世の中は、
未熟の祭典。
と、
江原啓之さんがおっしゃっていた言葉をふと思い出した僕。
もちろんそれは自分の未熟さも含まれる。
しかしなんだろうか?
いくら人生は学びの場、
修業の場とは言えども、
苦しさはそれなりに喜楽と共にやってくるもので、
それは誰しも平等に行くのだろうねぇ~い。
自己憐憫に浸ってはならぬと言い聞かせつつも、
思わずやんなっちゃうなぁ~なんてことも一つや二つあるもので、
惨めな思いになることも正直あるっちゃあるよねぇ~。
というか誰でもしそういうことってあるよねぇ~。
でもなんだろな、
先日カウンセリング受けて思ったけど、
なぜ僕はこんな家系の家に修業の道を選んでしまったのか、
つくづく悔やみたくなることもありありw。
それが学びなのです、
学びなのです、
自分の前世を含めたカルマの結果でもあるのです、
と色々言い聞かせるけどねぇ~、
なんだかんだでわからないこともいっぱいあるから、
辛いものは辛いことですよねぇ~。
それと同じように面倒くさいこともあるしねぇ~。
カウンセリング受けるたびに思うのだけど、
毎回惨めになるんですよねぇ~www。
自分にとっての当たり前が一歩社会出ると当たり前じゃなかったりすることは誰でも経験するだろうけど、
僕は当たり前だと思っていることが、
かなり偏った当たり前じゃない境遇であることを改めて思い知らされるのでw、
それがわかっただけでも先生にもありがたい気持ちで感謝なんですけどね、
いつもカウンセリング受け終わると、
僕ってなんでこんなところに生まれてきちゃったんだろ?とか、
ついつい自己憐憫に耽っちゃうんですよねぇ~。
不公平だなぁ~とかさ、
健全な心ってなんなんだ?とか、
健全な教育とは?
健全な子育てとは?
健全な家庭ってなんなんだ?とか、
社会についつい叫びたくなる勢いw。
でも毎回思うことは、
非常に歪んでいる心を持った一族の血筋に、
僕は修業先として選んでしまったようだw。
先生のフィードバックと、
僕の正直な気持ちと、
自分の過去と今を照らし合わせてみて、
僕は何を改善するべきで、
今の僕には何が足りないのだろうか?とか、
ずっとそういう気持ちでカウンセリングに挑むんだけど、
毎回終わりごろになると、
自分を追い込んでいけないということだったり、
自分に対して労わることを優先とさせることだったり、
実は変わるべきだったのは僕ではなくて、
周りの人間が歪み過ぎていて、
それを懸命に僕は歪まないよう尽くしていただけだった。
その無理が今祟っただけだったみたいな。
もうそんなくだらないことばかりに気づかされるのですよねぇ~。
それを自分の描きたい未来の人生を捨ててまで生きてきてしまったというか、
他者のために自分の人生をすべてパーにしてしまったような、
そういう流れw。
そこに気づく度、
哀しくはなるのですよねぇ~。
とか言うと、
自分を擁護してるみたいで気持ち悪いんですけれどもw、
僕はまるで僕がミッキーのぬいぐるみを見て喜ぶのと同じように、
僕はただのぬいぐるみに過ぎない存在だったんだな~とか、
色々わかってくることがいっぱいあって、
荷が重いのだよwww。
今は薬飲んでくれてるから普通に心は安定はしてますけどw、
これが薬飲んでいないなかでカウンセリングしてたら、
どうなったでしょうねーw。
本当に気づいたら自決してるんじゃないか?と思うほど、
嫌になりそうなカウンセリングwwwww。
それでも欠席したりキャンセルしたりしないから、
僕偉いねwww。
カウンセリング受けたあとって、
話した分軽くなることはある一方、
それと同時に孤立感も覚え始めるのです。
僕だけの胸に秘めた思いというか、
僕だけの秘密ができてしまうというか、
その秘密がすごく僕にも重くのしかかるしんどいもので・・・。
