早朝に自宅を車で出発して延々と下道を走り、

4時間かかってようやくたどり着いた。

 

飛騨の山中に続く、大規模林道高山大山線にあるトンネルといえば

ここ

 

ここは「北ノ俣岳登山口」となっていて、この日も数台の車が止まっていた。

 

 

ここから来た道を振り返るとこんな感じ。

 

改めて正対。

なんの変哲もない、コンクリートパネルのポータル。

でもね。

坑門のおでこと左右に「木製の扉」が付いているんだよね。

 

近づいて、

なんか・・・要塞のような??  秘密基地のような??

「ウルトラフォーク」が発信して来そう(笑)。

めっちゃ『カッコイイ』。

 

扁額は、

『飛越トンネル』

 

坑門の脇に銘板があった。

『飛越トンネル』

『1995年3月』

『森林開発公団』

『延長419.9m  幅6.5m  高4.5m』

『施工 大日本土木K.K』

 

では、少し中に入ってみて。

 

左の扉に何か表示がある。

「有峰林道冬期閉鎖中 富山県森林公社」とある。

ここは毎年、11月中旬から翌年の5月31日まで冬期通行止め。

その時には、この門扉が『ピッシャーン』と閉じられるようで。

 

閉じられた姿もこの目で見てみたい!

 

では、おじゃまします。

 

そして振り返りの景。

おでこと左右の扉で「シェッド」みたいになっちゃって・・・。

 

延長が420mほどあるので、徒歩前進は断念。

車で反対側へ移動。

 

トンネル内での県境。

車が全然通らないからこんなことができる。

(良い子はマネしないようにね)

 

トンネルを抜けて、富山県側のポータル。

こちらはおでこと左右の扉が少し坑内に入ってます。

 

では、富山県側にもおじゃまします。

 

ここでの振り返りの景。

 

抜けた先の青看、拡大。

「これより有峰有料林道」

「折立 27㎞」

「有峰ダム 19㎞」

 

そして個人的に大好きな、この青看の反対側がこちら。

『高山 90㎞』

『飛騨 62㎞』

 

ここは飛騨市ですが、飛騨市の中心街まで62㎞もある。

お隣の高山市(中心街)へも90㎞もある。

 

どんだけ遠いねん!!

 

おしまい。

 

 

 

 

本日ご紹介するのは、山間部の集落を結ぶ道にあるちょっと古い橋。

 

高山市の奥飛騨温泉郷エリアから国道471号を東進して、

上宝町鼠餅エリアから「岐阜県道477号 長倉神岡線」に入る。

 

場所はこのあたり

 

高原川の左岸を、ちょっと幅の狭い道路が通っている。

河川沿いの国道が走っていて、

その対岸を走る道は、個人的に『ストライク!!』です。

 

ファーストコンタクトはこんな感じ。

おぉ!

昭和の香しいにおいがする。

 

少し近寄って。

おぉ! いいねぇ。

 

そして正対。

 

左側の親柱はお誕生日。

『昭和三十一年十二月 竣功』

この親柱の形、自分の経験値が少ないせいかあまり見たことがないな。

苔むした具合はとってもいい。

 

高欄はこんな感じ。

おぉ! 実にイイ。

 

右側の親柱は漢字表記で『谷戸橋』

ちょっと足元が欠けていますが・・・。

 

右側の高欄はこんな感じ。

 

では、お邪魔します。

 

そしてお決まりの振り返り。

 

途中の上流の景がこちら。

木々の枝が大きく張り出していて見にくい。

 

下流の景がこちら。

こっちも全然わっからへん。

 

で、渡り終えてからの振り返りがこちら。

お日さまが差していると、雰囲気がぜんぜん違う。

 

右側の親柱は、ひらがな表記で『たにどはし』。

 

左側の親柱は河川名の『谷川』。

なんか・・・そのまんまって感じ。

 

尊敬するQ地図様によると、

完成年(度) 1955年(昭和30年) 「あれ??1年違う??」

延長     13.7m

幅員     4.5m

 

最後にサイドビューがこちら。

 

