2022.1.31更新

 

玉利喜造『増補 養蜂改良説』第五版, 1912(明治45),有隣堂書店
国立国会図書館デジタルコレクション
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1083965

 

◎注

・これは 前 中 後 のうちの〈中〉です。

・注は〈前〉をご参照ください。

 
以下本文。
 ↓
 
 巣箱

本書改良説の第一主眼はすべて第一章にある。ゆえに、我が養蜂家で従来行われる釘附箱は樽(固定巣箱)を廃し【五十八頁】て、今ここで述べる転換巣箱に改めるのでなければ、幾百遍此の書を読んでも最後まで利するところはない。さて、改良巣箱を転換巣箱という所以は、その箱の蓋、底、板、および箱胴の三個は彼我少しも釘を使わず、底板の上に胴を置き、胴へ蓋をのせ置くためで、巣を開くことが容易である。此の箱の中へ框(巣脾の枠)を挿入して箱蓋すなわち天井から巣脾を垂らすものである。此の框内へ一枚一枚造営される。転換巣箱の便利なところは、此の框にある。これを巣脾框という。そもそも従来の固定巣箱はことごとく釘付けされているので、容易に巣を開くことはできない。開けばすなわち巣を損なう。なぜならば、巣は箱の内側附着しているからである。ことに天井は全巣の土台であるので、蓋を開くことはもとより難しい。なので巣脾框を入れてこれに巣を営ませれば、巣は直接箱の内側に付着す【五十九頁】ることなく框内にある。そのため、蓋を開いて此の框を一枚一枚すなわち巣脾一枚一枚を取り出して細かく蜂を点検することができる。あるいは前後を転換し甲乙に分離し、もしくは合同し、蜂王の在否、王台の新築、此れに産卵し、小虫の孵化より何日頃に蜂王が出るかを知り、此の蜂王台を取り去り、もしくは切り取って、金網籠に入れ、もしくは分封前に此の框を他の巣箱に分離して分封を未然にし、蜂蜜が充溢すれば毎日でもこれを採収し、貯蓄が欠乏して飢餓に瀕しているなら食物をつくって蜂を飼養するなど、巣内の事を明瞭に点検することができる。またこの処置を施すのに、実に自由である。従来固定巣箱で二、三十年間も飼養するのに、いまだに蜂王の形態も鑑別できないものがある。これは巣内の動静を窺い知ることができないためである。従来行【六十頁】うもののうち、巣箱の後ろ面に差し戸を設けて開閉を自由にしたのは、少々改良されたものである。巣箱を損なう患(うれい)なしといっても、巣脾はやはり天井から垂れているので、これを切り取らなければならない。かつ蜜は蜂脾の上部に蓄えられるものであるので、蜜の部分のみを切り取ることは難しい。ゆえに止むを得ず全巣脾を適宜三、四枚取り去る。その最も工夫をこらした巣箱は、日向国高岡町木佐貫某の通信にあったものだろう。此の巣箱は蓋底のない箱を三個重ねて最上に幅の広い蓋を載せ、置き底は台板の上に据えただけである。蜜を採集するには第一箱と第二箱の間に刀を入れ、巣を横断してその上部を取り去り、蓋は離して元のように第二箱の上に置き、第一箱の巣蜜を取り出して、その空き箱はまた巣箱の第三箱として最下に置く。このように【六十一頁】逐次最上部の一箱を巣とともに載取するのである。此の方法によれば、蜜が貯蔵された上部のみを採ることになるのだが、その残った下部の巣はことごとく箱の周囲に附着するわけではないので、巣は堕落してしまう。実際、これで不都合がないかどうかは余儀がある。たまたまそうはならなくても、なお未だに転換巣箱と同様に語るべきではない。改良巣箱に至っては巣脾框を取り出して分離器で蜜を振り出し、少しも巣脾を損なうことなくただ空になるのみであるので、またもとのように巣箱に入れ置くと、わずか一、二日で蜜がふたたび充満する。今もし固定巣箱で巣脾を切り去るならば、新たに巣脾を造営補充するには実に非常な労力を要する。その損失は計り知れない。切り取った巣脾は砕潰圧搾して蜜を取ることになるので、汚瀆不潔であり、かつ腐【六十二頁】敗しやすい。くわえて、普通の固定巣箱は巣内を窺うことができないので、蜜が充溢したかどうかはもとより知るよしがない。これは不経済も甚だしいといえる。なぜなら、蜜が充溢すれば蜂は惰慢して作業をしないものである。察するに、大群は土用前に充溢するので秋に一回採収するようなやり方は、空く(?)蜂を遊惰にさせるだけである。
前述したように、転換巣箱は胴、蓋、底板および巣脾框からなる。胴はすなわち箱の蓋と底のないもので、第十五図の甲のように両側の上縁はその半分を内側に三分(≒9mm)ほど削り下げ、巣脾框の両端をかけられるようにしており、「イ」の通りである。
 
