沖縄県民投票 | 須坂動物園のくまひゃんのブログ

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動物園の関係者では、有りませんが、生き物なんでも大好きです。新しいことは苦手ですが、豊富な人生経験。年の功が誰かの・何かの役に立てばとの思いでブログをはじめたのですが、気がつけば若い方に励まされてばかり、感謝、感謝の毎日です。

新聞が書かないので、ちょっと真面目に書いてみました。
沖縄のお話ですから、興味のない方はスルーしてください

本州(沖縄風にいえば本土?)
ではほとんど話題にも上っていませんが

平成31年2月24日(日)に
那覇市そして沖縄県が「5898万9千円」の税金を投入して
沖縄県では、普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に計画している米軍基地建設のための埋立てに対し、県民の意思を的確に反映させることを目的として、県民投票が実施されます。


投票方法

普天間飛行場の代替施設として国が名護市辺野古に 計画している米軍基地建設のための埋立てについて

賛成の方は賛成の欄に〇の記号を、

反対の方は反対の欄に〇の記号を、

賛成又は反対のいずれでもない方は、
どちらでもないの欄に○の記号を、


私が、賛成か反対かを述べても対岸の火事。何の意味も持ちませんが
少なくとも、税金が使われる限りは、投票の意味、価値に対し、意見と懸念を述べておきたいともいます

私は、地元の住民の民意を尊重することが何よりも重要であると考えますが、なぜか、県全体に是非を問う県民投票であることに対し疑問を抱いています
 
また、上記の選択肢、賛成、反対、どちらでもない三択であること。
(那覇市以外の方は、どちらでもないを選択する可能性が高い)

一番疑問なのは、投票の意味と効果であります
「県民の意思を的確に反映させることを目的」
とうたいながら

以下の条例に記載されているいるとおり
◎知事はその結果を尊重しなければならない
◎アメリカ合衆国大統領に対し、速やかに県民投票の結果を通知する

尊重および通知ですから、何ら法的拘束力を持ちませし
「県民の意思を的確に反映させることを目的」とはかけ離れているように思いますが、何のための投票なのでしょうか?
税金を無駄に使うだけのような気がしています

資料
「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票条例」の第10条(投票結果の尊重)の条文第2項に
「県民投票において、本埋め立てに対する賛成の投票の数又は反対の投票の数のいずれか多い数が投票資格者の総数の4分の1に達したときは、知事はその結果を尊重しなければならない。」
また同条文第3項には
「前項に規定する場合において、知事は、内閣総理大臣及びアメリカ合衆国大統領に対し、速やかに県民投票の結果を通知するものとする」とあります。

もう一点
今回の投票の特徴の一つ
「投票資格者の総数の4分の1に達したとき」という項目であります
県民投票において、本件埋め立てに対する賛成の投票の数又は反対の投票のいずれか多い数が投票資格者の総数の4分の1に達したときは、知事はその結果を尊重しなければならない。

投票資格者の総数=(選挙の投票者数ではなく)有権者数

これを前回おこなわれた沖縄県知事選挙に当てはめてみます
有権者数1,146,815人 投票率63.24%
移設反対派の玉城デニー 氏が 396,632票
移設賛成派の佐喜眞淳 氏が 316,458票
上記結果を今回の、投票率ではなく上記条例が定める「投票資格者の総数の4分の1(25%)」に当てはめると
移設反対派の玉城デニー 氏は約34.6%
となるのですが、(上記で指摘いたしましたが)
賛成、反対、どちらでもない三択であり、地元住民以外の方は、どちらでもないを選択する可能性が高いことを想像すると、賛成・反対どちらも4分の一(25%)の
286.704票には届かないことを予想しています。




私の勘違い、間違いであることが望ましいのですが、結果は如何に。


おまけ。
私は、とても長い間民主主義における決定方法「多数決」に対し、疑義を抱いてきました。しかしそれに変わる最良の方法は今のところ見当たりません。
数年前、確か?横浜市長選では投票率38%しかなく、最高得票者が選ばれましたが、有権者の15%ぐらいで市長が選ばれていました。
これも「多数決」
今回の沖縄は「投票資格者の総数の4分の1」という条例を制定しました
これも「多数決」

過半数ではなく、多数決。
時には、反対する理由に20も30もの意見があるのではないだろうか?
議会や委員会の議決時に、特別に付け加える「少数意見の留保」
( 採決の結果、少数であったために、廃棄された意見を考慮して、施策や予算を行使すること)という但し書きが認められています。
地方議会においては、時々見かけますが、国会の委員会においてはほとんど見かけません。意地のぶつかり合いだけではなく、歩み寄りも大切ではなかろうか