最後の決意(昭和20年8月11日〜15日) | 航泊日誌

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前回の続きです。

戦争録からの宇垣中将の気持ちの変化、決意を知れたらと思います。

宇垣中将はいよいよ太平洋戦争は敗戦間近と認識しているところから達観する時期に入ります。まさに15日の特攻を決断しています。また、ポツダム宣言受託については驚愕していることもうかがえるのが興味深いです。

 

8月11日 土曜日 晴

朝食後より警戒警報かかり終日うるさく一部は本方面を攻撃せり。昨日関東方面を攻撃せる敵機動部隊の消息本日得られざるも通信活発にして沖ノ鳥島方面に迫り北北東に進行中の台風(720粍)を回避せる算大にして間も無く当方面に出現し来るや。

昨今日を以て離別の印として各幕僚に一枚宛と考え揮毫中、度々総員退避を喰いたるも漸く完成するを得たり。

而(しか)して午後に及び最もいまはしきニュースを情報主任目の色を変えて持参せり。曰く、

 サンフランシスコ放送・・・日本は、裕仁を基盤とする条件の下にポツダム宣言に対しその他無条件降伏を申込り。

 時間若干後・・・戦略爆撃作戦部隊司令官(在マリアナ)は日本がポツダム宣言に対し回答するまで原子爆弾の使用を中止す。

嗚呼!何事ぞ火の無所煙は立たざるべし。本早朝受信せるGB電令は決号作戦準備の如何を問わず敵の機動兵力に対しては積極的攻勢を執り、また沖縄方面に向かっても攻撃を強化すべく下令あり。従来執り来れる決号に拘束せられたる編成をかねていうがごとく已むなく脱却せるものとして一時士気の高揚を見たるが、前記ニュース受領後幕僚の日吉に連絡せる所によれば敵の宣伝と思惟せる本件を朧気ながら裏付けるが如き言あり。斯かる重大事項を何故に全責任を帯ぶる長官に一言せざるや。小輩などに之を秘して半信半疑の前記放送は、余をして甚しき驚愕を感ぜしめたり。

既に本土決戦まで追い詰められて本準備に集中して余念無き時、米の原子爆弾に依り衝撃を受け更にソ連の参戦となり状況は一層不利となれるも、これらに対し、策無きに非ず、而も我には猶(なお)充分なる戦力あり、只制肘せられて発せざるのみ。

況や大陸内地には多数の陸軍部隊現存するに非ずや、如何せ敗るるならば窮地に陥らず余力を存して降伏すべしとは一部怜悧者の見解ならんも、かくの如きは徒らに目の前の利に走って国家の前途を深慮せざる所謂我利の弱者に過ぎざるなり。

若(も)し今にして斯かる挙に出でんも敵の執るべき道は同一にして何ら斟酌(しんしゃく)の余地無く全敗の結果に終わる事明なるのみならず、国民全部をして開戦の深刻なる経験を味はしむるに至らず、一部の巧者は反りて焼け膨りの情勢となり伝統の日本精神を根本的に覆し、而も将来この長恨を報復するの気概を失い、遂に前途暗澹たるに至らしむるは火を見るよりも明なるところにして皇国の前途を全く誤るところなり。矢弾尽き果て戦力組織的の抗戦不可能とするに至るも、猶天皇を擁して一億ゲリラ戦を強行し決して降伏に出づべからず。

この覚悟徹底せば決して敗るるものに非ず、遂に彼らをして手を焼きて投げ出してならしめ得べし。即ち「道通天地有形外」なり。

而して長官としての余個人にとりてもまた大いに問題あり。大命もだし難きも猶此の戦力を擁して攻撃を中止するが如きは到底不可能なり。決死の士と計りて猶為すべき処置多大なることを思う。かねて期したる武人否武将否最高指揮官の死処も大和民族将来のため深刻に考究するところ無くんばあらず。身を君主に委ね死を全道に守る覚悟に至ては本日も更めて覚悟せり。

本朝09発軍令部総長の親展電はソ連に対戦しつつ主敵米撃滅に邁進し巷間の類説に捉われざるようとの注意あり、関連せる奉勅命令に於いてもこの疑念なきをを夜に入り知り大いに安心せり。然るに特情班は猶

日本政府は降伏を申込りとの放送を聞き倫敦市(ロンドン)の戦勝祝の実況放送、真珠港(真珠湾)また自動車歓喜の警笛吹鳴を報ずと云う。

原子弾の使用、ソ連の対日宣戦に基づく歓喜的宣傳(せんでん)と見て我ら迷うること無く一路邁進すべきのみ。

 

*この時点で5AFは全力出撃3回分の燃料しかありませんでした。邀撃自体に制約を課していた状態で厳しいを通り越して最早戦闘不能になりかねない状況でした。

*この日を以て宇垣長官は特攻を決意しているところですね。しかし、政府への不信から起因していることや海上護衛総隊の命令との完全に正反対の命令のおかげで継戦支持に頑固的に信じることになってしまっています。

