(尾鷲市向井、熊野古道センター芝生広場)
尾鷲ニュースです。
『 尾鷲ニュース 』
●尾鷲市制施行70周年記念式典&演奏会
6月30日、尾鷲市は1954(昭和29)年6月20日、尾鷲町と須賀利村、九鬼村、北輪内村、南輪内村の1町4村が合併して誕生した。その70周年を記念としての式典が、せぎやまホールで開かれ、市民を含め約400人が出席して節目を祝い、市政功労で個人19人と5団体を表彰。
式典には加藤市長、南市議会議長、来賓で歴代三役、現元市議をはじめ、県内の市町長や議長、県議、国会議員、奈良県上北山村と岩手県釜石市の首長らが参列。
開式前のオープニングアトラクションで、尾鷲節保存会子ども太鼓、ロックジャムの寄席太鼓、坂東流柳蛙会、市職員有志の尾鷲節踊り披露があった。
司会の尾鷲高校生が4人のナレーションで70年の歩みを振り返り、記念のロゴが紹介された。加藤市長の式辞のほか、南市議長、一見三重県知事、国会議員らが祝辞を述べた。
また、午後からは「オオサカ・シオン・ウインドオーケストラ」(旧大阪市音楽団)による記念演奏会があり、「旧友」「ハッピー・バンド・ディ・トゥ・ユー」など8曲を演奏。アンコールでは「マツケンサンバ2」を披露。
演奏会には市民や市内小中学生ら約1000人が演奏を楽しんだ。会場内に入れなかった人のために、小ホールにて映像を中継した。
●尾鷲市誕生祝い歌
6月15日、尾鷲市天満浦の天満荘で、NPO法人天満浦百人会の『天満荘歌の広場』があり「憧れのハワイ航路」や「お富さん」のほか、「尾鷲市誕生祝い歌」が初めて披露された。
「尾鷲市誕生祝い歌」は、1954(昭和29)年6月20日の尾鷲市制発足時に作られたもので、当時を知る市民の記憶に残るものの、正式な名称や楽譜は残っていない。
百人会の松井まつみ理事長と会員の大畑仁巳さんが花見をしていて、市制70周年の話題になったとき、大畑さんが「市の誕生を祝う歌があった」との思い出を語ったことから、再現の取り組みが始まった。
市商工観光課の協力で、大畑さんの歌声を録音し譜面に起こしたもので、この日の歌の広場で、全員で数回挑戦し、今後も毎回歌っていくことにしている。
数日後になって、紀北町船津在の國分征出夫さん(海山郷土史研究会長)が、祝い歌の楽譜、歌詞を、2003年11月の郷土史研究会報に調査発掘結果を掲載していたことが、國分さんからの連絡で一連の資料が保存されていたことが分かった。
題名は「尾鷲市誕生祝い歌」で、作詞は当時の矢浜小学校長の玉置徳三さん、作曲は尾鷲中学校教諭北村光雄さん。
歌詞は3番まであることが分かったが、メロディーは各人の記憶によって異なり、当時の中学生と小学生で違っていること、すなわち2曲あることが分かった。
楽譜正本は学校にもなく、北村さんご子息にも問い合わせたが、遺品にもなかった。そこで、記憶を頼りに2007年2月に採譜され、もう一つのメロディーも翌08年6月に採譜された。
歌詞は
①白南風(はえ)の牟婁路よ日もみどり 湧いて溢れてこのよき日 尾鷲という名の市ができた
なんと明るい市の門出 祝え祝えやその門出
②やまをへだてた海越えた 南北輪内九鬼尾鷲 須賀利と好いて市ができた
とても仲よい市の笑顔 めでためでたやその笑顔
③海に海幸おどるなら 山は電源北山路 さらに観光の市ができた
さても希望の市の前途 きづけきづけやその前途