東京に戻った自分は、早速会社の人事部に連絡を入れ、戻して欲しい旨を伝えた。

私が仕事に戻った先は、元にいた支店での販売職だった。


たった数ヶ月の期間で、元の場所に戻った自分は、自分が鬱になった事を何とか隠していたかった。

頑張ってといわれて送りだされた場所に、再び戻るのはとても勇気がいった。

どんな目でみんなに見られるのか、とても不安に感じていた。

だから自分の鬱の事は、知られたくないと、そう思った。

悪気はないのだろうけれど、鬱を指摘する人もいた。

そんな人には、「そうなんですよねぇ」と笑って答えた自分がいた。

なんとか気丈に振舞って、笑ってごまかしていたかった。


職場復帰をしたわけだが、元の立場に戻れるわけではなく、また違う上司の下、一番下の何も分からない状態からのスタートだった。

前は色々やらせてもらっていたけど、戻ってからは特に何の権限もなく、自己裁量でやれる事がほとんど無かった。

むなしさを感じたのも事実だった。


周りの同僚達は、自分に対して、深く追求してくる事はなかったけど、自分の中では、常に負い目を感じて、鬱であることを隠して過ごしていた。

それが自分の中で恥ずかしいということでもあったし、知られることで弱い人間だと思われるかもという恐怖心もあった。

何事もなかったかのように、とにかく鬱のことを隠して、普通でいられるよう努めた。


徐々に仕事のペースにも慣れることができてきて、普段どおりの生活が戻ってきたかのようだった。

だが、常に心の底では、負い目を感じていたし、時折顔を出す本社の人間の目からは隠れるようにしていた。

仕事柄本社と連絡を取ったりしなければならない時などは、とてもやりにくかった。

本社の人にも、その場の同僚にも、自分が鬱になった事を負い目に感じていた。

居ずらさを感じ、やりにくさを感じていた。

それは周りから見たら、大したことじゃなかったのかもしれないけど、自分の心の中では常に負い目だった。

自分は負けた人間なんだ。

そう思ってた。



初めて沖縄旅行へいってから、一ヶ月後、まだ暑さが残る9月、再び沖縄の土地を踏む事になった。


次はリゾートホテルではなく、宜野湾市真志喜のレオパレスを拠点にした。

二週間という時間をどう過ごすか、何も計画を立てず、自由に気の向くままに過ごしてみようと思った。


出発の日、丁度台風と重なり羽田で足止めをくらい、待つ事6時間。

周囲の観光客は、友人や、恋人と文句を言いながらも、楽しげに出発を待っていた。

そんな中、自分は一人本を読んで時間を費やした。


なんとか飛んだ飛行機は、欠航になった便の搭乗客でごったがえす那覇空港に着陸した。

二度目の沖縄に到着したのだった。


念願の地に舞い戻った自分は、真志喜のアパートを拠点に、この2週間という時間をスタートさせた。


照りつける太陽の下、トロピカルビーチの出島で本を読んだり、昼寝をしてみたりと何の制約も受けず、そして誰からも干渉される事なく、自由に過ごした。

太陽と大きな空と海が、再び自分に開放感を与えてくれた。

宜野湾海浜公園の広さがとてもすがすがしかった。

この場所に愛着を感じ始めていた。


二度目の沖縄では、色々と初体験をすることになったのだが、その手助けをしてくれたのが、高校時代の先輩、浅賀さんだった。

彼はその何年か前に、沖縄移住を果たし、今では看護師として、沖縄で暮らしている。

当時糸満市に住んでいた浅賀さんが、少し元気の無い私を色々な所へと連れ出してくれた。


この時初めて味わったのが、シュノーケルだった。

真栄田岬で初めてシュノーケルをしたのだが、海の中の世界を目にして、その美しさ、まるで自分が空を飛んでいるかのような感覚にとても興奮した。

夢中に泳いで、魚達と戯れ、童心に返ったようだった。

素直に楽しいと感じる事ができた。

鬱になった自分は、この感覚を味わえるだけでも幸せだったんだ。


セーファーウタキにいったり、浜辺の茶屋でゆったりとアイスコーヒーを飲んだり、本部町の岸本食堂にそばを食べに行ったりと、前回は行かなかった場所に色々と連れて行ってくれた。

本当に色んな沖縄の楽しみ方を教えてくれた。

楽しいという感覚、それ自体を取り戻す事ができた。

鬱になると何も楽しいと感じる事が出来なくなってしまう。

だから楽しいと思える事がとても大事な事だった。


二度目の沖縄で、この土地の良さを、そして自分が感覚を取り戻せてきていることを実感し、より一層沖縄に対する愛が強くなった。

そしてたった2週間だったが、宜野湾市真志喜にも愛着を持った。


浅賀さんのおかげで、人と接する事にも恐れがなくなったし、楽しいと思うこともできた。

彼には本当に感謝している。


宜野湾海浜公園で海を眺めながら、精神的にも元に戻れて来ているかもと感じた自分は、東京に戻ったら、前の支店に戻ってまた働こうと思うことが出来た。


完全に回復というわけではなかったが、なんとか社会復帰を果たせるようになった自分は、黒く焼けた肌で2週間の沖縄生活を終え、東京に戻っていった。

また必ず沖縄に来ようという思いを持って。












東京に戻った自分は、数日間沖縄の余韻に浸りながら、元気を取り戻していた。

4日間の出来事を全て事細かく思い出しては、楽しさを振り返っていた。


1週間が過ぎたあたりからだろうか。

再び頭の中を不安が押し寄せるようになってきた。

悲壮感、焦燥感に追い立てられ、自分を再び卑下し、心の闇へと落ちていった。


「頑張ってこいよ」と送り出された支店、逃げ出してしまった本社オフィス、自信を無くし、鬱になった自分を恥ずかしい、弱い人間だと思った私は、どこにも戻る事はできない、先に進む活力も無く、迷路に迷い込んだ。


どこに自分の居場所があるのか、誰と接していたらいいのか、自分という存在を見失った。

言葉をなくし、頭の中で葛藤し、ベッドに横たわると、不安感から呼吸が乱れていた。

ぐるぐると回るネガティブな思いに、まるで抜け殻のように意識は薄れていった。


薄れいく意識の中、沖縄で味わった開放的な感覚をもう一度味わいたいと思っていた。

誰も自分の事を知らない所で、ゆっくりとしていたい、そう思った。


もう一度、沖縄へ行こう。

そう決めた。