前回に続き、初代大統領ウフェ・ボワニの子ども時代を取り上げた映画を取り上げます。
オフィシャルサイトの紹介文(和訳:SAYAKO)。
Recueilli par sa tante Yaa N’so à sa naissance Dia a reçu une éducation stricte, parsemée de plusieurs interdits, même celui de jouer avec les enfants de son âge. Pour des raisons encore mystérieuses il est interdit à Dia d’avoir tout contact avec l’extérieur, surtout avec « les Blofouê » ces êtres étranges à la peau pale. Il a malgré tout eu une enfance joyeuse grâce à ses soeurs ainées Adua et Fetai, mais surtout grace à son oncle Kouassi N’go en qui il trouve soutient et réconfort.
生まれた時に伯母(叔母?)のヤア・ンソに引き取られたディアは、同年代の子どもと遊んで育ったが、いくつかの禁止事項とともに厳しい教育を受けた。
また、理由は謎に包まれているが、外部の人間、特に「ブロフエ」という肌の色の薄い異人との接触は完全に禁止されていた。
アドゥアとフテという姉たちのおかげで、また特に伯父(叔父?)のクアシ・ンゴの支えと励ましのおかげで幸せな幼少期を過ごした。
Recommandé par Christiane auprès de son père, le commandant Siméon, Dia est sommé de rendre à l’école comme tous les enfants du village. Informée de la situation, la Reine Yaa N’so se servira d’un subterfuge afin de tromper le colon : celle d’envoyer à l’école un gamin qui se fera passer pour Dia.
クリスティーナが父であるシメオン司令官に進言したことにより、ディアは村の他の全ての子ども達と同じ様に学校に行くように命じられた。
ヤア・ンソ女王は、入植者を欺くための策略を練り、ディアのふりをした子どもを学校に送った。
Suite à la disparition de son oncle, mort dans des conditions mystérieuses, Dia prend la ferme décision de poursuivre son « étude » du « blofouè », en se rendant par lui même à l’école élémentaire. Il se convertit même au christianisme et délaisse son prénom « Dia » au profit de celui de « Felix »
不可解な死により伯父が姿を消した後、ディアは小学校に行って「ブロフエ」の「勉強」をすると固く決意した。
またキリスト教に改宗し、「ディア」から「フェリックス」に改名した。
7歳ですでに両親はおらず、伯父と伯母(女王)に育てられたようです。
この伯父と伯母の関係は夫婦じゃなさそうだし姉弟とかでもなさそうだったけど、父方と母方とか別なんだろうか。
そして彼だけ学校に行かせてもらえなかった理由もよくわからんかった。
女王の後継者として、植民者から守ろうとされてたのか??
ディアの身代わりに学校に行かされた子はたぶん姉だと思うんだけど・・・
おじさんが殺された理由もよくわからなかった。
改宗して洗礼名もらうのはわかるけど、幼名を捨てるって、元服みたいなもん?
まあ、家柄もいいし、出来もいい子だったからフランス人教師に気に入られて、被植民者のエリートとなる糸口を掴んだ、というようなストーリーだと理解しました。
最初は医者として1925年にキャリアをスタートさせたそうです。知らなかった。
ウフェ・ボワニは1905年生まれとされているので、当時20歳くらいだったことになります。
折しも、黄熱病で植民者たちが倒れていった時代でした。
クリスティーナが手紙で、父も黄熱病の犠牲になったと伝えてた(気がする)。
終盤でフェリックスの手当てを受けていた村人たちも黄熱病だったのか?
東の隣国ガーナ、当時の英領ゴールド・コーストで千円札の野口英世が黄熱病で51歳で亡くなったのが1928年だそうです。
たぶん続く。