このあたり、

少し前まではこのようはコンクリート製の高欄を持つ橋がいくつかあったけど、

近年に改良されて「白いガードレールの味気ない高欄の橋」になっている。

 

少しでも長く残っていてほしい。

 

おしまい。

 

 

 

今日ご紹介するのは、廃道さながらの市道に不釣り合いな

平成生まれのトンネルです。

 

自分史の中でもこのトンネルのことはまったく知らなかったが、

先日、尊敬するQ地図様を見ていて発見したもの。

 

まさか・・・

こんなところに、こんなトンネルがあるなんて・・・。

 

さっそく現地確認。

 

場所はここ

 

明智GCかしおゴルフ場のクラブハウスを出て、

50mほど西へ進むと「実線」で描かれた道路が北に向かっている。

この写真でいうと、この道の奥にクラブハウスがある。

目印はこのカーブミラー。

 

このカーブミラーの向いている先が目指す市道にあたる。

市道の名前は「(美濃加茂)市道川浦75号線」という。

 

・・・で、市道側を向くと

おー!! デンジャラス!!

アスファルト舗装の市道(農道??)ですが、

緑の植生に包まれてます。

 

こんな先にトンネルあるんかい??

と、思ったけどまずは行ってみよう。

 

左右からの植生がスゴイことになってます。

道路の管理も放棄されているような感じ。(あくまでも個人の主観です)

 

さらに進むと、数日前からの雨でダブルトラックは水浸しです。

 

・・・で、このあたりからの振り返り。

ひっでぇなぁ!!と、ひとり言。

 

でも、もう少しで見えてくる・・・はず・・・。

おー!! やっぱりトンネルあった!!

 

近づいて、

 

このあたりで、再度の振り返り。

ホントにぐっしゃぐしゃ!!!

 

ついに到着。

そして正対。

あらためて報告します。

これが【日西洞トンネル】でございます。

 

道路は全くもって醜い状況ですが、

それに対してこのトンネルって新しいですね。

 

尊敬するQ地図様によると、

よみ  :ひさいぼらとんねる

路線名 :市道川浦75号線

完成年(度):1997年(平成9年)

延長  :133m

幅員  :m(未記載)

 

この管理が放棄されたような道路に

スゴイ不釣り合いな気がするのは自分だけ??

 

扁額は無し。

坑門の左右も全くもってなんの特徴も無し。

 

では、お邪魔します。

 

内部はコンクリートの巻き立て。

 

南側、坑門の振り返りの景。

 

真ん中付近から抜ける先の景。

 

抜ける先の景。

西日が当たっているせいか、やけに明るい。

 

抜けての振り返り。

こっち側も、情報はいっさい無い。

 

抜けた先はこんな感じ。

 

このトンネルのことをネットで調べてみましたが、

『美濃加茂市 日西洞トンネル』で検索するも美濃加茂市の「トンネル長寿命化修繕計画」ぐらいしか

ヒットしなかった。

 

完成年が1997年とあるけれど、これは改修年じゃないかな??

それよりも古くから素掘りトンネルがあったのでは??

 

などと、いろいろ考えると楽しいですな!!

 

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

今宵お伝えするのは、長閑な里山の集落にある

コンクリート製の古い橋。

 

ひっそりと佇む姿が、とても印象的でした。

 

残念ながら現地には銘板等の情報はいっさい無く、

尊敬するQ地図様から情報をいただきました。

 

お名前 :中川橋(なかがわはし)

路線名 :(美濃加茂)市道林前地蔵峠線

完成年(度):1956年(昭和31年) 

延長  :15m

幅員  :4m

 

川浦(かわうら)川に沿って右岸側の舗装された狭い道を走ります。

まずはファーストコンタクト。

コンクリート製の低い高欄、親柱がイイ感じです。

 

場所はここ。

 

さっそく右岸側から正対。

山の中に入って行くこの道は、地蔵峠を越えて隣町の加茂郡川辺町に繋がっています。

道幅も狭くてイイ感じです。

 

では、右岸上流側の親柱と高欄。

銘板が意図的に剝がされている??

