悟りとは その113 『細道』 | 岐鑑の悟りブログ

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悟りとは その113 『細道』


私は十三年前の津波で妻と息子を亡くし、それから私は仕事の合間、時々お寺を訪歴して心の慰めにしている。 たまには著名な先生の講義などを聞きに行き彼らの人生観などを聞き回った。 しかし、私の心の中の葛藤は止まなく、あの三月の日、私にはもっと何か妻と息子を助ける事が出来たのではないかと後悔が浮かびその都度涙が流れた。 私の心に平安をもたらしたいと願っている中、ある日、山奥のお寺でお坊さんの集会があり一般人も出席を許されていると聞いたので行ってみた。 かなりの僧が集まっており、時々若い僧が手を挙げ高僧に質問している。 私にはそれらの質問とか答えは正直言って良く理解できなかった。 最後の方で、司会の方が一般の方々からも質問が有りませんかと聞いたので、中年の女性が手を挙げ、厳かにまたうやうやと質問をた。 驚いた事に彼女の質問は私と同じく、津波で子供を亡くしたが、どうしてこのような悲惨な事が起こるのでしょうかと言う質問と彼女がこの悲劇に対して如何に対処して良いのかと言う質問だった。 私は耳を傾けた。 ちょっと間を置いて一人の高僧が話し始めた。 因果関係の話しから始まり地球の自然環境の繋がりを提唱してその複雑性を解き、最後にはこれらの因果関係の奥底、微細なレベルは一切智であられる仏が知る処であり、我々は強い意志を持ち正しい態度と心を持ち問題解決法に向かう事が重要だと教えが終わった。


このお坊さんの教えは尊いと思ったが、私の心の奥底ではまだ悩むものがあった。 私が心から知りたかった想いは、一切智を持っている仏であれば、どのように我々が経験する悲劇を受け止めて、どのようなお言葉を我々に授けられるのかであった。 私は思った、津波でなくても日頃清く流れる川が氾濫すれば人は死ぬ。 我々はどうしてこのような苦しい想いをして生きて行かなければいけないのか。 そう思うと心が重く、答えが欲しかった。 時には死んだ方がましなのではとも思った。 高僧が言う無になり一切智になるとはどのようなものなのであろうか、私には到底辿り着けない境地だろうと思った。 どうすれば良いのだろうか。   


私は奥山を下る帰り道、細道を歩きながらずっとそのような事を想っていた。 木が生い茂り、空気がひんやりしていてちょっと湿っけもある。 細道はくねっていて先が見えない。 その道の両脇には小さな白い花がポツポツと咲いて私を死の道へと誘っているように感じた。 寂しさが漂っていて、私の足は重たかった。  


どのくらいの時間が過ぎたのだろうか、私は私の想いに耽っていた。 その時、突然光が射し、サッと暖かい空気が私の胸を打つように流れ過ぎた。 私はハッと思い、ふっと頭を上げると夢から覚めたように私の目の前には高原が広がっていた。 光が当たり草や花がキラキラと輝いている。 私は生き返ったように感じその風景を見ていた。 その景色は錦で飾ったように輝いており、草花が映えており、緑木も深々としていた。 何故か感謝の気持ちが溢れ出て、私は自然と拝んでいた。 


あれから十年程経つが、あの時、どうして私の胸にさっと暖かい空気が走ったのか未だに分からない。 でも、あの高原の景色は忘れてはいない。 光に照らされている全てのものが錦のように輝いていた。 それ以上に、あの時『ハッと』感じた一瞬、私は時間を忘れており、思考が無く、時間も無かった事を体得できた。 ほんの一瞬と言う経験であったが、私には一切智と言うものが感じられ、私はこの一瞬にて覚っていた。 草花や木が錦に輝いていたのは、この一切智と言う心が

目の前に広がり、光でもなく、私と言うものでもなく、『一切智』自体が錦として現出している事を感受出来、一瞬と言う世界で私『一切智』そのものに成っていて、私の目からは一粒の涙が流れていた。  


この経験が私に安心(あんじん)をもたらし、私の心には因果とか運命とか言う思考はなくなってる。 『今』の私には、ただ生きていると言う『錦』でしかない。 


後書き

碧巌録第82則 大龍の堅固法身

『山花開いて錦に似て、澗水(かんすい)湛(たた)えて藍の如し』