 
その両面の下縁の中央を、「ロ」のように幅四分(≒1.2cm)、長さ二寸五分(≒7.5cm)位を切り取り、巣門を設けて蜂の出入りがしやすいようにしている。蓋(ハ)は胴から少し大きく、両端で裏に【六十三頁】(さん/たな)を打ち、日光に曝露して反り返るのを防いでいる。底板(ニ)は胴と同じ幅で、胴よりも四寸(≒12cm)くらい長い。これは蜂が出入りするときの縁となる。ただし、底板の裏にも「ホ」「ホ」のように、両端に厚板の棧を打って脚とする。その高さは四寸(≒12cm)とする。以上、用いる板は八分板であるべきである。巣脾框は「ヘ」のように三分板を使って框を製造し、上棧は框より六分(≒1.8cm)長く、かつ内側は両方から削って尖らせる。ゆえに上棧だけは厚さが必要となる。あるいは上棧のみ切り口が四角な棧を使い、そのまま<>のように用いれば、下を三角に削ると同様の効用がある。米国では此の箱に大小があり、各々がその利点を唱えている。私は一ポンド入の小箱三個を並べ、巣箱の幅と定めた。一度定法を用いる以上はながく変えないことが肝要である。各自の意見によって銘々が適宜に寸尺を差す(変える?)【六十四頁】ことは巣脾框等を彼我一般に通用させづらくするので、転換巣箱の便益を減ずるものである。ゆえに、本邦でこれを採用しようとするなら、みな同一の定法によるべきである。私の用いるものは以下の通りである。

胴  :外囲は幅一尺三寸八分(≒42cm)、高さ九寸(≒27cm)
    長さ二尺(≒60cm)
    ただし二尺で長すぎるときは一尺五寸(≒45.5cm)とするべきである。
蓋  :幅一尺五寸(≒45.5cm)、長さ二尺四寸(≒73cm)
    その裏に厚さ一寸五分(≒4.5cm)の棧を両端に打つ。
底板 :幅一尺四寸(≒42cm)、長さ二尺四寸(≒73cm)
    その裏両端に厚さ一寸五分(≒4.5cm)の脚を打つ。その高さは四寸。
巣脾框:両傍の棧は長さ八寸三分(≒25cm)、下棧は一尺一寸二分(≒34cm)
    いずれも三分板で幅八分(≒2.4cm)である。
    上棧は一尺二寸八分(≒39cm)、図のように両端は挺出(張り出す)する。
    框内は双方から斜めに削って巣脾造営が始業しやすいようにする。
    ゆえに、厚板を用いるべきである。
    ただし、両端の裏は平らに削って厚さ三分(≒9mm)とする。

このほかに、巣脾框の形状で厚板を使ってつくった隔離板なるものも必要である。これは蜂を隔絶するものなので、框より大きく【六十五頁】箱の内廊に五厘ほどの間隙があるようにつくる。蜂群が増えれば新しく巣脾框を入れて巣を取り広げ、最後に此の板を入れて巣を区画する。もし巣箱が塡充すれば、もとより此の板は必要ない。とはいえ、巣箱が充満することについては、うまく取り扱わなければ本邦の蜂には困難を極める。この方法では、巣脾框の両側および両傍の棧と胴の内側には、三分(≒9mm)の間隙をつくる。これを蜂の間隙という。彼らが作業するのにもっとも適応する間隙である。 これより広いと巣を結んでしまい、狭ければ動作が自由にならない。もっとも底板と框の下棧の間には五分(≒1.5cm)があってもよい。巣門には「ト」のように両方から三角の厚板切れを置く。これは冬春の寒いときには口を小さくし、夏時はこれを開いて大きくするのに便利である。前記の木材はどれも杉材でよい。松の新材のように匂いが強【六十六頁】いものはよくない。箱の内面は鋸で切断したまま粗造でよい。巣脾框を密接して入れ、その上に普通の桐油紙をしき、後蓋をおおう。油紙はなるだけ悪臭をとったものを用いる。其の箱を整置した状態は第十五図乙である。箱の外面は白「ペンキ」で塗れば、久しく保存して十余年にいたる。
このように框内に巣脾を造営させるので、蓋を開けることは自由である。一様の巣箱であるので、蜜が充溢するときは甲巣の上に乙箱を載せ、続いてこれに貯蜜させる。これを継箱という。従来我が国で継箱を用いても、巣は天井から垂れ下がっているので、底板をはずして新しく下に続ける。このときは巣脾が大変長く垂れており、重いために巣脾が断落してしまう。加えて箱が少し傾くと、両巣脾の面相が接着して稚蜂が出房できなくなってしまう。ついに【六十七頁】餓死し、腐敗を発して巣内が不潔な気で満たされる。蜂は健康蓄殖に害があることを知り、思いがけないときに巣を離れて飛び去ってしまう。此のことを癖から起こる杯(?)という。これは巣脾を長く垂れ下げているからである。古巣の上に続けるときは、別に新しく巣を造営するに等しいのでこのような恐れがない。此の継箱にはほとんど蜜のみを蓄える。米国で巣蜜と称して売買するのは、継箱で醸したものである。巣蜜が一封二十五仙(ママ)であり、分離蜜はわずか十五銭位である。ゆえに養蜂家はもっぱら巣蜜を収めることを目的とし、分離蜜はあまり望まない。この場合、改良巣箱の便利は実に大きいといえる。
巣蜜とは、箱のみを蓄えた巣であり、一ポンド入、二ポンド入、杯と称して小箱に蜜を蓄えさせ、此の小箱のまま売買する、実【六十八頁】に純潔で高尚な食品である。我が国においてはこのような食品を知らず、また食べることを知らないので、現在はこれを製出する必要がない。そのため、巣蜜のことは省略する。しかし、どうのようにして巣蜜を得るかを略言する。まず継箱内に巣礎を装附した小箱を入れ、その継箱を巣箱の上に載せておく。小箱はやはり框の幅広いものであり、これを入れる継箱は種々便利な雛形がある。継箱と巣箱の中間には箱と同じ幅の亜鉛板を挿入する。此の亜鉛板は幅一分五厘(≒5mm)、長さ一寸(≒3cm)位、適宜の間隙を一面に穿つ。これは継箱内へは働き蜂のみを入れ、蜂王が入らないようにするためである。蜂王が入らないとき、働き蜂は蜜のみを蓄える。ただし、亜鉛板を用いなくても蜂王が継箱内に入って卵を産むことはごく稀である。

