野口雨情、船頭小唄 | 須坂動物園のくまひゃんのブログ

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動物園の関係者では、有りませんが、生き物なんでも大好きです。新しいことは苦手ですが、豊富な人生経験。年の功が誰かの・何かの役に立てばとの思いでブログをはじめたのですが、気がつけば若い方に励まされてばかり、感謝、感謝の毎日です。

船頭小唄、唄っているのは宇多田 ヒカルさんのお母様、藤圭子さん

 

 野口雨情(のぐち うじょう、1882年(明治15年)5月29日 - 1945年(昭和20年)1月27日)は、詩人、童謡・民謡作詞家。多くの名作を残し、北原白秋、西條八十とともに、童謡界の三大詩人と謳われた 本名、野口英吉。廻船問屋を営む名家の長男として茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)に生まれる。東京専門学校(現・早稲田大学)に入学し、坪内逍遥に師事するが、1年余りで中退、詩作を始める。このとき1901年、英吉19歳 父の事業失敗と死により、1904年、故郷に帰り、家督を継ぐ。このとき、家の没落をふせぐために、家族(つまり亡父や親族)から、栃木県の資産家の娘との政略結婚をお膳立てされており、英吉は同い年(23歳)の高塩ひろと結婚するが、もともと気の進まない話で、後年、破綻する。 ―略

 1919年(大正8年)詩集『都会と田園』により詩壇に復帰、斎藤佐次郎により創刊された『金の船』より童謡を次々と発表。藤井清水や中山晋平や本居長世と組んで多くの名作を残した。 他方童謡とともに盛んとなった「新民謡」(創作民謡)にも力を注ぎ、1935年(昭和10年)には日本民謡協会を再興し、理事長に就任している。日本各地を旅行し、その地の民謡を創作した。また同じ年の1月、仏教音楽協会も設立され、雨情は評議員に推薦される。仏教音楽の研究に加え、新仏教音楽の創作や発表、普及にも力を尽くした。

 あの町この町・船頭小唄・シャボン玉・証城寺の狸囃子・兎のダンス・波浮の港 ・雨降りお月さん・黄金虫・俵はごろごろ・七つの子・十五夜お月さん・青い目の人形

 

ウィキの解説の中では、彼の自由奔放?わがまま?な生き様を非難する記述が多々うかがえるが 彼の文筆能力、感性を理解しえない、回りに対する、絶望と憤懣 による、ストレスによる行動だったことが、彼の作品からよみとれは、しまいか。

先日の記事、波浮の港にたいしても、ウィキでは以下のように解説している

波浮の港」(はぶのみなと)は1923年野口雨情が発表した詞に、中山晋平が作曲した歌曲である。

レコードは1928年5月に佐藤千夜子日本ビクターから、その2ヶ月後の7月には藤原義江が同じくビクターから高額な赤盤レコードとして発売している。

昭和初期の伊豆大島は、観光とは無縁の離島であった。島の南東部にある波浮港村(はぶみなとむら)は、島の中心部の新島村1940年に新島村が元村と改称するまで大島にあるのが新島村で、新島にあるのは新島本村だった)からも三原山を挟んで反対側にあるわびしい漁村であった。

当時は東京からの船便もなく、雨情は現地には全く行かず、地図さえも確かめずに詩を書いた。このため、歌詞が必ずしも現地の風景に忠実でない部分がある。東を海に面し西側に山を背負って全く夕日が見えない波浮港に「夕焼け」を見せる点や、雨情の故郷の磯原にはたくさんいるものの、大島には全くいない海鵜が登場する点がそれにあたる(長良川鵜飼いに使う海鵜も、磯原に近い茨城県十王町産である)。

 

なんと陳腐な解説であろう

歌詞は、あくまで磯の鵜。雨情は海鵜とは表現していません。

 

 

これは、カワウの生態。

カワウは群れで溜まる場所をいくつか持っており、そこで休息と睡眠をとる。夜明けには採餌のために隊列を成して餌場に向かい、夕方になると再び群れでねぐらに戻る。

その姿を狭い磯部に住む貧しい漁村の漁師たちになぞらえて書いているのだと、私は考えます

 

行ったことがない、見たことがないというなら

七つの子、

カラス なぜなくの カラスは山に、かわいい七つの子があるからよ

野口雨情は山のカラスの巣のひなを覗きに行ってきたというのでしょうか?

 

1 磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
  波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
  明日の日和は ヤレホンニサ なぎるやら

 

2 船もせかれりゃ 出船の仕度
  島の娘たちゃ 御神火暮らし
  なじょな心で ヤレホンニサ いるのやら

 

3 島で暮らすにゃ 乏しゅうてならぬ
  伊豆の伊東とは 郵便だより
  下田港とは ヤレホンニサ 風だより

 

4 風は潮風 御神火おろし
  島の娘たちゃ 出船の時にゃ
  船のとも綱 ヤレホンニサ 泣いて解く

  1. 磯の鵜の鳥ゃ 沖から磯へ
    泣いて送らにゃ 出船もにぶる
    明日も日和で ヤレホンニサ なぎる 

おまけ、七つの子の解説で

七つとは、七歳なのか七羽なのかという議論があると書かれていました

カラスの場合七歳はすでに成鳥ですよね

 

日本語では、七(なな)はいっぱい 八(や)は無限にという意味を含んでいます

したがって、七つの子はたくさんの子(雛)と考えます

度洗えば鯛の味

鰯のような生臭い魚も、よく氷水で洗って造りで食べると、鯛のように生臭さもなく食べられる。

 

七転び八起

いくら転んでもかまらず起き上がれ

(七回しか転んでいないのですから、七回しか起き上がれないので、八回起き上がれというのは、無理な話です)

 

七曲り

たくさんのカーブがある道

 

日本を称して八島の国と言いますが

八つの島がどれかという議論があります

陳腐だなぁと思うくまであります

おまけのおまけ

日本には数の数え方に二種類あります

いち・にぃ・さん・・・・じゅう。

じゅぅいち、じゅぅに、じゅぅさん・・・・

 

 

七をしち。八をはち。と読む場合少し違います

 

 

 

ひぃ・ふぅ・みぃ・・・・・・・・・なな・やぁと数えるばあい十以上がありません

とぅひぃ。とぅふぅ。とぅみぃ・・・・・

日本は日本語は

十以上の数が必要な集団生活をしていた遊牧民族・・・・のちに農耕民族と

八が無限な家族生活していた、狩猟民族の融合

 

日本人のルーツが、言葉も文化も違ったであろう、二つ以上の民族とが、争うことなく、、滅ぼすことなく仲良く融合した民族民族であることが理解されると考えています