【婚活記録3】そろそろ婚活スタート!? | さやか 婚活のその後と日々のあれこれを。

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今まで読む専門だった私がブログを書き始めました!

伊藤友美さん「愛し愛され婚メソッド®️」婚活コンサルタント養成講座受講済
森本はるかさん「はるラボアルケミックコース1期」卒業生

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<目次>

1.序章
2005年~2013年
2.婚活スタート!?

(いえいえまだまだ序章)
2013年~2015年
3.そろそろ婚活スタート!?

2016年~2017年

上矢印今ここですピンクハート

4.婚活塾とその後
2018年~2019年春
5.このままじゃ結婚できない!!(お尻に火がついた瞬間)

そして夫に出会うまで

2019年春~夏
6.トントンと結婚
2019年11月
7. 結婚のその後

 

 

婚活記録2-②のつづきです】

 

さて、今度こそ婚活記録3へ!

なんですが‥その前にもう二つ大きな出来事がありました。
 
2014年夏、父が外出中に倒れ脳挫傷で入院。救急の医師からは命に別状はないと説明を受け、全くその通りだったのですが、脳機能の損傷が激しくリハビリもままならず施設に入院することに。
 
そして、もう一つ、2015年12月にそろそろいい加減に実家を出て一人暮らしをしようという気持ちになりました。
たしか、のらりくらりたま~に会っていた好物件の彼に、実は彼女がいて遠距離恋愛中であったことをクリスマス前に知り、それきり会わなくなったショックがきっかけだったように思います。忘れるくらいだから、婚活中の失恋なんてほんと通過点でしかない!笑い泣き
私の両親は見た目決して仲良くはなく、父が倒れる前の時期は結構な頻度で言葉激しく喧嘩をするようになり、毎朝2階のリビングから1階の私の部屋へ大きな声が降ってきて私が目を覚ますような日々になっていました。この環境が自分にとって良くないなと感じ、そろそろ2回目の一人暮らしをとぼんやり思っていたのですが、とうとう時が来た!という感じでした。私の母は気学を勉強していたので、母に相談。婚活にいい方位をとって引っ越しをするということで話がまとまり、年末には家探しをしました。
気学に従って引越をする場合、タイミングを計る必要があり、必ずしもその年にいい方位を取れるとは限らないので、思い立った時にいい方位が取れたのはとてもラッキーなことでした。
 
そして、2016年。
やっと目次と合いました。ここからが修行期のはじまりです。
新生活の準備から始まりました。
引越の日は少し感慨深く、
もうこの家(実家)に戻ることはないな
と強く思ったことを覚えています。
結婚へのちょっとした覚悟だったと思います。
本当の「決める」はもっともっと後にやってきますチュー
 
引越準備や新居のためまとまった出費があったこと、そして数年間にわたる婚活に要した費用(結婚相談所、婚活サロン、コンサル、講座、毎週末の合コンなどなど)にいい加減疲れてしまって、
 
お金がな~い!!!えーん
もうこれ以上婚活にお金使いたくない!

 

と、ある夜新居への帰り道に心の中で叫んだことを覚えています。笑

 

そしてその数日後、マネージャーになるという内示を上司からもらいましたびっくり

ここからは毎年お給与が増える生活に入り(結構な勾配でした)、あまりお金にハラハラすることはなかったのですが、その分生活はものすごく忙しくなりました。マネージャーじゃなくても十分に忙しい職場だったのですが、それが光速で加速してゆく感じ。はっきり言ってボロボロでした。。

 

結局2016年は新人マネージャーとして朝から晩まで仕事三昧の日々。精力的に婚活はできませんでした。合コンには顔を少し出していたかなという感じ。

自分と向き合う時間すらろくにとれていませんでしたが、気分転換に友人を訪ねヨーロッパに遊びにいったり、未来への願掛けで出雲大社には行きました。

 

出雲に行った時には、足をのばし岡山まで1人でドライブもしたのですが、日が沈んで街が落ち着きかけたひと時、とあるお店でRADWIMPSのスパークルが流れてきました。マネージャーになってからはや半年が経過。朝から晩まで毎日ずっと社内外の誰かとしゃべっていた私が、やっと1人になれた時間。夜のはじまりとお店の灯りと曲が創り出した幻想的な時。とても美しい時間でしたスター

 

有名な八重垣神社での鏡の池でのおみくじはもう笑い話。。よくネットでは「願望達成する」などポジティブなメッセージをお見かけするのですが、私の場合は、本当におみくじが沈まず、お金がおみくじを破れ通過笑い泣き、穴があいたおみくじにやっと出てきたメッセージは・・

 

反省することを忘れるべからず

ちーん

 

これは凹みましたし、怒りすら感じました。(苦笑)

こんなに仕事を頑張っているのに、反省??プンプンと思ったのです。

しかし、シャカリキだった仕事についてはもう少し落ち着いて向き合うべきだったし、試合のように合コンをこなしてきた婚活もやはり同様にやり方を変える時にきていました。

内省は大切ですね。

 

 

そして、相変わらず忙しく時は流れました。

2017年1月、父が亡くなりました。

父のことは後でゆっくり書こうと思います。

 

5月になり気学に従って2回目の引越を終え、落ち着いた夏、37歳で婚活を再開させました。

最後の砦と勝手に設定していたネット婚活をはじめたのです。

記録によると2つのサイトに登録していたようです。

 

友美さんの講座資料は手にしていました。おねがい飛び出すハート

 

セッションを始め、講座には何回か参加していたので、ワークが必要なことも理解していましたおねがい飛び出すハート飛び出すハート

 

しかし、この頃の私・・ワークはろくにやっていなかったんじゃないかな笑い泣き

仕事に忙しすぎて記憶にない・・

ほとんどのワークは講座を受けた時間で勝手に代えて

おいおい

理想の人リストだけはなんとなく作って(たと思う)、

後で書こうと思いますが、これが一番やっちゃいけないパターン!なのです

 

そして

肝心なネット婚活の結果は・・風船風船風船

活動期間2カ月弱で4人ほどお会いすることができました。ネットだけのやり取りで会わなかった人ももう数人いたと思います。お会いした中でこの人とても雰囲気も良く優しいなという人もいました。でも心が動くほどまでは至らず、そして何より、またしても好物件と思われる人に自らハマってしまったのです笑い泣き

 

この方少し年上の医師でした。職業柄色々時間を合わせることが難しいのは想像していたのですが、色々な意味でコミュニケーションが難しく、要は自分とは全然合わない方だったのです。

 

それなのに、私は勝手に沼にはまり、結婚というゴールに向け関係をどうにかこうにかこねくり回そうとしました。

 

彼の本心を理解しようと2人霊能者にお世話になり(笑)、有名と言われるタロット占いの方にもお世話になりました。

タロットの方にはこの医師はおろかこの先の婚活も実らないと散々な言われようで、あまりの落ち込みっぷりに占い師の方がお高そうな水晶玉をタダで触らせてくれました。(笑)

 

出会ってから4カ月ほど経ったころ、2018年に入り、最後連絡が取れなくなり関係は終わりました。

直後の私は悲劇のヒロインそのもの。

何度やる?そのドラマ・・

 

そして私は友美さんに泣きついたのです。

友美さんにお世話になりすぎ・・


婚活記録3の番外はこちらハート