【六十九頁】
 巣礎

巣礎とは、ごく薄い蝋板である。その厚さは育房用は三厘(≒0.9mm)、小箱用には二厘位である。これは直接蜂に工事を着手させ、かつ勝手に不同の巣脾を造らせる。また蜂の労力を省くために大変便利である。そのため、新しく巣脾框または小箱を入れるときは、必ず巣礎を装附するとよい。蜂はこれについて工事を始める。近頃は房の底を圧して印をする器機もある。これはドイツ人の発明で、もっとも起工に便利である。ただし蝋板を製造するには次の道具が必要である。

 溶蝋器 厚板 水桶

溶蝋器は熱湯で蝋を溶かす器具である。そのため、二重鍋である。内部はブリキで、蝋が入る高さ一尺、幅六寸、長さは適宜である。外【七十頁】部は銅製で、此れに水を入れる。その大きさは溶蝋器の外面を離れること各一寸五分位である。溶蝋器は軽くなったときに浮揚しないよう、縁が留められるようにしておく。厚板は硬木を幅六寸、長さは溶蝋器に準じて作る。此の板の横側にひとつの取っ手がある。これを取って溶けた蝋の中に入れ、蝋を板面に附着させるものである。まず蝋板をつくるには、厚板を水の中に入れてよく湿して、最も手早くこれを溶蝋中に入れ、瞬電の間に取り上げ、これを冷水中に入れる。このとき蝋は簡単に板から離れる。このようにして一回に二枚ずつ取ることができる。これは本式の方法であるが、各自でこれをつくる際は通常の缶に湯を沸かし、石油の空き缶もしくは他のブリキ缶を沸騰中に入れて蝋を溶かしてもよい。もっとも石油の臭気は蜂のためによろしく【七十一頁】ない。厚板の両面を用いることができなければ、一面でもよい。このときは溶蝋器は底が浅くてもよい。
この蝋板を圧印するには、少しの麦粉または澱粉を器械に撒布し、蝋の粘着を防ぐ。ともかく、巣脾框や小箱等に必要であるので、既成の蝋板もしくは巣礎を求めるべきである。これらの道具は東京麹町四丁目薬舗小西金次郎方で売りさばいている。そうして巣礎を框または小箱に装附するには、少しの間日光に晒してやわらかくし、これを一分ほどかけて竹かごで圧し附ける。巣礎は幅三、四寸位装附すれば、蜂はこれより段々と下へ修繕する。第十五図甲の「へ」のように、巣脾框には横一條、縦二條の鉄線を張り、これに巣礎を装附させる。このようにして得られる巣脾は、大変堅牢である。巣礎は第十六図のようである。
 
 
【七十二頁】改良巣箱の造構が複雑で、あれこれ道具を調えるのが費用がかかりすぎと嫌がる人がいるだろうか。しかし此の巣箱は固定巣箱のように毎回巣箱共に破壊することなく、十余年間も用いることができることを考えれば、かえって巣箱でも充分の経済である。巣礎のようなものは他から求めてもよい。ただし、巣脾框の上棧を前に示したように三角に削れば、巣礎を装附しなくても必ずよく巣を造営する。改良巣箱に附帯して是非とも必要なのは、蜂蜜分離器である。その詳説は追って述べる。その他に種々便利な器具を示し、養蜂に関する新智識を付与し、自分で発明しようと考える人は、必ずしもこれら(の品々)を要用とはしない。改良法が複雑で費用がかかることを厭うものは、太古の人が今日精農の労費を想像するのと同一である。

【七十三頁】
 養蜂場

養蜂に適するのは、必ずしも山野地方とは限らない。近傍の畑地に菜種、夏に蕎麦、胡瓜、南瓜の類、草棉(綿の漢名)、秋に蕎麦等を作れば最も上等な蜜を得ることができる。栗やカシワの類は人家の周囲等に植えられているものもある。梨、林檎、柿、苺類、柑橘類も大変よい。これらは畑に植えるものであるので、ここにはその一般だけを示す。ただし近隣に数多の蜂を飼う者がいれば利益はない。本邦では深山僻地の他は数百箱を所有することは望まず、通常二箱位にして、多くは五箱である。位地はなるたけ住処の近傍として、常に蜂の動静を視察するのに便利なところとする。周囲に庇陰があり、静閑であることを良しとし、風当たりが強いのはよろしくない。しかし、米国「オハイオ」州、「シンシナタ」州は南部で有名な大都会であるが、同府【七十四頁】の某氏は熱く騒がしい場所の屋根の上で今日もよく飼養している。これらはもとより例外である。さて、巣箱を置くところは地下二、三尺掘って砂利を入れ、巣門の前庭は方三尺位は草を生えさせる必要がある。底板の脚にあたるところは煉瓦を並べ、前方は少し低くする。巣箱の南方には低く茂った小樹を植えて日陰をつくるとよい。小樹に代わるものには、高さ四尺、幅四尺の竹垣を構え、此れに一本ずつ葡萄をまとわせるとよい。一挙両得の利がある。あるいは、大木の樹林、ことに松林の中に置くのもよい。近傍の樹木などに蜘蛛が網を張ると大変よくない。巻首に掲げた図は、米国「オハイオ」州の養蜂雑誌記者「ルート」氏の養蜂場である。その盛大なさまは、本邦人の想像しがたいところであるので、書き記して同好者に示す。

【ページ数なし】(図)

