どりこの焼き | 須坂動物園のくまひゃんのブログ

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動物園の関係者では、有りませんが、生き物なんでも大好きです。新しいことは苦手ですが、豊富な人生経験。年の功が誰かの・何かの役に立てばとの思いでブログをはじめたのですが、気がつけば若い方に励まされてばかり、感謝、感謝の毎日です。

真冬日にこたつで温まりながら、食べるお話。


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皆さんはこのお饅頭(お菓子)を見たときに、なんという名前が頭に浮かびますか?

くまは「どりこのやき」・・・・・

皆さんはなんという名前が頭に浮かびますか?

解説によれば

正式名称を「今川焼」と言い?
その地方々で 二重焼大判焼回転焼太鼓饅 など々の呼び方があるお菓子。

(この記事を書いた人は、広島か島根・山口出身だということが良くわかります)

とあり、地域・地方、また有名なお店により、さまざまな名前で呼ばれていました。

   

どりこのやき・・・・どりこ?って何?

検索してみました。

 善光寺から駅へと続く通り沿い。門前でも駅前でもない場所に、「長野名物 元祖 どりこの焼」というでっかいのれんつきの店があります。いつも気になっていましたが、長野名物にしては、ほかの場所で見たことがありません(あったら教えてください)。思い切って「どりこの焼」を買うことにしました。
1個は75円で、予想通り、今川焼のようなあずきの入った食べ物のようです。店に入ると、おじさんがゆるやかなスピードで奥から登場。あらかじめつくってあった、ぬるい「どりこの焼」をくれました。
思い切って、「どりこの焼」の由来をおじさんに聞いてみると、「父親がつけたので分からない」といわれてしまいました。父上は故人のようで、由来はヤミの中です。味はやっぱり今川焼のような感じで、つぶあんがおいしかったです。店内にはイスと机がありますが、1人前(5個)食べないと座ってはいけないようでした。座るのもたいへんです。ちなみにだれもいませんでした。

どりこという言葉ですが、車で走っているとき、須坂に確か「どりこ」という居酒屋風の店があった気がします。そうすると、「どりこ」の焼なのでしょうか。



ちなみに、くまが子供の頃、上記のお店との関係は分かりませんが

須坂市ににもどりこの焼を売るお店がありました。

どりこの - Wikipedia より抜粋

どりこの昭和時代 前期に大日本雄弁会講談社(講談社 )から発売された、滋養強壮 を謳った清涼飲料水

医学博士 髙橋孝太郎 は疲労回復のための研究を行っていた。そんな折、栄養補給にブドウ糖 の摂取が最も効率的であるとする、高名な生理学 アーノルド・ドーリック de:Arnold Durig )の論文にヒントを得て、5年の歳月をかけて「含糖栄養剤」(1927 (昭和2年)1217 特許 取得)という飲料水を開発し、「どりこの」と命名する

どりこの」の名はドーリックの「DURI」、髙橋孝太郎のイニシャル「KO」、一番弟子の助手の中村松雄 のイニシャル「N」、さらに3人の助手に共通するイニシャル「O」をつなげたものである。「どりこの」の原料は砂糖 グルタミン酸 であったが、髙橋は製法を秘密にしていたことに加えて、関係書類をすべて焼却してしまったため、詳細は不明である。

色はヤクルト の色に近い琥珀色 で、成分の大半がブドウ糖と果糖 という非常に甘いものであり、カルピス の様に水や牛乳で薄めて飲用した。髙橋は「どりこの」を商品化する考えは持っておらず、病人や肉体疲労時の健常者などに分け与えていたが、その味にひかれた人々がこぞって「どりこの」を求めるようになる。個人応対では対応しきれなくなり、1929年(昭和 4年)に、銀座三越 資生堂パーラー で販売されるようになる。三越では濃縮液の状態で195銭という大変高価な価格にて販売されていた。

1929年(昭和4年)9月19 、当時講談社の社長だった野間清治 が髙橋邸を訪れ、「どりこの」を初めて試飲した。甘党 でもあった野間は「どりこの」を気に入り、翌1930 (昭和5年)に髙橋と販売契約を結び、12月1 に「大日本雄弁会講談社商事部(当初は代理部)」から全国での販売が開始された。一ビン450㏄入りで120銭と、牛乳が一ビン6銭、コーヒーが一杯10銭程度であった(1銭硬貨は現在の100円前後の貨幣価値があり、1円札は現在の1万円前後の紙幣価値があった)時代としては破格の値段であった。


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昭和の初めごろ、坂付近に「どりこの」という名の清涼飲料水を開発した医学 博士が屋敷をかまえたので、誰いうとなく「どりこの坂」と呼ぶようになったといわれている。それまでは池山の坂といっていたという。


設置者: 大田区 設置日: 昭和六十年三月 ..

この「どりこの」が匂うのですが、詳細は不明です。