディアによれば、これはロシアの先天的な破廉恥行為だという。歴史も、嘘も、和平提案も、ミンスクでのドンバスに関する厳粛な合意も、何ら意味を持たなかった。

4月25日、アメリカの国防長官ロイド・オースティン将軍はキーウに飛び、米国の目的はロシア連邦を破壊することであることを確認したー彼が使った言葉は「弱体化する」であった。米国は、望んだ戦争を手に入れたのであり、戦闘は、銀行が出資し武装した代理人で、使い捨てのきくお先棒によって行われている。

これらの事の殆ど何も、西側の聴衆に説明されてはいない。

ロシアのウクライナへの侵攻は無謀であり、許しがたい。主権国家を侵略するのは犯罪である。ただ一つの「しかし」を除いて、「but」はあり得ない。

現在のウクライナ戦争はいつから始まり、誰が始めたのか。国連によると、2014年から今年にかけて、キーウ政権によるドンバスでの内戦で約1万4千人が死亡している。その多くの攻撃はネオナチによって行われた。

2014年5月以来のITVのニュースリポートを視聴して頂きたい。それらはベテラン記者ジェームズ・メイツによるリポートで、彼はマリウポルの街で市民と共にウクライナのアゾフ(ネオナチ)大隊から砲撃を浴びていた。

同じ月、オデッサの労働組合会館で、ナチスの協力者で反ユダヤ主義者のスティーブン・バンデラの信奉者であるファシストの暴漢たちに包囲されたロシア語を話す数十人が生きたまま焼かれたり窒息死したりしたのだ。 ニューヨーク・タイムズ紙は、凶悪犯人たちを「国粋主義者」と呼んだ。

アゾフ大隊の創設者アンドレイ・ビレツキーは、「この重大な瞬間における我が国の歴史的使命は、世界の白人種の生存のための最後の聖戦、すなわちセム人主体のUntermenschen(人間以下の人間)に対する聖戦を先導することである」と述べている。

2月以来、自称「ニュースモニター」(それらの殆どが米国と英国から資金提供を受け、両政府とつながりがある)のキャンペーンは、ウクライナのネオナチは存在しないという馬鹿げた立場を維持しようとしている。

かつてスターリンの粛清に関連した言葉であったエアブラッシュ(消却)は、主流のジャーナリズムの道具となってしまった。

10年足らずの間に、「良い」中国がエアブラッシュされ、「悪い」中国がそれに取って代わり、世界の物作り工場から新進気鋭の新サタンへと変貌した。

このプロパガンダの多くは米国に端を発し、兵器産業の代弁者である悪名高いオーストラリア戦略政策研究所などの代理人や「シンクタンク」を通じて行われ、また、シドニー・モーニング・ヘラルド紙のピーター・ハートチャーのような熱心なジャーナリストは、中国の影響を広げる人々に「ネズミ、ハエ、蚊、スズメ」などのレッテルを貼り、これらの「害虫」は「根絶」させるべきだと呼びかけている。

西側諸国での中国に関するニュースは、殆どすべて北京からの脅威に関するものばかりである。中国の大部分を取り囲む400の米軍基地、オーストラリアから太平洋、東南アジア、日本、韓国にまで及ぶ武装されたネックレスは無視されている。日本の沖縄と韓国の済州島は、中国の工業の心臓を至近距離から狙う装填済みの銃である。国防総省のある幹部は、これを「絞首縄」と表現した。

 

パレスチナは、私が憶えている限り、ずっと誤報の連続である。BBCに言わせれば、そこには「二つの語り口」の「衝突」があると言う。現代で最も長く、残忍で、無法な軍事占領だとは、口にしないし、出せないのだ。

イエメンの被災民はまるで存在しないかのようだ。彼らはメディアにとって人間ではないのだ。 サウジがアメリカのクラスター爆弾を雨のように降らせ、イギリスのアドバイザーがサウジの標的担当士官と一緒に働いている間、50万人以上の子供たちが飢餓に直面している。

