北信濃の偉人達 3-1 | 須坂動物園のくまひゃんのブログ

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動物園の関係者では、有りませんが、生き物なんでも大好きです。新しいことは苦手ですが、豊富な人生経験。年の功が誰かの・何かの役に立てばとの思いでブログをはじめたのですが、気がつけば若い方に励まされてばかり、感謝、感謝の毎日です。

演歌晋平からまった


中山晋平は善光寺平の北、千曲川下流東側山麓の長閑な丘陵地帯にある日野村(現中野市)の出身。

近年、この日野村の一番標高の高い処に、日帰り温泉施設の”ぽんぽこの湯”が造られました。くまひゃんは、ここの露天風呂からの眺めがとても好きです。(安いんですよ)

西に善光寺平、その真中には千曲川が遠々と流れ、目を上げると、その先には北信五岳の山々(飯綱山、戸隠連邦、黒姫山、妙高山、斑尾山)が個性豊に聳えています今ごろの季節は、特に夕焼けが最高です)

先日もキノコ狩りの帰りに(いつもの”湯っ蔵んど”ではなく、気分を変えて) チョッとひと風呂。船頭小唄など、口ずさみつつ・・・・晋平(先生)もこの眺めを思い浮かべながら作曲したのかも・・・と・・・・安息な時間を過ごしてきました。


船頭小唄。1921年(大正10年)

 作詞 野口雨情(18821945

 作曲 中山晋平(18871952)。


 己は河原の 枯れ芒
  同じお前も枯れ芒
  どうせ二人は この世では
  花の咲かない 枯れ芒
 
  死ぬも生きるも ねえお前
  水の流れに 何變ろ
  己もお前も 利根川の
  船の船頭で 暮さうよ
 
  枯れた眞菰に 照らしてる
  出島の お月さん
  わたしやこれから 利根川の
  船の船頭で 暮すのよ


 芒(すすき) 變(「変」かわ) 眞菰(まこも) 潮來(「潮来」いたこ)


 私の小中学校時代は、歌謡曲やフォークソングなどをお昼の放送に流す事や、バス旅行などの時の、歌集に入れる事が禁止されていましたが、今は如何なんでしょうか?

 この時代はこうしたはやり歌を、学生が歌うことさえ禁じていたと、聞きます。でありながら、テレビも、ラジオも雑誌さえ、ろくに無い時代、どのように拡がって行ったのでしょうか。

 この歌のヒットから、日本独自の音階であるヨナ抜き音階は、大衆に受け入れられ、指示され、特に演歌として成長します。演歌は晋平から始まったと言えます。