【ページ数なし】(白紙)
【七十五頁】

 蜂群を改良巣箱へ移す事

前編分封の章で述べた蜂群を改良巣箱に入れるには、巣礎を附けた巣脾框五、六枚を巣門の方に片寄せ、框と框を密接して入れ、方法の通りにおおって、ザルまたは箱中の蜂を巣門のところでひっくりかえして出す。振り出した蠢塊はもし新箱であれば直に進入するが、古巣箱であると躊躇する様子がある。蜂王がすでに進入していれば余りは争ってこれに移り、しばらくして鎮静する。固定巣箱から移すには、まず固定巣箱の底板をはずし、内部の巣脾の模様を見る。次に巣脾に附着しているところが最も少ない側の板を丁寧に開き、此の一方から長刃の包丁を入れて巣脾を一枚ずつ切り取り、これを巣框内に入れ、なお空隙があればこれに適応する小片を入れ、竹串二本でそれを挟み、その【七十六頁】上下の両端を糸で結ぶ。第十七図のようにして、必要なだけ三、四箇所も挟む。あるいは、細い針金で巻いてもよい。
 
 
このほうに巣脾を框内に入れ終わったら、蠢塊を箱内へひっくり返して入れる。もし蜂王が入ったことがわかれば、残りの蜂は自ら移入する。改良箱を試みた世の者のなかには、蜂がよく巣を造営しないのでほとんど失望するものがいる。その原因を探究すると、みなことごとく同じ轍をふんでいる。初めにその框に入れる際、これを密接させていないことが原因のようである。そのため、私はこの一事をここに特書する。ただし、漸次巣を構えるに従いこれを離し、充分巣ができた後は框と框の間隔を二、三分とする。ただし、新しく蜂群を入れた場合は、初め一週間ほどそのままにして手を触れずに蜂の動静を伺う。蜂が盛んに花粉を運ぶのを見たら、蜂王が産卵を始め、また巣脾【七十七頁】の造営を始めたと知ることができる。後五、六日経ったら巣内を点検し、その歪形の巣脾は矯正し、または容赦なく切り除く。そしてまた框と框の間隔をあけておくことは前に述べた通りである。
もし移入した蜂群が飛散しそうだと恐れるならば、蜂王の一方の翅の三分の一ほどを切り去る。このとき衆蜂が飛散するが、王が出ないためやむをえず巣に復帰する。ただ小虫の入った巣脾とともに移すときは、容易には飛散しない。この二ヶ条はともに蟻について明証を得ている。すなわち蟻の王も翅を持ち、空中で交接し、王が帰れば、働き蜂と同じ兵卒といわれるものは王の翅を噛み切る。よって、蜂王の翅を切るのも害はない。小虫がいるため簡単には飛び去らないことは、蟻の巣を移転するとき、各々が卵を運搬するのを見て知ることができる。そのため【七十八頁】蜂蛆を愛育する情は親切であることを知るべきである。ただし、蜂巣を毀ち(こぼち/壊し)て他に移し、または蜂王の翅を切るようなことは、蚊帳を張って此の中で行う。もとより未妊の蜂王は翅を切ってはいけない。翅を切った蜂王は分封熱の頃は特に注意が必要である。もし(注意を)おこたれば、必ず新蜂王のために殺害される。そのため王台ができたらこれを破滅するか、もしくは新蜂王が必要であれば、王台の卵が孵化した頃に蜂王を一、二枚の巣脾框と一部の働き蜂をあわせて他に移す。これは人工分封の手段である。此の王とともに移した巣脾框はよく点検し、王台があれば潰す。もし王を他に移すことなく王台を破滅するのならば、およそ三日ごとに点検する。少しも油断がならない。そのため、蜂王の翅を切らずに彼自らが分封するのに任せると安全である。
【七十九頁】なお蜂群が飛散することを恐れるなら、巣門に孔隙があるブリキを張っておく。孔隙は幅一分六厘、長さ七、八分ずつ数行に切り抜く。そうすると働き蜂のみが出入りし、蜂王は出ることができない。そして分封の前にこれを除く。既に巣脾を造営して卵を産み繁殖する兆しがあれば、これを除いても飛散する心配はない。固定巣箱から移すとき、または蜂王の翅を切断するときは、抔(?)は蚊帳を張って此の中で作業すれば蜂王が飛散する心配がなく大変よい。蜂巣を破るとき、この抔(?)を取り扱う人は第十四図のように覆面帽をかぶる必要がある。覆面は蚊帳切れでよい。その末端は握り収めて胸で着物の合わせ目にはさむ。もし手を刺される恐れがあれば、古い革製の手嚢、もしくは麻布切れで粗末な手嚢をつくり、これを蝋を【八十頁】溶かしたものに浸して使えば、簡便で十分目的が果たせる。
 

