2020.5/9 俳句 松瀬青々 甘酒屋打出の浜におろしけり | サワラ君の日誌

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『名句鑑賞 十二か月』(井本農一/小学館)より選句

 

松瀬青々 

甘酒屋打出の浜におろしけり

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 ウイキペディアによれば、松瀬青々(まつせ せいせい、明治2年4月4日(1869年5月15日) - 昭和12年(1937年)1月9日)は、大阪市出身の俳人。江戸時代後期から明治の初めにかけて、甘酒を天秤棒に担いで打ってあるく商売があったようだ。なお、昭和30年後半頃まで、子ども相手に屋台で田楽を売って歩く田楽屋さんはあった。夕方、広場で遊んでいると、だいたい決まった時間に屋台がやってきて、こずかいがないときはこんにゃくを、あるときは、漫画おそまつ君に登場するチビ太がいつも手に持っていたようなゴージャスな田楽を買って食った。

 

 「打出の浜」は、滋賀県大津市と兵庫県芦屋市に同名の浜があり、しかも、どちらも、古戦場となっている。この句は、解説によれば、滋賀県大津市の方とあった。兵庫県芦屋市の方でも問題なさそうだ。

 木曽義仲主従の最後の出会いの感動的な場面で、甘酒屋が甘酒を売るシーンは、蕪村の次の句を連想させる。

 

史記の「風蕭々(しょうしょう)として易水寒し。壮士ひとたび去って復た還(かえ)らず」とある始皇帝暗殺に向かう荊軻(けいが)の易水(えきすい)における最後の見送りの場面に、何故か…

易水にねぶか流るる寒さかな

ねぶか…大根

 

〇滋賀県大津市の「打出の浜」

 平家物語「木曽の最期の事」。宇治川の合戦で敗れた木曽義仲は、死に場所を求めさまよっていると、同じく死に場所を探す乳母子の今井兼平と打出浜で偶然落ち合い、最後の戦いをここで約す。

兵庫県芦屋市の「打出の浜」

 足利尊氏・執事高師直軍は尊氏の弟、直義軍と摂津国打出浜で決戦し、尊氏軍は数の上では有利であったが、大敗北を喫する。尊氏は師直・師泰兄弟の出家を条件に直義と和睦するが、師直兄弟は摂津から京都への護送中、怒り狂って待ち受けていた直義派の上杉能憲(師直に殺害された重能の養子)らの軍勢により一族もろとも殺害される。