セイロンニッケイ、内田ボブ、ナーガ、諏訪ノ瀬 | 自然農で生薬栽培

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11月19日夜、うちの農園で内田ボブさんとナーガさんのライブを行いました。
平和をテーマに全国をギター片手に歌で行脚のシンガーソングライターのボブさん、
九州のトカラ列島にある諏訪之瀬島で暮らす詩人のナーガさん、
彼らの九州から東京までの2ヶ月近くに及ぶ縦断ライブの1会場を申し出ました。
農園内の湖空楼という建物でのライブは素晴らしく、思い出深い夜となりました。毎年やっていきたい!そう思える夜でした。
 実はこのライブ、この縁、漢方生薬の桂枝のおかげでした。
 桂枝、肉桂の木の皮、いわゆるシナモン、実は漢方生薬の中でも、基本中の基本、桂枝湯のあの桂枝です。
 ひょんなことから、最高と言われる
セイロンニッケイの苗木
が我が農園に来ました。しかし、セイロンの名が示す
ように、熱帯の樹木、室内で育てるしかすべはなく、とはいえ、高木種、せめて沖縄のような ところ以外、日本では温室栽培しかなく、自然農のうちの農園では、そもそもありえない植物、でした。
 求める自分に40年ぶりの縁が道を開いてくれました。
同じ自然農の大先輩から、ナーガさんを紹介されたのです。
 と同時に私は
諏訪之瀬と聞いて仰天しました。何故なら、諏訪之瀬は私の人生観を大きく変わらせ、育つきっかけを与えてくれた島だったからです。

 当時私は70年安保を前に、悩める高校生でしたが、とはいえ、よい大学、よい会社、よい人生、の枠から飛び出す勇気まで持っていませんでした。
 休みの度にヒッチハイクでいろんな所を放浪し、いろんな人に会い、いろんな所を見て、ますます悶々とするだけが関の山でした。
 諏訪之瀬との出会いはそんな意気地無し高校生の高校生生活最後の沖縄をめざすヒッチハイクの旅の中でおこりました。
 鹿児島港から直行便に乗らず、トカラ列島経由奄美大島行きの船に何故か
乗ったことから縁ができました。
 船中、いかついお兄さんに声をかけられたのが始まりでした。
"おい、学生!どこへ行くんや?"
 彼は諏訪之瀬が面白いから、降りていけと言い、その風貌から、興味半分、恐ろしさ半分でしたが、ちょっと興味がでていました。

船が諏訪之瀬の沖まで来たとき、あまりの光景にすっかり降りる決心をしていました。
 島のまん中には、堂々たる活火山が噴煙をあげ、裾野から海岸まで、亜熱帯植物でおおわれ、まさに諏訪之瀬はその当時流行りの怪獣映画のモスラの島、インファント島そのものに見えました。
 おまけに、船は珊瑚礁のため、島に着岸できず、船に向かって島民が、小舟、ハシケ、で一斉にこぎだして来る光景は、日本ではなく、何かで観た南の島そのものでした。

 島民約30人、電気は夜7:00から9:00までの2時間のみ使え、それ以外は電気もなく、車もなく、もっとも歩いて一周できるぐらいの大きさの島なんですが。

島の人も、雷赤ガラス族というヒッピー達も、私のいる時空とは全くちがう所にいる人達のようでした。

 思えばあれから世間という、私の時空に大きな疑問が生じ、あがいてばかりの我が人生という、悩ましくも楽しいことになれたのかもしれません。

 40年以上たって、桂枝の縁で、諏訪之瀬が私の心に帰って来ました。何事も故あってのこと、そう思わずにいられない出来事でした。






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