 

 

8月12日 日曜日 晴

海軍大臣軍令部総長は連名を以て部内に対し「ソ連の参戦は一層国家危急の時となれり。最後の一人までも奮闘すべきなり。然るところ政府は連合国に対し和平交渉を開始せるが世論に惑わず統制を完うして国策方針に合致する様」の訓示を各長官宛発せり。

之により是を観ればこの種の交渉あること正に確実となり不愉快至極なり。しかして後刻外放送は「裕仁及びその子孫の位置継続を認めず、要求を拒否せり」と報ずるに及びさっぱりしたる気持なり。

一方のGB長官よりも親展電を以て強固なる決意の下に既定の作戦を強行すべき旨電あり。何と無く内輪破れの感ありて政府の交渉は別個の瀬踏みと見放すべしと云うが如し。

敵kdb依然本州東方に在り。

ソ連はハイラル、黒河を包囲し北鮮に進入、また羅津に上陸せりとの報あり。巡洋艦3隻を主軸とする艦隊は南又は南西に行動開始せるが如しの情報により夜間索敵を行う。

敵機の来襲止みたる後1545発にて別府病院に赴き金歯最後の仕上げを行い何が起きても可なる如く構えたり。

戸塚軍医学校長金井少将外2名兵食一割減に対するやり方を以て講和に来る。

夜作戦会報を開き6航軍に連絡せる参謀の帰還報告を聞く。決号に対する計画一向に進みおらずと憤慨す。

 

*この時から海軍首脳部の足並み揃っていないところに達観の感で記載しているのが分かります。

*対ソで夜間索敵を出していまして、ソ連艦隊を攻撃できる機会があればする可能性を匂わせています。

*決号作戦準備が一向に進んでいないという嘆きがあります。

 

 

8月13日 月曜日 晴

0630守弘参謀副長随行大立に於ける新艦隊司令部の新壕陣を視察す。12空廠既設の壕にて中々広大3AF、6AF司令部の移動にも備え準備中なり。

第3、4、5、6、7區(く)決号作戦警戒のGB電に接す。蓋(けだ)し本朝0630より沼津方面迄的kdbの攻撃を受け犬吠岬距岸100浬付近に四群あり。又その東方南方共に相当部隊の行動を探知せるなり。沖縄方面亦(また)輸送船の集中を見るに於いて本発令ありたるものと認む。

天航空部隊指揮官たる余に対し対kdb兵力の中部方面集中及び一般航空作戦指導に関する命令あり。又水中特攻の一部を東海方面の移動命令もあり。ソ連の参戦と共に敵は東西に上陸するの算を増したるに依る。

未だ連合航空艦隊の編成を見ざるをも昨日を以て10AFを本日723空を夫々(それぞれ)天航空部隊の指揮に入らしめ、全般は此の趣意により動き來れり。

本朝来外国放送はまたまた日本の修正条件に対し研究中にして24時間以内に回答せらるべしを傍受し、又グアムのニミッツは国際符号にて東京局を呼びスイスを介するは時間を要するを以て平英語にて通信すべしとなし電波を指示せり。なんたる侮辱の態度ぞや。

天皇存続の申入に対し米大統領の支配下に置くの修正案に対し24時間以内に日本より回答なしと云うが事実なるが如し。

夜に入りて沖永良部島見張所より敵艦船65隻西方を北上すと言い又午前の陸軍司偵もその南方に相当数の艦船を発見しあるに依り、大島方面に侵攻し来るものと判断、夜間索敵を実施せしむ。

昨夜天山の沖縄攻撃2隻を屠り今薄暮過喜界島より爆戦は艦艇及び空母に各1体当たりせる事概ね確実なり。

三航艦を以てせる昼間対kdb攻撃も2隻を炎上せしめたるが如く、更に天山4機を以て夜間之を仕止める様命じたり。

余の後任者たる草鹿中将本日午後厚木を出発するを得ず1日行動延期となれり。決号警戒中にてもあり、敵情に依りては大和及び木更津通信施設の不完備に鑑み本職現職のまま当地に在りて天航空部隊を指揮するを有利と認めらるるに依り当方より連絡するまで交代発令を見合わされたし旨人事局長宛親展電を発し置きたり。

逼迫せる状況下の長官交代も相当頭を悩ます所なり。

 

*交渉がかなり大詰めという認識を持ち出した宇垣長官ですが、引き続き索敵と攻撃を実施しています。

*喜界島からの特攻はこちらを参照

 https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/327004

*このタイミングで草鹿中将が鹿屋に来ることができたらどうなったんでしょう??