この故意の省略による洗脳には長い歴史がある。第一次世界大戦の虐殺は、政府に追随した報道をした功績で爵位を授与された記者たちによって抑圧されたが、彼らの回顧録によって、明るみに出た。 1917年、マンチェスター・ガーディアン紙の編集者C・P・スコットは、ロイド・ジョージ首相に「人々が本当に(真実を)知ったとなれば、戦争はその翌日にもストップしただろうが、彼らは知らなかったし、知ることもできなかった」とその実情を打ち明けた。

 

他の国の人々が見ているように人々や出来事を見ようとしないことは、米欧のメディアの病原体のせいであり、コロナ・ウィルスと同じくらいメディアを衰弱させるものである。 まるで一方通行の鏡を通して世界を見ているようで、そこでは「我々」は道徳的で善良であり、「彼等」はそうではない。これは帝国的な尊大極まりない見方である。

中国とロシアに息づいている歴史は、ほとんど説明されていず、殆ど理解されていない。ウラジーミル・プーチンはアドルフ・ヒトラーである。習近平は朱蒙(チュモン)である。悲惨の極にあった貧困の撲滅といった中国における叙事詩的成果は殆ど知られていない。これは何と倒錯的で下劣なことか。

 

いつになったら我々は自らやっている事を理解するようになるのだろうか?工場生産式にジャーナリストを訓練することが答えではない。驚異的なデジタル道具も、一本指で打つタイプライターや、鋳造植字機械と同じく、手段であって目的ではないのだ。

近年、何人かの最も優秀なジャーナリストたちが主流から締め出されるようになって来た。「ディフェネストレーション」という言葉が使われている。窓から放り出すという意味だ。かつては一匹狼ジャーナリスト、時代に逆らうジャーナリスト、真実を語る人々に開かれていた空間が閉ざされてしまったのだ。

ジュリアン・アサンジのケースは、最も衝撃的である。 ジュリアンとWikiLeaks が、ガーディアン紙やニューヨークタイムズ紙や、その他の「記録する新聞」を自称する新聞紙に、読者や賞をもたらしていた間は、ジュリアンは称賛の的であったのだ。

闇の国家がこれに異議を唱え、ハードディスクの破壊とジュリアンの誹謗中傷、人格破壊を要求すると、ジュリアンは公共の敵に仕立て上げられた。時のバイデン副大統領は彼を「ハイテク・テロリスト」と呼んだ。ヒラリー・クリントンは「こいつをドローンで殺してしまえばいいのに」と要請した。

その後、ジュリアン・アサンジに対する虐待と中傷のキャンペーン(拷問に関する国連報告者はこれを「集団私刑」と呼んだ)は、リベラル派の報道機関を最低の状態に追い込んだ。我々は彼らが誰であるか知っている。私は、彼らをかつての「協力者」、つまり、ヴィシー政府のお抱えジャーナリストの類だと考えている。

真のジャーナリストはいつ立ち上がるのか?インターネット上には、刺激的な地下的出版組織がすでに存在している。

偉大な記者ロバート・パリーが創設した Consortium News、

Max Blumenthalの Grayzone,

 Mint Press News,

 Media Lens, 

Declassified UK, 

Alborada, 

Electronic Intifada, 

WSWS, ZNet, 

ICH, 

Counter Punch, 

Independent Australia, 

the work of Chris Hedges, Patrick Lawrence, Jonathan Cook, Diana Johnstone, 

Caitlin Johnstone、

その他、私がここで言及しなかったことを許してくれるであろう人々のやっている事である。

さらに言えば、1930年代にファシズムの台頭に対して行こなわれたように、作家たちはいつ立ち上がるのだろうか。1940年代に冷戦に反対したように、映画人たちはいつ立ち上がるのだろうか。一世代前のように、風刺作家たちはいつ立ち上がるのだろうか。

先の大戦の公式見解である独善的正義の深い風呂の湯の中に、82年間も浸かってきたのだから、そろそろ記録を正すべき人々が独立を宣言し、プロパガンダを解き明かすべき時ではないだろうか?その緊急性はかつてないほど高い。

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以上が本文部分の和訳です。