 夏期管理および分封・分巣

養蜂管理の自由なところは、すでに前述の諸章を参観して充分に了解するであろう。もとより自然に放任してよいものであるので、改良巣箱に入れた後は、前述の学理に照応して臨時処置することがあるだけである。ただ、稀に蓋を開いて巣内の動作を検分する。その手を下すのは、分封もしくは分巣のときと、蜂蜜採取のときのみである。すでに分封熱を発しているなら相当の処置を行う。最も簡便な方法は、自然に委ねて分封したものをザルに移し取り、これを巣脾框三、四枚を入れた巣箱の門の前でひっくり返し、自ら移入させるのが第一である。もし近傍に樹木がなければ、巣門の前方、高さ【八十一頁】一間(≒182cm)位のところにザルまたは箱をさかさまにかけ、此の中に蠢塊を形成させる。あるいは、分封前に巣箱と相対して他の空巣箱を置き、竹筒を真っ二つに割ってその全面にわずかに働き蜂が出入りするだけの孔をたくさん穿ったもの、または小口冂(?)な「ブリッキ」製のもので此の両箱の巣門を連絡する。このとき分封が起こり、働き蜂が乱飛し、蜂王もともに飛び出そうとするが、此の小孔に遮られて逡巡し、出口を探す間に知らず識らず新巣箱へ進入する。蜂王が進入すれば、働き蜂も直に此の新巣箱へ集まる。分封前に此のような準備をしておけば、蜂群を移す等の面倒がなく大変安心である。次に最も分封に類似した人工分封法は、分封熱が発する頃に蜜房の蓋ができたものを包丁で薄く蓋を切り去り、はじめのように箱の蓋をして十五分の時間程度巣箱の外側【八十二頁】をたたいて蓋を開く。蜂は箱の一隅に蠢塊となっているので、これを取り他に移す。蜜房の蓋を開くのは、働き蜂に蜜を吸わせて分封の準備をさせるためである。ただし、分封熱が発したものはすでに銜(くわえる)蜜の準備がある。発していないものを促すためにこの方法を行う。あるいは、王台の蓋ができるやいなや、そのまま巣脾框およびこれに附着した衆蜂とともに新巣箱に移す。なお働き蜂の数が少なければ、同じ巣内の他の巣脾框二枚ほどを加えるか、または他の箱から働き蜂が出産するための巣脾框を取ってきてこれに入れてもよい。此の場合は働き蜂を一匹たりとも附着させてはならない。それができなければ、直に争闘を始めてしまう。あるいは、甲箱から王台・働き蜂ともに巣脾框を乙箱に移し、なお巣礎の装附した巣脾框を加え、もし乙箱に働き蜂の数が少ないときは、日中少しの時間【八十三頁】甲箱をよそに移し、その跡に乙箱を置く。このとき、甲箱から出た働き蜂が以前の場所に帰ってきて乙箱に入る。およそ半日もこうしておけば、充分な働き蜂を得ることができる。この後、乙箱をよそに移す、あるいは甲箱の蜂をことごとく乙箱内に振り落として直によそに移してもよい。
このときは、老長した働き蜂はおおむね古巣に還るが、若いものは乙箱内にとどまるものである。故にこのようにして得た働き蜂は、前の方法を行って得たものとは相反する。前の方法では老蜂を得、後の方法では幼い蜂を得る。あるいは、蜂王だけが必要な場合は、王台に蓋がされてすぐにみなことごとく切り取り、鉄網の籠に入れて巣脾の間に挿入し、出房させる。このときには蜂王相互の争闘は起こらない。また、無蜂王の巣といえども、他から蜂王を入れるときは働き蜂がこれを責める。このため、まず【八十四頁】蜂王を鉄網籠の中に入れ、これを巣脾の間に鋏み、二日ほどは互いに呢(?)近くにいさせてその後放す。ただし、此の間に蜂王の食物を入れておかなければならない。未出の王台を移し、後にここから出た蜂王は出房の早晩にかかわらず決して殺害されることはない。
蜂群の小さいものは種々の大不利益があるので、甲乙二箱の蜂を合同して活発にさせるのは、最も緊要な手段である。蜂は例えば同一の箱から分離したものもすでに二、三日が経過していると彼我は互いに敵手の念を出して甲箱の蜂が乙箱に入るのを許さない。もし誤って入れば直に殺害される。そのため甲乙の二蜂群を合同するのは最も困難である。否な、古来行いづらいものとされてきた。しかしここに合同する二つの方法がある。たとえば甲乙二箱を合わせようと【八十五頁】するならば、まず両者の蜂王のうちいずれが強健でよく産卵するかを考え、もし甲箱の蜂王をそうだとするなら、乙箱の蜂王を殺し、夜に入ったら乙箱の蓋を除き、甲箱をこれに載せ、槌で乙箱を打ちたたく。そうすると乙箱の蜂は極めて徐々に上進し、ついに甲箱に移る。この間、およそ三十分以上を要する。また他の一法は、甲乙二箱の蜂を強く薫煙し、乙箱の蜂を甲箱内へ振り落とす。なお、燻煙するときは多少の殺傷は免れないとはいえ、よく合同する。燻煙器は第十五図の通りである。筒内に枯れ草を入れて火をつけ、なおその上から枯れ草を押し込んで筒先を整えて端から風を入れ、炊煙するものである。

 蜂蜜採収および製蝋法

分封前に蜜を採収するのはただ分封熱を遅引させるための一法【八十六頁】であり、もとから多量を得ることはできないだけでなく、到底分封熱を防渇(ぼうあつ/防ぎとめる)できるものではないので、なるだけ速やかに分封させ、第一分封を得た後に採蜜を始めれば、その頃は収蜜が最も盛んであり、蜜は蜜房の蓋ができているのを見て、その框を取り出して素早く蜂を振り落とし、なお残るものは羽箒で掃き落とし、蜜刀(十八図)で一面の方の蓋を剥くように薄く切り去り、第十九図の分離器内「イ」の鉄網の方に入れて「ロ」の柄を回転させて蜜を振り出し、また他の一面の蓋を切り去って振り出す。
 
