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自然を相手にした時、自分のチカラの無さに愕然とします。

虫一匹にすら負けてしまう。



現代の人々よりも、昔々の人々は よっぽど強かったんだなーっ
て、心底思います。

だってそこには、市販の虫除けスプレーもなければ、薬草の本なども無
かったんでしょうから。

山や海に住んでいるおじいちゃんおばあちゃん、尊敬します。


わたしが彼等の持つ知恵知識を習得するには、
あと何回虫に刺されて、あと何回ケガをすれば良いのかな。


目指すところまでは、ながーいながーい道のりであります。





「やっぱり日本は素敵な国だな。」


たまーに、そう感じる事があります。

瀬戸内寂聴さんが訳された「源氏物語」を読んだ時、日本語の持つ美しさ
を感じるのでした。
(ただ現代語訳されたものではなく、平安時代の言葉を わかり易く
現代風に訳されたものです。)


もぅ消えてしまった古の言葉が、それらを知らない自分の中で フ
ツフツと甦り、
普段何気なく使う言葉を 制御させられるのでした。


不思議な感覚です。


当時の言葉は 今で言う「はんなり」した感じがあり、品があり
しなかやでいて とても美しい。

もちろん現代でも そう言った言葉はありますが、当時のそれとは
遥かに違うと感じます。


一方で、


巡るめく時代の中で、美しい言葉が消え、
その反動であらゆる新しい言葉が生まれていくのを目の当たりにすると、

「日本はなんて、ごちゃごちゃな国なんだろう」

とも、感じるのです。


たまに調子をこいて、あるいは その時のノリに合わせて、

「すげー」だの「マジ」だの使ってしまいがちですが、
基本は、美しい言葉を使っていきたいと思うのであります。


ただわたしにとって その「美しい」の本質は、「正しい」ではな
く、
「想い」によるものだと思うので、一言一言 自分の気持ちを込め
て、言の葉に乗せていきたいなと思います。



でも それはなかなか難しいものですね(汗)





きっと誰にでも、「夢」はあると思います。

なかなか届かないからこそ、届いた時の感動は大きい。

でも 夢を諦める事になった時(いかなる理由でも)、その挫折感…とでも言いましょうか、己の力量の無さに 込み上げてくる怒りや悲しみもまた、大きい。


全ては自分が撒いた種。

全ては自分が選んだ道。



解っているからこそ、余計に苦しかったりします。


でもそこで、卑下になり ウズウズと闇の中に居ても、結局は負のループ。

酷いと、そこが居心地良く感じてしまうことすらあります。

でも、何一つとしていいコトなんてありはしない。


辿り着けるものも、辿り着けはしないはずです。



レールは、いくらでも用意されていると思います。


自分が 周りを見ようとしないだけで、実は何気ない日常に、そのヒントは隠されている…

そう思うのです。


だから、前を向くということは大事なんだな、と思います。


たとえ、どんなに苦しくても 悲しくても。


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また新たなレールを見つけ出した今、
バランスは悪いながらも 進んでいきます。


間違えたら、また次を探せば良い。


今度はそれくらいの気持ちで、歩んでいこうと思うのでした。