障がいの表記について | 須坂動物園のくまひゃんのブログ

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動物園の関係者では、有りませんが、生き物なんでも大好きです。新しいことは苦手ですが、豊富な人生経験。年の功が誰かの・何かの役に立てばとの思いでブログをはじめたのですが、気がつけば若い方に励まされてばかり、感謝、感謝の毎日です。

近年「障がい者」という表記を見かけることが、多々あるかと思います
公文書を除けば「障害者」と表現を嫌う傾向にあります

兵庫県宝塚市の中川智子市長は、元社民党の衆議院議員なので、嫌いな方は。その部分は割愛していただき
記事の、下の部分の、青字で大きく記載した記事だけは是非お読みいただければ、幸いです

宝塚市長「障碍」表記の使用表明 全国初、条例も文字変更
兵庫県宝塚市の中川智子市長は15日、市議会本会議の施政方針演説で、障害者政策などで作成する公文書に全国で初めて;">「障碍」の表記を使うと表明した。運用開始は今年4月からで、市条例の条文や担当課の名前も来年4月をめどに文字を改める方針。

 市や専門家によると「碍」には「旅路を妨げる」の意味がありハンディキャップのある人が行く手を阻まれているとのニュアンスが生まれる。「害」は災いや人に危害を加える意味があり障害者に問題があるようなイメージを生む。

 市長は「『障碍』本来の意味について知識を普及させ誰もが人格と個性を尊重し支え合う心のバリアフリーを推進する」と述べた。


補足
特に地方自治体において「精神障害者施設」を造ろうとするとき、地域住民の誤解から反対意見が出る場合が、多々あります
「これは、障害の「害」の字が、「他人に対し、もしくは他人が自分を」危害など
悪い結果や影響を及ぼす物事。「健康に害がある」「農作物に害を及ぼす」⇔益。
意味の言葉を表すから起きてしまう誤解により、生じている。
それに対し「碍」は、「ものにより自分自身、本人」の、進む道が塞がれていて、その手前で、悩んでいる、困っている人の姿を現す意味を表し。「ものが自分を]さまたげる、進行を邪魔して止める。という意味を表している。

これは、当用漢字に「碍」を入れなかった、文科省の怠慢によるものであります

また、「碍」の文字を当用漢字に入れるという議論は、今まで何度か国会で議論されていますが、なぜかいつも頓挫しています
それでいながらも、先日も、記事ににましたが、「スカンジナビア半島」は広辞苑ではすでに、(本来の発音に近いものに変えるという、こじ付けにより)「スカンディナヴィア」に変えてしまいました。
ならば、今後、ビール(蘭: bier)(英:Beer) ワイン(仏: vin、英: wine、伊: vino、独: Wein)はどうなるのだろう・・・・
おっと、脱線(冷や汗・・・・)


漢字が持つ意味と特に子供たちへの教育、及び社会生活に対する影響に対し、とても明確な、記事を見つけましたので、ご紹介させていただきます
以下は、ぜひお読みいただき、ご理解いただければ、幸いであります


[随想]
「障害」は「障碍」(「障礙」)と表記すべきである
耳鼻咽喉科  熊田 政信

 昭和22年11月16日、敗戦後のどたばたに乗じて公布された「当用漢字表」は、漢字の使用を僅か1850字に制限するという理不尽なものでした。
この漢字制限の本当の目的は将来的に漢字全廃を目指すことであり、1850字という数字には何ら合理的な根拠はありませんでした。 この不合理極まりない漢字制限が日本語に与えた弊害は甚だしいものとなりました。
例えば「耳鼻いんこう科」「口くう外科」といった、小学生が書く様な、幼稚なかな混じりの熟語表記を生み出したのと同時に、「書き換え」という、こちらは幼稚というレベルでは語れない非常に深刻な問題を日本語に発生させました。
「書き換え」とは、例えば「義捐(ぎえん)」という単語を、「捐」という字が当用漢字表にないという理由からそれと音が同じ「援」で書き換え、「義援」と表記することです。 「捐」という漢字は、「すてる」「なげうつ」という意味です。 つまり、「義捐」とは、非常に大切なもの(例えばお金)を、とても惜しいけども義のためとあらばなげうとうという、非常に葛藤に満ちた言葉なのです(高島俊男「お言葉ですが・・・」文春文庫)。 ところが、「義援」と書いてしまうと、義捐という葛藤に満ちた行為を非常に奇麗事にしてしまい、また、義捐を受ける側にもなげうった人の葛藤を察っしにくく、その分感謝の気持ちが少なくなる様な気が私にはしてなりません。
 さて、「障害」という単語もこの「書き換え」による産物であります。 この単語は本来は「障碍(障礙)」(「礙」は「碍」の正字)と表記されるべきものです。 「障」「碍(礙)」ともに「さしつかえる」という意味の単語で、何かことを行うときにさしつかえてしまうことを指します。 (なお、このように同じ様な意味の漢字を二つ並べて熟語を作る例は漢語には多く見られます。 例えば「咽喉」という単語の「咽」「喉」はともに「のど」を意味します。) ところがこれら二つ重なった自動詞「さしつかえる」のうちの一つ即ち「碍(礙)」の方が当用漢字表からもれてしまったため、「書き換え」が行われました。 つまり、「碍(礙)」と同じ音の「害」が当てられたのです。 (なぜこの漢字が書き換えに用いられたかはまだ私は確認しておりませんが、恐らくは「傷害」という単語からのアナロジーであったと推測しています。) 「害」とはものごとを「傷つける」という他動詞的な漢字であり、他に対して危害を与えることであります。 従って、この漢字を含む単語は、「害虫」「災害」「有害」等、あまり好ましい意味にはなりません。 この書き換えを定着させた人々は、「障碍」が他者に害を及ぼすものであるとでもいいたかったのでしょうか。 このような乱暴な書き換えが何者かによって行われそれが現在も何の疑念もなく使われていることに私は非常な憤りを感じるものであります。
 当用漢字表に代わって昭和56年3月23日に答申された「常用漢字表」では、漢字の制限を単なる漢字使用の「目安」とし、「科学・技術・芸術等の各種専門分野や個々人の漢字使用にまで立ち入ろうとするものではなく、従来の文献などに用いられている漢字を否定するものではない。」と明記しています。 このセンターの名前も、一刻も早く「国立身体障碍者リハビリテーションセンター」に表記を変えるべきと私は考えます。 (ついでに、我が科の標榜も、「耳鼻いんこう科」ではなく「耳鼻咽喉科」にして頂きたい!)



70年もの長い間、こんな簡単手続きで可能なことをしないくせに、昨今、にわかに、国民投票が必要な憲法改正、教育基本法の改正が議論されようとしています。
改正の意味や意義、目的は国民に庶民に寄り添ったものなのかどうか、不安を抱くくまであります。

勿論、国民が認めるものであれば、改正するべきであります。が
その前に、やることあるだろう!