人を罰する難しさ | 狭山与太郎のどですかでん

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真実のあくなき追究。
全てのマインドコントロールから日本の皆さんを目覚めさせ、解放します

「河瀨直美が見つめた東京五輪」ですっかり評判を落としたNHKの「BS1スペシャル」ですが昨夜放送された「正義の行方〜飯塚事件 30年後の迷宮〜」はNHKの面目躍如たるものが感じられるなかなか見ごたえのある力作でした。

「正義の行方〜飯塚事件 30年後の迷宮〜」 - BS1スペシャル - NHK

死刑執行された人物は真犯人だったのか―。福岡県で2人の女児が殺害された「飯塚事件」から30年。立場の異なる当事者たちの証言をもとに3部構成で事件の全体像を描く。 福岡県飯塚市で2人の女児が殺害された「飯塚事件」は今年、発生から30年を迎えた。DNA型鑑定等によって犯人とされた人物には2008年に死刑が執行されたが、えん罪だったとする再審請求が提起され、事件の余波は今も続いている。立場を異にする当事者たちそれぞれが考える〈真実〉と〈正義〉を突き合わせながら、事件の全体像を多面的に描く3部構成の長編ドキュメンタリー。そこから浮かび上がるこの国の司法の姿とは?

 

とにかく2時間半にも及ぶ長編ドキュメンタリーなのですがメインストーリーは当時容疑者逮捕のスクープ記事を書いた西日本新聞が30年たった今もう一度新たに原点に立ち返って事件の真相を検証してみようという取り組みが柱となっています。

結論から申しますと既に死刑執行されている久間被告が本当に犯人だったのかどうかについては依然謎のままで、その判断は視聴者の皆様にお任せしますということなのだけれどこの放送を見ただけでは何とも後味の悪いフラストレーションの溜る作品であることは否定できません。

 

彼が白か黒かはこの番組の趣旨ではなく逮捕から死刑に至るプロセスをこの作品では多くの関係者の証言から問題提起しているわけです。

警察や弁護士それぞれに言い分があって皆さん自分が正義で自分が正しいと信じてそれぞれに行動しているわけで、日本の警察や検察司法制度の一端が垣間見えて余計問題の複雑さが感じられる番組となっています。

警察が一度こいつが犯人だと決めたら後はいかにして証拠集めをするか、いかに有罪に持ち込むかという過程が非常に鮮明に描き出されていて、自分が疑われた時のことを考えると、ある種の恐怖感のようなものを感じます。

しかも犯行を否定するような証拠は検察側が隠蔽して開示しない。犯行を裏付けるために後出しじゃんけんのような証言や明らかに捏造と思しき証拠が何年も経ってから出てくるのは今までの数多くの冤罪事件と全く同じです。

しかも、再審請求しようとすると以前の裁判の時の証拠は廃棄されているというおよそ常識では考えられないようなことがまかり通っていることに唖然としてしまいます。

結局判決の決め手はDNA鑑定の結果ということなのですが、そのサンプルやデータがかなり怪しいものであることが指摘されています。

 

1990年に起きた足利事件では当時幼稚園の送迎バス運転手だった菅谷利和さんがDNA鑑定の結果犯人にでっち上げられ挙句の果ては自白を強要されて服役していましたが2009年に再鑑定した結果菅谷さんのものではないことが判明し無罪釈放となっています。

 

結局犯人が自白しない限り有罪に持ち込むのは非常に難しく、だからこそ嘘でもいいからとにかく自白をさせるという警察の姿勢が多くの冤罪を生む結果となっています。

しかし久間被告は結局逮捕されてから一貫して容疑を否認し続け、一度も自白もしないまま死刑が執行されてしまいます。

この放送ではこの事件の前に同じ小学校の女子生徒が行方不明になり久間被告が第一容疑者となったいきさつや彼の住居が学校の近くであったことが説明されていません。

又、この事件と足利事件とは同じ時期に同じ方法で、同じ鑑定技官]によって実施されたDNA鑑定であったということについても触れていません。

また、なぜ自白もしていない被告が刑が確定してから2年後という異例の早さで刑が執行されたのかという重要なことについても説明がありません。

2008年10月16日、足利事件の再鑑定が行われる旨の報道がされたその12日後の10月28日に久間の死刑が突然執行されたことから、DNA鑑定が証拠にはならないと認定される前に早急に処分されてしまったということなのでしょう。

ここら辺がNHKの限界なのでしょうか。

 

私的には、最後に警察の幹部の証言にあるようにそれ以降この地区で30年間同じような事件が起きていないことから考えてもやはり彼が犯人だったのかなと思わざるを得ません。

何故ならこの種の事件は再発性がかなり高いからです。

しかし、たとえそうだとしても証拠を捏造したり、DNAの鑑定が恣意的であったり、証言者が誘導されたりという事実は消し去ることができず、結果的に犯人逮捕に結びついたとしてもそれは決して肯定されるべきことではないと考えます。

そのようなことが数多くの冤罪事件を生んでもいるわけですから。

 

因みに、1998年に発生した和歌山の毒カレー事件の林眞須美容疑者は2009年に死刑が確定していますが、一貫して無罪を主張しており、2021年に再審請求が受理されています。

証拠は使われたヒ素と彼女の家にあったヒ素が同じものだというくらいで動機もなければ目撃者もいないわけですから無罪になる可能性が大きいのではないでしょうか。

世論がそれを受け入れるかどうかということが決め手になることが多々ありますがなにしろ20年以上も経って殆どの人はすでに記憶の彼方に忘れ去られた事件ですから。

ところで、紀州のドンファン殺人事件の容疑者はその後どうなったのでしょうか?

これも証拠はなく自白もしていませんから・・・

 

明らかに犯人だと分かっていても確証がなければ「疑わしきは罰せず」で無罪とすることがいいのか、又は現在のように自白を強要したり証拠を捏造したり、嘘の目撃証言を求めたりしてでも犯人に仕立て上げるのがいいのか。

それぞれの立場によってかなり意見が分かれそうです。