最終日の「中馬のおひなさん」を訪れました。
「中馬のおひなさん」は、伝統的な建物が建ち並ぶ地区のお店や民家に、歴史あるお雛さんがたくさん展示されていて、歩いてまわることができます。
特に粘土でできた「土びな」に魅了されました。土びなの生産は、江戸時代後半から始まり、明治・大正の最盛期を経て、昭和20年代まで続いたそうです。足助にある「土びな」のほとんどは、三州瓦の産地として有名な良質な粘土がとれる碧南周辺で作られたものだそうです。碧南のある三河沿岸部で作られた塩が矢作川を利用して足助から信州に運ばれたように、三河沿岸部と足助の経済的な結びつきは強かったようです。
「土びな」は、私たちがお雛さんと聞いて思い浮かべるものと少し違って、七福神などの縁起物、歌舞伎の名場面を表現するもの、武者物、歴史上の人物、花魁(おいらん)さんなどです。
女の子が花魁さんを持って、男の子が武者物を持つのかと思いましたが、足助地方では女の子に武者物、男の子に花魁さんを贈る習慣があったそうです。「土びな」は安価で、庶民も1人1つ持てるものだったそうです。作られた当時のまま塗り直していないということだから、すごいな。
特に粘土でできた「土びな」に魅了されました。土びなの生産は、江戸時代後半から始まり、明治・大正の最盛期を経て、昭和20年代まで続いたそうです。足助にある「土びな」のほとんどは、三州瓦の産地として有名な良質な粘土がとれる碧南周辺で作られたものだそうです。碧南のある三河沿岸部で作られた塩が矢作川を利用して足助から信州に運ばれたように、三河沿岸部と足助の経済的な結びつきは強かったようです。
「土びな」は、私たちがお雛さんと聞いて思い浮かべるものと少し違って、七福神などの縁起物、歌舞伎の名場面を表現するもの、武者物、歴史上の人物、花魁(おいらん)さんなどです。
女の子が花魁さんを持って、男の子が武者物を持つのかと思いましたが、足助地方では女の子に武者物、男の子に花魁さんを贈る習慣があったそうです。「土びな」は安価で、庶民も1人1つ持てるものだったそうです。作られた当時のまま塗り直していないということだから、すごいな。