 
およそ養蜂改良の一番の要点は巣箱にあるとはいえ、分離器を使わなければ巣箱改良もその効果はない。あるいは、従来の固定巣蜜といえども、この方法のように切り取った巣脾は分離器で蜜を振り【八十七頁】出せば、汚物もなく大変良好である。故に、巣箱を改良しなくても、蜂蜜採収法を改良すべきである。従来の蜂蜜採収法は秋期に巣箱を開き、その三分の一を残して余は切り去り、これを日光に暴露して蜜が自然に垂れたものを最も良好なものとする。これを垂蜜という。寒さが厳しい頃になると結晶して砂つぶとなるため、これを砂蜜という。(華氏?)七十度以内の温度であれば、夏時といっても結晶体が現れる。垂蜜の残り巣を絞ったものを次品とする。あるいは、二年目の全巣を砕潰して絞るところもある。此の場合は蜂群を殺し、もしくはそのまま放棄する。実に残酷で不経済な方法であるといえる。秋期に三分の二を取り去っても、翌年の春に餓死することが往々にしてある。改良巣箱では夏期はもちろん秋期に採収するが、少しも巣脾を損傷することなく、直に古箱に入れて置く【八十八頁】ためにまた二、三日すると蓄蜜が充溢し、餓死の心配はない。従来の方法はおおむね小虫や花粉については論じていない。巣脾は搗き砕いて採収するためその蜜は汚濁し、時がたつと酸味を帯びる。しかし分離器械で採収したものは垂蜜と等しく最も上好である。前述のように、蜜房で蓋ができているものを採収するとはいえ、蓋ができていないものを振り出すこともできる。此の場合は蜜が稀薄であるため、浅い器に入れて室内で二週間ほど水分を蒸発させ、醸塾濃厚にさせる。収蜜の量はかえって多い。その小箱を入れて巣蜜を得るのは分封後であり、蜂群の数が多くなったものに行う。本邦の蜂は容易には継箱内に入らないので、巣蜜を造らせることは難しい。ただし、継箱に入るのを促すには、継箱内に蜜を垂らす。こうすると蜂はこれに誘導されて移入する。
【八十九頁】分離器の必要は前に述べた通りである。加えて私は一戸十箱の蜂群を所有する者は、新しくこれを調整しても得失は差し引きゼロになる。もし近隣に飼養者がいれば、これを協同して購求するのもよいと信じるが、実際にはできないものだろうか。此の分離器に関しては種々の質問等があり、よって近頃地方で容易に製造できるように第二十図(二十一図の誤り)のような器械を編み出した。その詳解は次の通りである。
 
 
甲桶は高さ一尺八寸(≒54.5cm)、内径は上の縁で一尺六寸、底で一尺五寸、その底は下縁から高さ五分(≒1.5cm)のところにある。樽側は厚さ六、七分で、木材は何でもよい。上下二個の箷(籠?)は鉄製である。ただし下方の分は竹箷(籠?)でもよい。しかし上方の分は必ず鉄製にして、一方に輪「イ」がある。この輪は上下に動くものと【九十頁】する。此の上の箷(籠?)と樽側の上縁との間隔は二寸とする。輪のところは桶側の上縁を少し低くする。また、輪に相対する桶側には二孔がある。上孔は上縁より一寸下、孔は三寸五分のところに設ける。
乙はすべて鉄製である。その附属器(い)(ろ)(は)からできている。(い)は長さ四寸、幅一寸で、「イ」「ロ」の二孔を有する。その径は四分ばかり、すなわち「イ」は上端から一寸、「ロ」は三寸五分のところにある。前に記した桶側の二孔と相合う。此の(い)の上下端には図のように正角に曲がったものがある。ともに幅一寸、長さ二寸である。上部には「ハ」のように径五分の孔がある。先端から五分のところに設ける。これに対して下部には「ニ」のように五分縁を高くして、凹んだものがある。すなわち(ろ)軸を「ハ」に入れたときに受けとなるものである。また、(い)には「ホ」【九十一頁】の通り鉤のように曲がったものがあり、その高さは五分、幅は一寸である。(ろ)は総長六寸二分の軸である。上端の一寸は角形であり、その下部は円棒である。ただし、上端と上端から二寸五分のところに小さい孔がある。その下孔は此の(ろ)を「ハ」孔に差し入れて(ろ)の止め釘となるものであるので、「ハ」孔の内面に差す。その上端の孔へは大滑車をはめて、その上に止め釘を差す。(は)は長さ一寸二、三分、周りは一寸一分の螺旋釘である。図のように針の頭は大きくして、方七、八分とする。此の二個は甲桶の内側から差して乙の「イ」「ロ」を通して、女螺旋で乙を桶へ固着させるものである。
丙は樫材である。長さ一尺七寸、幅二寸、厚さ五分、一端は図のように一尺一寸割る。その割れ目の間は七分である。他の一端は凸字形に削るが、幅八分、高さ五分位とする。これに附属する【九十二頁】鉄器は二個ある。(に)(ほ)がそれである。(に)は幅一寸、長さ二寸であり、一端は矢筈の形をしており、他の一端の近いところには孔があり、(は)の形で小さい螺旋である。すなわち、此の(に)を丙の割れ目に深く入れて螺旋を締める。(ほ)は長さ二寸、一端は鈎状であり、一端は螺旋である。此の螺旋を締めるときのおさえとなるため、図のような鉄板の小さなものが必要になる。
今まで桶側に装附する(い)の「ホ」に丙の凸部を差して、(ほ)を甲の「イ」の輪に引っ掛け、(ほ)の鉄板は螺旋の方へ寄せて、丙の割れ目に挟んで螺旋を締める。ただし実際、此の分離器を使用するにはまず分離器の軸(へ)を割れ目に入れ、次に(ほ)の螺旋を締める。
丁は樫材である。(へ)軸と(と)分離框からなる。軸は長さ一尺九寸、【九十三頁】その下端と上部の黒い箇所はともにブリキのような金属を用いる部分である。これは回転する際に摩擦を防ぐためである。その上端は四角形で、小滑車をはめるところである。外に方形に削ったところが上下二箇所ある。その間隙は中央から中央まで一尺四寸六分、下方の方形は軸の下端から二寸五分のところにある。此の方形に削った部分はいずれも長さ一寸二、三分であり、これは(と)框に挟み入れる部分である。故に、下方には框を支えるため釘を差し、上方の方形なところには框が跳び出さないように框の上部から釘を差す。(と)は行灯のような框であり、極めて堅固につくる必要がある。図のように、上部は少し大きく、下部は挟小にする。すなわち、上部の径は一尺二寸、下部の径は一尺一寸とし、高さは一尺五寸である。下底は四隅にわたって二棧が交差して【九十四頁】いるが、上部は図のように幅二寸五分位の板一枚を二側にだけかける。他の二側の横面は提灯の骨、すなわち引子(?)で藤椅子を編むように方一分目位に編む。そのため、その両傍の棧にはたくさんの小孔がある。ただし、編んだ引子(?)の端は此等の小孔に差して竹釘を打つが、それは内部からするとよい。あるいは、此の框を竹細工とし、竹篩(竹のふるい)のように工夫できれば更によい。
戌の大小二個の滑車は樫材でつくる。厚さはともに七分で、径は大五寸、小二寸である。溝刻は狭く深くする。中心に方形の孔がある。小車は(へ)の上端と、大車は(ろ)の上端と連接するため、その孔もまたこれにあわせる。大滑車には図のような柄があり、回転するのに便利なように竹管に入れるようにする。
己は二個からなる。ともにブリキ製である。(ち)は深さ三寸、径一尺【九十五頁】四寸七分ばかりの皿であり、甲桶の内底に入るものである。そのため中心に高さ二寸五分のところに(へ)軸を受けるところがある。(り)は幅一尺七分、長さ六尺のブリキ板である。すなわち(ち)を桶内に入れ、此の(り)を円筒形に曲げて桶の内側に入れる。図では(ち)皿に入れたところを示している。これは分離した蜂蜜が木製の桶の内側に附着し、また木質が蜜を吸収し、内側を汚柔するからである。蜜はブリキの内側を流れ、(ち)の皿にたまる。此の(り)板は丈夫なときは常に反り広まる力があるので、両端の合目はそのままでよく桶の内側に附着しているが、その力が弱い場合は一、二箇所を止めておく必要がある。
庚は前記の諸部を組み立てた図である。なお、両滑車には革を丸くひねった帯をかけておく。此の革帯が緩いときは、(に)を前に進め【九十六頁】て充分に帯が張ったところで(に)の螺旋を締める。
蝋をつくるには、巣脾を崩し潰したものを貯えて麻袋に入れ、熱湯の中に沈めると蝋は溶解して水面に浮揚する。此の湯を冷却するにしたがい、蝋が自分で凝結する。此の蝋板の裏面には汚物があるので、これを削り去り、ふたたび小器に入れて溶かし、凝結させて汚物を除去する。米国で盛んに蜂蜜を飼うものは、一種の製蝋器をつくって養蜂場の中央に据え置き、随時巣脾の小片を投入して自然日光の映射で溶解させる。此の器の要点をあげると、ブリキの箱に入れ子の中段がある。此の中段には数多くの小孔がある。此れに巣脾を投入し、その蓋の裏面に玻璃鏡(ガラスの裏に水銀をひいてつくった鏡)があり、此れによって日光を反射し、蝋が自然に溶けて小孔から漏出する。此のようにし【九十七頁】てつくった蝋は最も上等である。