 

右岸の下流側。

『美濃加茂市 まちを美しくする運動推進会議」の看板が・・・。

 

では、渡り始めます。

渡り始めてから向こうの景。

 

真ん中あたりから、振り返りの景。

 

もうすぐ向こう側(左岸側)へ。

 

反対側(左岸側)から正対。

 

左岸、上流側の親柱と高欄。

こちらも銘板はありません。

こちら側(左岸側)と向こう側(右岸側)で、銘板がはめ込んであったあたりの

親柱のデザインが少し変わっている。

 

左岸、下流側の親柱と高欄。

 

 

橋上より上流の景。

 

橋上より下流の景。

道端の雑草の生え具合が最高にイイです。

 

おまけの画像は、橋から集落の方を向いて写した景。

 

どうです??

ローカル感たっぷりでしょ??(笑)

 

おしまい。

 

今日は岐阜県飛騨市神岡町にある「宝橋(たからばし)」をご紹介。

 

場所はここ

 

訪問日 2024年(令和6年)6月19日

 

現地には銘板等はいっさい無く、ここは尊敬するQ地図様から

引用させていただきました。

 

よみ    :たからばし

完成年(度):1935年(昭和10年) 今年で89歳。

延長    :45.4m

幅員    :6.1m

 

河川の名前は「高原川(たかはらがわ)」。

上流側からの全景はこんな感じ。

年代を感じさせる低い高欄に心が躍る。

 

この橋は、岐阜県のホームページ内で「飛騨地域北部の歴史的土木構造物」

でも紹介されている。

 

右岸に近づいてサイドから。

付近の草木の植生が、廃橋感をさらに醸し出しています。

 

では、宝橋に正対。

比較的、新しいと見えるガードレールには、

「たから橋 老朽化のため通行止」 とある。

 

右岸の親柱はこちら。

 

ガードレールの左右には、それぞれ金属チェーンが張られています。

 

では、通行止めのガードレールの向こう側。

キレイな路盤ですこと。

 

真ん中あたりから向こう側。

 

真ん中あたりで振り返りの景。

向こうに見えるのは「神岡鉱業 株式会社」

 

高原川、上流の景。

 

そして下流の景。

この高原川はこのあと富山県に入り、「宮川」と合流して『神通川』と名前を変えて

日本海・富山湾に流れます。

 

そして左岸側に近づいてきました。

だんだんと草木の植生が立派になってきました。

向こうに走る道路は国道41号です。

 

橋が終わって国道までの「取り付け部分」です。

 

『止まれ』の標識の向こうまで抜けての振り返り。

いやぁ、植生が逞しい。

 

最後にこれ。

国道41号との接点。

これ、危ないわぁ。

このあたりは巡航速度も速いし、シェッドからはカーブになっていて

めっちゃ見にくい。

 

この宝橋、飛騨地域北部の歴史的土木構造物として

静かに余生を送ってほしい。

 

おしまい。

 

大平トンネル【1】よりつづく・・・。

 

大平トンネルを堪能して、最後に南木曽町側でトンネルに

正対した写真がこれ。

トンネルの手前は切通しになっていて、

左右に石積みがあります。

 

場所はここ

 

あれ??

写真の右側に・・・

通路のような、水路のような、

今の位置から緩やかな勾配の「道」が見えませんか???

 

これ、登れるかも!

ほら! ここ!

 

行けるかな???

ということで、少し登ってみた。

なんか、ドキドキする。

「登るな」とか「進入禁止」とは書いてない!

 

・・・で、この先は・・・

明らかに「人が歩いた跡」がある。

 

トンネルの中心付近まで、道は緩やかに登っている。

 

この付近での振り返りの景。

「南木曽町」のカントリーサインが見える。

 

徐々にトンネル中央部に近づいてきた。

トンネルの上に見える「四角い物体」は、例の『明かりとり』。

 

 

真ん中付近からの振り返りの景。

 

このあたりで、トンネルの上部に「よっこらせ!!」と乗っかった。

 

なんか・・・初めて見る景色かも。

良い子は真似をしないように(笑)

 

南木曽町側の入り口の上まで戻ってきた景。

 

こういう高いところには慣れていないので、

これ以上の先は怖かった(笑)

