山親父の日記 -556ページ目

ラグビー人生15

花園初出場で初優勝したチームは未だに無いと思います。

その記録は作れませんでしたが、初優勝に向けて新チームはスタートしました。
キャプテンは予想通り平長音記号2誠二さん、副キャプテンは西口のさとしさんに決まりました。


新チーム最初の大会は春休みに和歌山で行われる、近畿大会新人戦の府予選から。

私と清水は無事一本目に入り、私は前キャプテンのケロさんの付けていた5を、清水はWTB。

二年生13人一年生2人の布陣でした。

いや~、このチームは春から強かった。失礼な話府予選の最初の方は着替えてグラウンドに整列して初めて対戦相手を知ったり、下手すると、試合が終わってから、「ところで相手はどこだったん?」なんて人がいました。


府予選を無事に済ませて、京都代表としてチューリップ赤園高校と共に近畿大会に駒を進めます。


一回戦天理教高と河川敷の石がゴロゴロの、この年になったら絶対やりたくないようなグラウンドでした。


ここも無事に勝ち上がり、いよいよ決勝戦、宿命の大阪工大高です。


どしゃ降りのなか行われた決勝戦まさに一進一退でした。


結果は8対10で惜しくも準優勝でした。


悔しかったですね。みんな全国大会のように泣き崩れました。

私とロックを組むT中U司さんは182センチ80キロ位、私が180センチ82キロ。


対する工大のロックは両方共その年の高校ジャパンでした。

特に私の対面の現大産大監督の柳さん、189センチ86キロとかあって、とにかく身体を大きくしなきゃやってられないなと痛感しました。


この試合で、敵ボールのラインアウト。雨のせいでファインキャッチできなかったボールが、スクラムハーフの立っているところと、タッチラインの間にベチャリと落ちたんですが、


このボールに私、無我夢中で相手ラインを突き抜け、フロントセービングしたんです。

これも今でもその状況を克明に覚えています。
何でこのボールにこれ程執着したのか?特に大事な局面でもなかったんですが、

両チームのFWが、私に群がって口の中に泥水がばしゃばしゃ入ってきた記憶があります。


この試合親父がわざわざ見に来ていて、


親父は私のプレーを一切誉めた事がなかったんですが。


私が33の時親父は亡くなるんですが、死ぬ一週間前に病院に見舞いにいったとき。



このプレーをだけは誉めてくれました。


いきなり
「高2になる年の近畿大会でお前は相手選手の足元にためらい無く飛び込んだ事があったろ、あれは本当に勇気のある良いプレーだった。」

と、



親子で印象に残ったプレーでした。


親父あれを見ていてくれたんだなーと直ぐに分かりました。

皆さんも静かに!!

かみさん寝てます、ワンコも静かです。





そっと、かみさんの横でねます。



後頭部血が止まった様です。












この続き聞きたい?

それでは皆さん

今からうちに帰ります。大丈夫かな?