【幕末維新ゆかりの地】

 

天誅組を足跡をたどる旅

まだまだ続きます。

 

天誅組が襲った代官所

奈良県:五條市【五條代官所】

 

その犠牲者のお墓

奈良県:五條市【極楽寺(五條代官墓所)】

 

代官所を襲撃した際は

代官所には代官・鈴木源内をはじめ13人しかおらず

代官所とは関係なく、その場にいたマッサージ師まで殺されるという

もはや完全に天誅組はテロリストです。

代官所を制圧した後、天誅組は本陣を近くに構えます。

 

まことちゃん地蔵のあとは

廃退した商店街を南に・・・・本陣跡に向かいます。

 

 

 

この廃退した感じ、いいなぁ。

かつて人々で賑わったであろう商店街を歩く。

当時の人たちは今頃、どうしているのだろうだとか

想像を膨らませるのが好き。

 

天誅組が本陣を置いた

【桜井寺】

 

 

 

めっちゃ目立たんところに

天誅組が槍で刺した跡がある柱がありました。

 

 

すてれんきょさんが確認

歴史ヒストリアとは地味な作業の積み重ねなのだ!

 

代官所で殺害した人たちの首を洗った

【首洗いの石手水鉢】

 

殺された代官・鈴木源内は

温厚善良な性格で公平無私な人物として領民から慕われていたそうです。

代官所に13人しかいなかったあたり平和な地域だったのでしょう。

地元の人からしたら降って湧いたような災難だったのかも?

天誅組はここ桜井寺にて

新しい政府【五條御政府】の樹立を宣言しました・・・・が!

 

なんと襲撃の翌日に起こった京都における大政変により

大和行幸は延期(天皇が来ない)となり

皇軍の先鋒という天誅組の大義名分は一夜にして失われ・・・・一転して

ただの反逆者集団に!

こうして幕府、各藩からの追討を受けることになり各地を転戦

最終的に天誅組は東吉野の地で壊滅するのですが・・・・

それはまた後日、記事にしようかと思います。

 

桜井寺には歌舞伎の演目

艶容女舞衣』でも知られる三勝・半七の比翼塚があります。

 

 

悲恋の末、大阪千日寺の墓地で

遊女の三勝と心中して果てた赤根屋半七は元禄8年(1695)12月9日

ふたりは互いの体を紅絹裏の服紗縮緬で結んで共に咽喉を掻き切って心中しました。

半七たちの哀しい、儚い恋はすぐさま「三勝半七艶容女舞衣」として

歌舞伎の舞台になり大阪・江戸の観客たちを魅了しました。

「三勝半七艶容女舞衣」は現在も国立文楽劇場をはじめ多くの劇場で上演されています。

 

姫路でいうところの

お夏と清十郎の悲恋も浄瑠璃になってるよね

兵庫県:姫路市 【慶雲寺】 ~ お夏と清十郎の悲恋 ~

あと播州皿屋敷のお菊さん、千姫・・・・。

姫路には悲恋のエピソードが3つもあるんやけど観光資源として

これを活用する方法はないんですかねー。

 

まあなんちゅうか

赤根屋半七は妻も子もおったわけで・・・悲恋とかまあ

それもわからんでもないけど

姫路の悲恋女子の方が潔癖さを感じてしまうのはさるるだやろか。

 

次回に記事にする新町通りに

赤根屋半七の生家跡があります。

 

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