 

延長45.1m先の飯田市側の入り口の上。

この場所もここが限界(笑)。

 

さあ、真ん中近くまで戻って、

飯田市側へ降りるとしよう。

 

飯田市側へ降りる途中の、トンネル扁額がこれ。

 

・・・で、ここを降りてきた。

 

いやぁ、楽しかった。

おかげで大きくタイムロスとなってしまったが。(笑)

 

 

 

長野県道8号(飯田南木曽線)の大平峠に鎮座する、

大平「おおだいら」トンネルに行ってきました。

 

この県道自体も大平街道として伊那谷と木曽谷を結ぶ道として、

古くから交通のかなめとなって今に至ります。

 

飯田市方面から「飯田峠」、「大平宿」と抜けて、

大平峠の看板があるところまでやってきました。

(この写真だと、奥から手前にやってきました)

長野県の峠にはこうした看板があるのでワンポイントアクセントになります。

 

場所はここ

 

そして、これから目指す大平トンネル方向を向いた景がこちら。

少し先の右カーブへ近づくと・・・

 

「大平トンネル」、あった。

 

そして、ご対面。

トンネルというよりは、シェッドみたい。

上部に土被りも無いので、なんか・・・

『土管』を置いた感じにも見える。

 

尊敬するQ地図様によると、

完成年(度)1942年(昭和17年)

延長    45.1m

幅員    (未記載)

 

近づいて、

 

扁額は、

木曽峠とある。

「大平峠」と「木曽峠」の両方で使われています。

 

では、いざ入洞。

オール・コンクリートの巻き立てです。

 

入ってきた方向の振り返りの景。

 

真ん中あたりから先。

上部に見える「四角いヤツ」は、あかりとりでした。

 

トンネル内に『3カ所』のあかりとりがあって、真下から青空が見える。

 

抜ける先の景。

少し向こうに「南木曽町」のカントリーサインが見える。

 

カントリーサインの袂には、『大平街道』の立派な石柱があった。

 

立派な石柱には正面に「大平街道」とある。

 

横には

自 明治三十二年

至 明治三十八年 改修 

とある。

 

こっちはちょっと読みにくいけど、

自 飯田町始点五里二十七町三十五間

自 吾妻村終点五里二十間

って彫ってある。

 

もう少し先まで行くと、高さ制限3.3mの看板が。

 

そしてヘキサもあった。

 

そしてトンネルまで戻って、南木曽町側の坑門に正対。

 

ヨシ!!!

堪能した。

 

これで帰ろうと思ったんだけど・・・

あることを思いついた。

 

同業の趣味の方なら、おわかりかな??

 

【2】へつづく。

 

今日は「岐阜県:土木学会選奨土木遺産」のひとつをご紹介。

 

太田橋(おおたばし)

 

尊敬するQ地図様によると、

路線名    美濃加茂市道御門今渡線

完成年(度) 1926年(大正15年) 今年(2024年)で「御年98歳」です。

延長     217.1m

幅員     6.4m

 

土木学会HPによると、

選奨年    2011年(平成23年)

選奨理由   『中山道の難所の一つである木曽川太田の渡し跡に架けられた単純ワーレントラス鋼橋で

       地域の発展を語るのに欠くことのできない存在であります。』とのこと。

 

ちなみに、この「美濃加茂市道御門可児線」は旧国道21号・248号にあたります。

この太田橋から500mほど上流に『新太田橋』が架設されたのが1983年(昭和58年)。

その新太田橋が国道認定されて、この道が市道になりました。 

 

では、改めて美濃加茂市側(右岸)から正対。

片側1車線で、幅員6.4mは車道だけでギリギリ。

2008年(平成20年)に歩行者・自転車の安全を確保するために、

上流側にトラスの側道橋が完成しました。

 

こう見えて、かなり頻繁に車が通行しますので写真を撮るのも危ないです。

 

右岸、上流側の親柱と側道橋のトラス。

 

右岸、下流側の親柱。

 

河川名が「木曽川」。

この芸術的な親柱、大好きです。

 

