食の多様性で
”毎日をもっと知的に、もっと美しく”、
管理栄養士 緑川涼佳です
あっという間に5月ですね。
今日の東京は清々しい陽気でした~。
さて、今回のGW前半は、
岩手へ帰省しました。
二戸~三戸~八戸、
平泉~花巻、
大槌~山田~宮古、と
県内+青森近辺を広くウロウロ。
ハイライトが多すぎる帰省でしたが、
中でも小学生の時に4年間を過ごした
平泉の散策は、
懐かしさと郷愁で胸がいっぱい。
(若者はこれをエモいと呼ぶのかしら)
世界遺産の中尊寺と毛越寺を拝観した後、
元地元民オススメの景観スポット、
髙館義経堂(たかだちぎけいどう)へ
旦那をご案内。
※運転は100%旦那がしています
小さい頃は、“たかだち”とか
“よしつねどう”とか呼んでいました。
源義経が妻子とともに
悲しい最期を迎えた場所なのですが、
とにかく眺めがよく、
小学生の時は、遠足でも行ったり。
町民にはなじみのある場所です。
30年ぶりくらいに行ったのですが、
記憶の中の風景とあまり変わらず、
奥には束稲山(たばしねやま)、
悠々と流れる北上川、
周りにはしろかきを待つ田んぼが
広がっていました。
かつては栄華を誇った藤原氏や
贅を尽くした数々の館・堂塔も今はなく、
ここで戦があったことも
歴史上の出来事に。
でも、この景色は
きっとその頃からあまり変わらず
今に至るんだろうな~と思いながら、
この感情をどう表現するのが
しっくりくるかを考え始める緑川。
“切ない”では狭すぎる。
“はかない”だと他人事みたい。
“無常”だとやや傲慢か・・・。
などと考えながら歩いていたら、
目の前に大きな石碑が。
そこに刻まれた言葉を
読んだときの衝撃たるや。
私、感動を通り越して
「ツァーーーーン」ってなりました。
何て書いてあったと思う
“夏草や 兵どもが 夢の跡”
って、書いてあったのよ
あまりにも有名な松尾芭蕉の句。
しかし、これほどまでに自分の感情を
的確に表現している言葉があっただろうか、
いや、ない。(反語表現)
その下に、書いてあったこちら。
↓↓↓
“三代の栄耀一睡の中にして、
大門の跡は一里こなたに有。
秀衡が跡は田野に成りて、
金鶏山のみ形を残す。
先ず高館にのぼれば、
北上川南部より流るる大河也。
衣川は和泉が城をめぐりて、
高館の下にて大河に落ち入る。
(中略)
さても義臣すぐってこの城にこもり、
功名一時の叢となる。
「国破れて山河あり、
城春にして草青みたり」と、
笠打ち敷きて、
時のうつるまで泪を落とし侍りぬ。”
ーーーーーーーーーーーーー
これも古文の授業で
習った記憶があるけど、
当時は、
なぜ松尾芭蕉がそんな長い時間
涙を落としはべったのか、
よくわからず。
でも、今ならわかる
松尾芭蕉も平泉の歴史と
この景色を重ね合わせたら、
切なくて、はかなくて、無常を感じたから
泣いたのよ。
調べてみたら、この句を詠んだとき、
松尾芭蕉は45才だったらしい。
同世代・・・
元平泉町民としては、
この句はあまりにも日常かつ有名過ぎて
意識することがなかったけど
(ウエイトとしては日常の方がかなり大きい)、
年月を経るとこんなにも自分の中に
ストレートに入ってくるんだな、と
ちょっと感動。
今は、松尾芭蕉の人生が気になりすぎて、
めっちゃ調べてます
平泉でのハイライトは
もうひとつあるので、
それもまた次回。
本日もお読みいただきまして、
ありがとうございました。
ではっ
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●岩手日報社の
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●東京都企業立地相談センターの
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ご掲載いただきました
●としまビジネスサポートセンターの
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http://www.city.toshima-kigyo.jp/tbsc/?p=36965
●としまスタートBizの起業家紹介ページに
ご掲載いただきました
http://www.toshima-biz.com/00_sogyo_kigyokaonfo.html