 

 

8月14日 火曜日 晴

壕陣に横はりて夜を徹するも終に確たる夜間敵情を得ず。

午前の陸司偵は坊ノ岬の240度180浬付近に巡1、駆敷、輸30の南下を発見、1400判明し急速索敵を命じたり。彩雲例に依りて稼働充分ならず、敵を発見せず。在国分彗星3機の索敵攻撃も要領を得ずして終わる。又夜間水偵の索敵も敵を捕捉せざるも昨今敵の若干部隊東海に陽動しつつあること概ね察知せらる。

関東方面kdb依然行動しつつあるも本日艦隊を捕捉せず、三航艦司令部も骨を折りつつあり。

一方ソ連の艦隊出撃に対しGBより速やかに撃滅すべき要求あり。

先決問題として敵を捕捉するにあるが他隊の協同に俟(ま)たざれば実情之を許さず。

関東方面不連続線南下の為天候不良なり。当地東方を通過北上せるB29 200機は岩国方面を攻撃したり。夜に入るまで待ちわびたるも終に草鹿中将到着せず。

本日外国放送は帝国の去就につき種々伝えつつあるが総合するに降伏受諾に近づきつつあるが如し。又回答至るまで原子爆弾の使用を中止し、マッカーサーは東京乗込の準備を為しつつ等報じ、暗澹の気分拭え共去らず。

夕方大分市長三好一氏来訪す。同氏は戦死せる三好輝彦少将の実兄にして陸軍中将なり。後日歓談を望めるもその機会は余は得られざるべし。

 

*索敵がうまくいっていないため、攻撃ができていない不満が感じられます。彩雲の稼働率が低くなっていることもここでわかると思います。本土決戦は絶対にうまくいくはずが無い状況というのが分かると思います。

大和魂を残して国土・国民が無くなったら一体全体誰がその大和魂を受け継ぐのやら。そこの認識が非常に甘いと思います。

*岩国空襲について

 https://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/detail/19/

 

 

8月15日 水曜日 

昨夜半GBは決1、2、11、13号警戒を下令す。之にて本土四周全部警戒となる。又GB参謀長は特に当隊に対し敵本土上陸近しと警報する所あり。機動部隊の執拗なる行動及び之に続く東西の攻略部隊らしきものの策動を認むるも、本土上陸決戦に非ず。寧ろ我降伏提案の時機に投じ四周より虚勢を以て我屈服を促進せんとするに帰するものと認めあり。

間も無く呉鎮を通じGBは当司令部に対し対ソ及び沖縄積極攻撃を中止すべく命ず。ますます降伏を裏書するに似たり。最後まで戦うべきに本指令は我意を得ざるなり。

外国放送は帝国の無条件降伏と正午陛下の直接放送あるを報じたり、ここに於いて当基地所在の彗星特攻5機に至急準備を命じ、本職直卒の下沖縄艦船に特攻突入を決す。

正午君が代に続いて天皇陛下御自ら御放送披遊。

ラジオの状態悪く、畏多くもその御内容を明にするを得ざりしも大方は拝察して誠に恐懼これ以上の事なし。新人を受けたる股肱(ここう)の軍人として本日この悲運に会す。斬鬼之に如くものなし。

ああ!

参謀長に続いて城島12航戦司令官余に再考を求めたるも後任者は本夕刻到着する事明にして爾後の収拾に何ら支障無し。未だ停戦命令にも接せず、多数殉忠の将士の跡を追い特攻の精神に生きんとするに於いて考慮の余地なし。

顧みれば大命を拝してより誠に6ヶ月、直接の麾下及び指揮下各部隊の血戦努力においては今更呶呶(どど)を要せず、指揮官として誠に感謝の外無し。又陸軍航空部隊及在台湾海軍航空部隊との協同全きを得たるを喜ぶ。

事ここに至る原因においては種々あり、自らの責亦軽しとせざるも、大観すれば是国力の相違なり。独り軍人たるのみならず帝国臣民たるもの今後に怒るべき万難に抗いし、益々大和魂を振起し皇国の再建に最善を尽し、将来必ずや此の報復を完うせん事を望む。余又楠公精神を以て永久に尽くす所あるを期す。

1600幕僚集合、別盃を待ちあり。之にて本戦藻録の項を閉づ。

 

*降伏はわかっているけど、受け入れがたいというのが分かります。しかし、玉音放送でのお言葉では反省の意を表していますが、それでも特攻させてきた将兵の元へ行くべく特攻機5機を命じています(中津留大尉の操縦する彗星43型に搭乗)。実際は11機が発進することになります。

*8月16日16時に発せられた大陸命第1382号および大海令第48号を正式な停戦命令とする場合もあり、この行動は個人的発露とみなされないということもありますが、米内海軍大臣と小沢連合艦隊司令長官はこの行動には反対しており大将進級はできないことになりました。

 

決号作戦の実行の決意は大きいものの、実際準備が一向に進んでいない事が敗戦へ近づいているという現実を見せつけられていたと思います。最後の特攻出撃は賛否あると思います。ここでは所見なしとしたいと思います。