もちろんカウンセラーの先生との秘密みたいなものでもあるけど、
抱えているものがあまりにも今の僕には大きすぎて、
なんだかひとり彷徨ってるような、
おかしな感覚にもなったりするわけねぇ~w。
僕としてはすごくシンプルでいたいだけ。
今という時間を楽しむ自分いたいとか、
もっと清らかな環境を自分で創り上げたいとか、
もっと自分の周りの平和を願いたいとか、
周りの人とも腹六分の気持ちで仲睦まじくしたいとか、
ほんと、ミッキーマウスの仲間たちみたいな関係が理想(理想すぎるけどw)。
そうやって僕のなかで憧れる綺麗なものがいっぱいあるんだけど、
それを願えば願うほど、
突き進めてアクションしていけばしようと思うほど、
僕は独り疎外しているような気持ちに立たされてしまうのです。
その信念を大切にしようと思えば思うほど、
僕は独り暗い森の中で遭難しているような感覚になってしまう。
どこかで妥協しなければとか、
自分のその信念を変える必要があるなとか、
どこをどうやって修正して、
どこをどう臨機応変に変えるべきか、
それが今すごく苦しいところではある。
右も左もわからないというか、
もはや何の手がかりも見つけられなくて、
ただただ時間が過ぎて、
動くも焦るも、
もはやどっちも同じ価値のように感じてきてしまうのです。
そうなるともう嫌になっちゃうよねぇ~。
もうとことんボロボロになってでも、
耐え抜いていく自分になる方がマシなのかな?とか、
色んな選択肢を想像して、
色んなシチュエーションも想定しているのだけど、
わからんよね。
考えたら小さい時からその繰り返しだものねぇ~。
逃げたくなるよねぇ~、正直w。
たぶんもう僕は、
生きることが限界なのでしょうwwwww。
色々知り過ぎてしまって、
ちょっともうパンクしそうよねw。
と、
オーバーに書いてみたけど、
どう?wwwww
でも皆さんご安心をw。
普通に今日もスタバでストロベリードーナツ食ったり、
ディズニー40周年「リビング・イン・カラー」聴いては歌ったり、
割と元気満々ですw。
午後から「あの夏のルカ」の英会話をやったり、
トイレで大もしっかりしましたしw、
(*´ω`*)
ディズニーファン増刊号もじっくり読んでおりましたwww。
でもね、
今やっているディズニーピクサー映画「あの夏のルカ」って作品、
結構哀しいストーリーでもあるんですよね。
ひょんなところで主人公ルカくんが、
アルベルトという男の子と仲良くなるんですけれども、
このアルベルトくんは実は孤児なんですねぇ。
最初はお父さんがいてずっと遠出してて帰ってこないだけなんだよ~と言ってるんだけど、
実はもうず~っと帰って来てなくて生きているかどうかもわからない状態なのですよね。
そのなかでひとり無人島の基地で過ごしていたわけで、
彼にとってそれが寂しいと思うのかどうかは語られていないからわからないけど、
初めてルカとお友だちになれて、
楽しい時間を過ごせたっていう話でもあるのです。
どうしてもタイトルがルカなので、
みんなルカに視点が行きがちなんだけど、
実はアルベルトくんが主人公でもあるんだよね、この話。
なんか彼を応援したくなるよね、観てて。
ついつい感情移入しちゃうというか、
ある意味では自分への投影なのかもね。
とりあえずルカの英会話は、
中学単語で成り立ってるから、
めちゃくちゃやりやすいw。
英語勉強したい人、
ぜひルカやってみてくださいましw。
それでは本日もお付き合いいただき、
ありがとうございました。
再度言いますが、
普通に元気で冷静に今日のブログ綴ってるだけですので、
ご心配なく~。
(*´ω`*)
みなさんにとってカラフルの夢の夜となりますよう、
お祈り申し上げます。
結構飾り気に入ってるwww。
CDリピートしまくりw。