 冬期管理法

蜂は東京では十一月初旬まで多少動作し、下旬になるとほとんど蟄居の状態となる。冬期を経過するのに充分な貯蔵は一箱三十ポンド(≒13.6kg?)の蜜が定量だが、二十五斤(≒15kg?)でも充分である。すでに蟄居の状態であればなるたけ巣脾框を密接させ、巣門を狭めて温気を保つ。寒中には雨雪に曝露しないようにする。そのため、屋根の下に移す。寒さがきわめてひどい地方では、巣門を閉ざし、屋内か貯蔵庫に蔵む(きすむ/大切にしまう)。昔はこれを土中に埋めたものである。しかし我が国では北海道の寒地を除き、室内に入れるほどの寒気はない。そのため屋根の下に移せば充分である。ただし、箱と蓋の間には木綿切れを挟み、間隙の【九十八頁】ないようにする。あるいは、巣箱はムシロでつつみ防寒してもよい。早春になって、蜂群がすべて死滅することがある。これはおおむね貯蜜が欠乏して餓死したことが原因である。なので養蜂者は食物をつくって蜂を飼養しなければならない。食物をつくるには数種類の方法があるが、最も簡単でかつ適良なものは、夏期にまだ蓋がされていないときに分離した蜂蜜であるが、私は凍糖(?)を使ってつくる。その方法は、凍糖半斤を陶器の鍋に入れ、水二合を加えて文火(ぶんか/弱い火)にのせ、徐々に撹拌して溶解したものに酒石酸(ヒドロキシ酸)を大豆粒ほど加え、よく撹拌してさらに少しばかりの蜂蜜を加えると大変良い。こうしてつくった食物を皿に盛り、巣箱内に入れて養う。あるいは「コップ」に一杯盛って皿で覆い、素早くこれを逆さまにする。こうすると蜜は自然には流出せず、楊枝二本を皿と「コップ」の間に入れる【九十九頁】と、ここから空気が入って蜜が適宜流出する。此の方法は度々食物を入れる面倒がなくて便利である。ただし、大抵の蜂群でも日に一合位は消費する。これを入れるのは夜中に行う。かつ、蜂が食物の中に溺れるのを防ぐため、稿棹(?)二、三條を皿の中にかける。この時節に働き蜂一匹を殺すことは、夏期に数十匹を殺すよりも損失が大きい。食物の器を巣箱内に入れるときは、蜂が騒乱するおそれがある。なので巣門から養う便利な道具がある。第二十図のものである。蜜は上の玻璃板を少し開いて注入し、「イ」側を巣門に密接させれば、蜂が自分から箱の中に入り、飽食する。此の器は日中に飼養するもでき大変便利である。蜂が飽食したものとそうでないものとでは、春期に蜂群の強弱に大差がある。夏期とはいえ、長雨が続いて貯蜜が欠乏するときは養わなければいけない。
 