そして、上の写真のほぼ真下にある主桁に、銘板発見。

いずれも右読みで、

 

 市 阪 大

作製所工鐵阪大

 年五十正大

 

とある。

今からおよそ100年前・・・

歴史を感じる。

 

 

 

・・・で、側道橋を歩いて渡って可児市側(左岸)へ。

こちらは親柱とトラス部分が離れていません。

橋の上部には、右読みで「橋田太」の名前が掲げられています。

この佇まいも、実にカッコイイ。

 

左岸、上流側の親柱。

 

河川名がひらがなで「きそがわ」。

 

左岸、下流側の親柱。

 

こちらは漢字表記で「太田橋」。

 

少し離れた場所からの全景。

 

いつまでも、第一線で活躍していてほしい。

 

おしまい。

 

 

 

2023年11月23日に、岐阜県美濃市にある「洲原隧道」に行ってきました。

 

場所はここ

 

国道156号を北上して、須原トンネルの手前から右折する。

木立の中、1.5車線の道を500mほど走ると見えてくる。

この先を左にカーブすると見えてくる。

 

振り返って、走ってきた木立の中。

 

「落石注意 美濃市」の看板の向こうに見えてきた。

季節柄(11月)、落ち葉が雰囲気を盛り上げてくれます。

 

では、南側の坑門に正対。

コンクリート製のポータル。

左右のフェンスは落石防止??

 

尊敬するQ地図様によると、

完成年(度) 1933年(昭和8年)

延長     32m

幅員     (未記載)

とある。

 

今年(2024年)で御年91歳だ。

 

扁額は右読みで「道隧原洲」。

おや??

アーチ環やポータルが石積みのようにも見えますが・・・。

コンクリートに「スジ」が入っているだけのように見えます。

 

高さ制限3.4mがワンポイント。

 

では、いざ入洞です。

経年劣化なのか、「黒いシミ」が目立ちます。

 

振り返りの景。

 

抜ける先の景。

 

抜けた先の景。

 

抜けた北側の坑門はこんな感じ。

 

扁額も右読みで南側といっしょ。

コンクリートに「スジ」の入った石積み風もいっしょです。

 

こちら(北側)の高さ制限標識は、だいぶ汚れてます。

 

 

おー!!

ポータル面に直接なんか刻まれている!!

3枚上の写真でいうと、右上の部分に刻まれていた。

 

う~ん、全体が読みにくい。

 

元の写真を拡大してなんとか読めたのは、

一番右(縦書き)が『昭和八年十二月竣功』

真ん中(縦書き)が『請負人岐阜 古田増吉』

一番左(縦書き)は『二●●行考上 河● 加納●●蔵』

ダメです。うまく読めません。

 

最後は、わたくしの一番のお気に入りの景。

もう、濡れ落ち葉が最高です。

11月、大好きです。

 

おしまい。

 

長閑な里山の集落にある、小さいけど古い橋。

 

個人的には「めっちゃ好き」な物件。

 

国道21号、次月(しづき)の集落で少し南に入ったところ。

 

場所はここ

 

いきなりですが、西側から正対。

 

尊敬するQ地図様によると、

 路線名    町道上之郷69号

 完成年(度) 1953年(昭和28年)

 延長     10.3m

 幅員     6.1m

 

コンクリートの高欄はこんな感じ。

 

とってもオシャレ!!

ほんの十数mほどが、とっても芸術的なエリアに見えます。

 

では、親柱の確認。

 

まず、右岸から。

上流側

お誕生日でした。

 

昭和28年3月竣功。

今年で「71歳」ですね。

 

下流側

橋のお名前。

「次月橋」

 

次に左岸へ。

上流側

河川名。

「可児川(かにがわ)」

 

下流側

読み仮名

「しづきはし」

 

橋の真ん中あたりから、

振り返っての景。

 

橋の先の景。

この先、もう少し行って行き止まり。

 

上流の景。

 

下流の景。

こちらの護岸は、左右ともにキレイに整備されています。

特に右岸の整備は最近された感じです。

 

最後に全景。

 

このまま静かに時間が流れて、いつまでもこの「お姿」でいてほしい。

 

おしまい。