遠くへ行きたい | 須坂動物園のくまひゃんのブログ

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動物園の関係者では、有りませんが、生き物なんでも大好きです。新しいことは苦手ですが、豊富な人生経験。年の功が誰かの・何かの役に立てばとの思いでブログをはじめたのですが、気がつけば若い方に励まされてばかり、感謝、感謝の毎日です。

皆さんは、いつか、訪ねてみたい。そんなところありますか?
私が憧れているのが「伊豆大島の波浮港」・「山形県天童市」・「茨城県北茨城市」。
同時に母の故郷仙台市。母方の祖母の故郷大船渡、母方の祖父の故郷陸前高田市
兄が生まれた山形県米沢市・・・・・いっぱいあるけれど
今は、夢また夢・・・・むずかしいなぁ・・・・

なぜか・・・・時間のない方は、スルーしてください
昔は歌謡曲・演歌今はJポップ・歌姫と表現されている、日本の大衆音楽の始まりはがいつか、昭和3年、1928年5月、野口雨情作詞・中山晋平作曲 歌手佐藤千夜子が日本ビクターから発売された「波浮の港」が大きな切っ掛けだったと思います
(その2ヶ月後の7月には藤原義江が同じくビクターから高額な赤盤レコードとして発売)

佐藤千代子については
日本の流行歌スターたち7  佐藤千夜子 に昭和3(1928)年、「波浮の港」でデビュー、天性の美声と相まって10万枚を売る大ヒット曲に。同年の「東京行進曲」で日本のスター歌手第一号となった、
と紹介されています。

そして、古賀政男はこの佐藤千代子に認められたことにより世に出ます
昭和4年6月、明治大学マンドリン倶楽部の定期演奏会に出演。同演奏会においてギター合奏で初演された「影を慕いて」に注目し。同年12月、ビクターで古賀正男(後の古賀政男)が作曲したマンドリン・ギター歌曲をレコード歌謡として「文のかおり」「娘心も」などを吹込んだことにより、作曲家古賀政男が誕生します
明治大学マンドリン倶楽部を結成したのが、古賀政男。彼を世に出したのが、佐藤千代子。そして、古賀政男は美空ひばりなどの大ヒット曲を手掛け、日本の歌謡界に君臨しました。

日本の歌謡曲第一号「波浮の港」
佐藤千代子さんのもあったけれど、録音よくないから、倍賞千恵子さんで・・・
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1.磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
明日の日和は ヤレホンニサ なぎるやら
2.船もせかれりゃ 出船の仕度
島の娘たちゃ 御神火暮らし
なじょな心で ヤレホンニサ いるのやら
3.島で暮らすにゃ 乏しゅうてならぬ
伊豆の伊東とは 郵便だより
下田港とは ヤレホンニサ 風だより


ウィキより
波浮港(はぶみなと)は、東京都大島町にある地方港湾。港湾管理者は東京都。
伊豆大島の南端にある港湾である。9世紀に起こった割れ目噴火口が海岸部まで到達し火口湖(マール)を形成した。元禄16年(1703年)の元禄関東地震の大津波で海とつながり、さらに江戸時代末期の1800年、秋広平六により崖を切り崩し、港口を拡げて現在の形の港として完成した。かつては、風待ちの港として遠洋漁業の中継基地としても栄えた。かつての繁栄を物語るように大正期の建物が残っている。また、利島行きの連絡船が出ていたこともある。 『波浮の港』 - 作詞野口雨情、作曲中山晋平 大ヒットして当地が有名になった。明治から昭和にかけて、多くの文人墨客が執筆や保養、観光等に訪れ逗留し、波浮港を題材にした作品を残した。波浮港地域の出身者に、レコード大賞(受賞曲「霧氷」)作詞家の宮川哲夫、民族学者の坂口一雄、画家の中出那智子、作家の石川好等がいる。


野口雨情・中山晋平は次回ということで・・・・


きょうのぶつぶつ
野口雨情の出身地は茨城県北茨城市。千葉に住む兄のお嫁さんは茨城の出身・・・・
大学の同級生にも土浦日大出身が何人もいたけど、茨城の人は、のんびり、のほほ~んとしていて優しいね