【百頁/熊蜂とはスズメバチのこと?】
 蜂の外敵および病

ツバメやスズメ等の小鳥雛を養うときは、ことに虫類を補う。蜂が分封して蜂王が出遊する頃は最も必要である。このため分封した蜂群はその蜂王を失い、ついに潰散(かいさん/ちりぢりになること)してしまう。トンボの仲間は最もよく蜂を捉えて食べる。養蜂場の近傍にはクモが巣を張らないように注意する。カマキリやヒキガエルも蜂を食べる。最も害があるものは熊蜂以下種々の蜂族である。蜜蜂より体が大きいものは巣門にたくさん小孔をあけたブリキを張り、蜜蜂のみ出入りさせるようにする。これらの害虫および他の小害虫は、蜂群が強盛になれば巣箱内に入ることはできないとはいえ、弱小な群では種々の虫害を被り、蟻族でも随意に出入りする。なので蜂群を強盛に保つことが養蜂家の大きな秘訣である。特に蜜蜂に害がある【百一頁】のは、蜂蝶の蛆である。巣脾の中心を蠹食(としょく?/むしばむ)して空虚にし、糸を吐いて通路をつくり、最終的に繭を結んで蛾となる。一度この害虫が巣内に入って繁殖すると、蜂群は散るか、もしくは滅してしまう。また、蜂虱というものもある。大変小さく、ときには一匹の蜂に十余匹寄生することもある。これらの悪害をすべて予防するには、改良巣箱に入れてときどき点検をし、盛んでなくなる前に先立って撲滅策を講ずる。転換巣箱では巣脾を自由に転換できるので、大変便利である。病害には「フォルブルード」という、数日のうちに全群が死滅するものがある。その原因は「バクテリア黴菌」の発生にあり、そのため蜜蜂の虎列刺(コレラ)といってよい。此の伝染病にかかると、巣内に一種の悪臭がただよい、蛆および稚蜂も房内にありながら腐敗し、これを引き出すときは糸状をとなる。実に【百二頁】おそるべき疾病である。これを治療する方法は種々あるが、最も有効なものは断食法という方法である。蜂群を空虚で新鮮な蜂箱内に入れ、三、四日食べ物を与えず、後に巣礎を装附する。巣脾框を入れ、蜜を使って養い、もしくはその食物中にサルチル酸をまぜて与えるとよい。古巣は砕潰して蜜を取り、これを沸煎すれば病毒は死滅する。蝋は直に精製して巣箱は焼き捨て、少しも他巣の蜂が接触しないようにする。時には蜂が下痢病にかかって巣門の辺りを汚染し、全群が衰弱することがある。寒中によく養わず、また寒湿の際に発することが普通である。そのため、冬月はよく注意して養い、かつ厳寒にあわせないようにすれば、此の病害を免れることができる。

 蜜蜂の好む重要な植物

【百三頁】蜜蜂は三月に川柳の花から労働を始めるとはいえ、天気が快晴で温暖な日には晩咲きの梅花にも群集する。三月末には杉から花粉を収める。四月初旬にはアブラナの花で蜂の作業が最も盛んになる。下旬には散花するといっても、西洋種を栽培すれば五月中旬まではもつ。なお下旬には大根、六月にはキャベツ等の十字科(※十字花科)の植物があり、最も良い。アブラナ等に引き続いてイチゴの類、レンゲソウ、タンポポ、柿、ことにマメガキはよい。またそれより以前にナシ、リンゴの花は最も好む。五月に入れば、カシワ、クヌギ等の殻斗科の植物がある。盛暑のころに開花して、最上等の蜜を生む。およそ五月をもって花が最も盛んな時期とし、もし夏蕎麦を播けば、収量がことに盛んになる。ただし、此の頃はことさらそれを耕種しなくても、他に【百四頁】良い花が大変多い。六月に入ると栗が主要となる。他にも良い花が多いといっても、七月になり花木が減り、カリン、ムクロジ、モチ等の花があるが、これは多くはない植物である。しかし園圃でキュウリ、カボチャ等の瓜類の花がある。七、八の雨月は暑気がひどく、加えて花蜜がないので、蜂はほとんど作業を停止する。ことに八月は最も無花であり、わずかにイヌエンジュ、フシノキの一、二種にとどまる。薮がしげる間に二、三の草花がある。養蜂家はよく注意して、もし貯蜜が欠乏するようなら蜂を養わなければならない。棉作地には草棉の花があり、此れで困難な月を容易に経過できる。九月中旬になれば秋蕎麦、ノハギその他の秋草があり、気候もひどくならないので、蜂の動作がまた活発となり、山野地方ではことに貯蜜が大変盛んになる。その下旬には茶があり、十月下旬におよぶ。
【百五頁】此の頃はビワもあり、これを終期とする。私の経験によれば、三月中旬のアブラナの花盛りの頃は収蜜が多いが、蜜はそのままにして、なるたけ蜂群を繁殖させ、五月初旬に分封するのを待ち、それ以降に蜜を分離する。七月初旬から九月中旬までは休み、此の頃は秋草が盛んになり、蜂の動作がまた活発になれば、一、二回蓋のない房の蜜を分離して、後に冬期の貯蓄にあてるのもよい。