【幕末維新ゆかりの地】

 

天誅組の五條代官所の襲撃

 

主義主張はええとして

殺された五條代官所の人間たちは堪ったもんじゃない。

時代といえば時代ですけど

忘れてはいけないのは天誅組は暴力・殺害をもって革命を成そうとした

立派なテロリストです。(*'ω'*)♪

 

五條代官所を包囲した天誅組は代官・鈴木正信(源内)に降伏を要求するも

鈴木代官がこれを拒否すると攻撃を開始!

襲撃当時、代官所邸内では酒宴が開かれており、邸内は大混乱に陥った。

ゲベール銃隊を率いる池内蔵太が空砲で威嚇し

 

え?

池内蔵太って!?

 

幕末志士の中でも歴戦の強者!

【池内蔵太(いけ・くらた)】も天誅組に参加していたんか!?

さるるは禁門の変を生き延び

海援隊の船が転覆して死んでしまった池内蔵太(いけうちくらた、じゃないよ!)が

まさか天誅組に参加していたとは認知していなかった!

 

長崎でも池内蔵太に会えたね。

長崎旅行2019(その10)【池内蔵太と龍馬のぶーつ】

 

初回登場の天誅組編では繊細そうな少年でしたが

後期にはたくましい歴戦の強者として描かれています。

 

【池内蔵太(いけ くらた)】※いけうちくらた、と読んでいた時期がありました。

土佐藩士の中でも身分の低い微禄の家柄の息子として生まれる。

江戸に出て安井息軒に師事、様々な藩の志士と交流し武市半平太と共に土佐勤王党の結成する。

山内容堂の命令を受けて大坂・江戸の視察を命じられますが

容堂があくまで佐幕的な態度を貫いていたために、尊皇攘夷に好意を抱いていた内蔵太は

これを契機に土佐藩から脱藩して長州藩に逃げ込み、長州の尊皇攘夷運動に参加。

そして長州軍の遊撃隊参謀となり、1863年5月10日のアメリカ船砲撃を指揮。

その後、天誅組の反乱に参加して天誅組が壊滅すると京都に潜伏し

1864年に長州藩が軍を率いて禁門の変(蛤御門の変)を起こすと、長州軍の忠勇隊を指揮するなどしました。

すごい男やと思わん?国を捨て他国で部隊を指揮するってどういう経緯があったんやろう?

 

大河ドラマ【龍馬伝】ではいいキャラ演じていたよ

 

桐谷健太のキャラを損なうことなく

気合入り過ぎる池内蔵太を見事に演じていたように思います。

 

これっ、この傷!

蛤御門で出来た傷ーッ!

 

このシーン、好きやわ。

しばらくさるるの口癖になってましたが

ヒデちゃんぐらいしか笑ってくれなんだけどね

あ、また口癖になりそう!

 

話を戻そう

【五條代官所の襲撃】のことである。

 

吉村が率いる槍隊が裏門から突入。

代官所に在所していたのはたった13人!(他は鈴木代官の妻などしかいなかった。)

代官所方は敗北し、鈴木正信と下僚ら4名が殺害され

逃亡した内の1名は逃げ切れず自刃しました・・・と、司馬遼太郎先生の作品

『五條代官襲撃』ではこの逃亡した男が主人公でした。

 

そんな五條代官の犠牲者のお墓へ

【極楽寺】へ

 

ちゃんと確認しないとわからないから

入口の解説板をスマホで撮影することをお勧めします。

 

鈴木源内さん(お代官様)のお墓

 

領民から慕われていたらしい。

 

ここからお次は

さるるが行きたかった【まことちゃん地蔵】へ!

 

グワシッ!

 

さるるママンはさるるが生まれた時

【誠(まこと)】と名付けようとしたらしいんですが

当時流行していたお下品な漫画【まことちゃん】の主人公と

まったく同じ名前になってしまうという理由で却下

現在のさるるの名前になったのでした。

んー、同姓同名もそれはそれでオイシイと思うんだけどな~。(笑)

 

ちなみに

なんで奈良県五條市に【まことちゃん地蔵】があるのかというと

作者の楳図かずおが五條市に住んでいた時期(6歳~27歳)があるらしい!

漂流教室』に恐怖した小学生の頃(能力開発センターの夏期講習を逃げ出して読んでた。)

わたしは真悟』でSFホラーにのめり込んだ43歳の頃!

 

 

 

 

すてれんきょさん

さるるのわがままにお付き合いくださりありがとうございました♪

さてお次は・・・・天誅組が本陣を置いた場所へ!

 

廃退な商店街に興奮したよ。

 

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