2012年3月24日

 

自転車を愛車(軽バン)に載せて、

三重県度会郡南伊勢町にお邪魔しました。

 

国道260号の脇にあった公共駐車場に車を止めて自転車で出発。

 

まずは鴻坂峠に向かう途中で出会った、

コンクリート製の古い橋で思わず記念撮影。

護岸工事がキレイになされている。

河川は「斉田川」(後で調べたらわかりました)

 

この当時はまだ「橋」に対しての思い入れも少なく、

主役はあくまでも『自転車(ランドナー)』でした。

 

前後しますが、ファーストコンタクトはこれ。

見た瞬間に『ド・ストライク』な風景。

 

道幅も狭く、見事な景です。

 

以下、Q地図さまから

 

*名前   山神橋

*架設年度 1933年(昭和8年)3月架換

*橋長   12.1m

*幅員   3.8m

 

右岸、上流側の親柱。

読みにくいけど、「昭和八年三月〇〇」とある。

 

右岸、下流側の親柱

「山神橋」。

 

最後の1枚はこれ。

橋の手前の通路みたいなところを下っていくと、

『山の神様の祠』があるそうです。

 

そして、この山神橋の先には

この先(鴻坂峠)

道路幅員狭小のため

大型車通行不能

三重県

 

=====

当時はこういった標識の方が、

自分の中の「ワクワク感」が圧倒的に強かった(笑)

=====

 

だから残念ながら、橋の写真はこれだけ。

 

おしまい。

 

今日ご紹介するのは、短い自分の経験値の中ですが

「ガードレール製」の錆びた高欄をまとった橋。

 

名称   青木橋(あおきばし)

路線名  可児市道42号線

架設年度 1973年

橋長   17m

幅員   6.8m

 

この道路、普段は交通量も多く小学生の通学路に指定されているので、

隣に「側道橋」が架設されている。

 

とにかく、この錆びついた高欄が目にとまった。

 

可児市道42号線を東から西に向かって走り、

現れた橋がこれ。

錆びまみれの高欄が目を引きます。

 

右岸の上流側の親柱

漢字表記で「青木橋」

コンクリート製の親柱もけっこう「ゴッツイ」感じ。

 

右岸下流側の親柱

河川名は「姫川」

 

では、橋上にお邪魔します。

 

上流側の景

 

そして下流側の景

隣は「青木橋側道橋」

 

渡り切っての、振り返りの景

 

左岸上流側の親柱

「昭和48年3月竣工」とある。今年で52歳ですね。

 

左岸下流側の親柱

「あおきばし」

 

最後に遠景

 

グーグルマップで見ると過去のお姿が見えるが、

2012年の写真は高欄が白く塗りなおされている。

 

白いキレイな高欄は、なんとも味気のない雰囲気。

 

またそのうちに「お化粧直し」されるんだろうな。

 

おしまい。

 

 

岐阜県加茂郡白川町にある「白川橋」は、

土木学会の「選奨土木遺産」として認定されています。

 

こちら全景。山あいの風景に溶け込んでいます。

竣功年・・・1926年(大正15年)

橋長・・・・115.0m

幅員・・・・3.4m

径間長・・・20.3m+74.4m+20.3m

形式・・・・トレッスル型塔を有する3径間2ヒンジ鋼補剛トラス吊橋

 

土木遺産

選奨年・・・2006年(平成18年)

選奨理由・・鋼補剛トラスによる3径間2ヒンジの吊橋で、主塔も鋼トラスからなる。

      現存する吊橋としては非常に珍しい鋼吊橋。

(以上、土木学会HPより)

 

優雅に流れる飛騨川に架かる吊り橋です。

 

右岸の袂にある町営駐車場から国道41号を少し南へ歩きます。

かなり年季の入った新聞店の建物の脇から見える景。

 

この白川橋は今では「自転車歩行者専用」になっています。

近づいての景。

銀色に塗られた鋼材が光っています。

めっちゃカッコイイ!!

 

では、おじゃまします。

車が通行しないのでノンビリ、ゆっくりと楽しめます。

 

扁額、拡大。

右読みで「橋川白」。

 

リベットに萌えます。

 

そこからの振り返りの景。

国道の向こうにはJR東海の高山本線が走る。

ちょうど「特急 ひだ」がディーゼルエンジンを響かせて走っていった。

 

途中にあった銘板、その1

大正15年製造

大阪

日本橋梁株式會社

 

途中にあった銘板、その2

右読みで、

負請(請負)

山高州飛(飛州高山)

衛兵宗本山(山本宗兵衛) とある。

 

橋上からの上流の景。

左手に「白川口駅」の跨線橋が見える。

 

橋上からの下流の景。

向こうに見える青い橋は「飛泉橋」。

1960年(昭和35年)に完成した国道41号に架かる橋。

 

さて、対岸(左岸)に近づいてきた。

 

 

 

 

通り抜けてからの振り返りの景。

 

袂の案内板には、土木遺産として選奨された経緯や詳細が記されていました。

 

拡大すると、

 

「自転車・歩行者専用道」のこの橋、車道とは違った時間の流れを感じます。

 

おしまい。

 

 

この趣味で福井県大野市近隣に出向いた際は、

できるだけ立ち寄るように心掛けている。

 

場所は、JR西日本「越前大野駅」から

徒歩で10分と少々。

 

所在地・・・福井県大野市春日1-4-17

電話番号・・0779-66-2948

 

住宅街の中に佇む、昭和的な大衆食堂・とみたやさん。

静かな佇まいがとってもステキです。

 

車で行っても、お店の前に3台ほど止められる駐車場がある。

店の看板や暖簾にあるとおり、ここの名物は

「手打ちそば」と「カツ丼」です。

 

高齢のご夫婦と娘さんでやっていらっしゃる。

娘さんがそばを打ってらっしゃる。

帰り際にショップカードがあればいただきたい旨を伝えたところ、

娘さんが「そば打ち担当」と書かれた上の名刺をくれました。

 

「そば打ち担当」っていう肩書?、カッコイイと思います。

 

店内は、こじんまりとしていて本当に昭和的です。

(店内の写真は許可をいただいて写しました)

テーブル席。

 

入り口側のこあがり席

 

奥のこあがり席

 

何回か訪問してますので、いくつかご紹介します。

 

まずは単品の『おろしそば』。(ちょっとピンボケ、ごめんなさい)

大根おろしが効いています。

 

そしてある時は『カツ丼とおろしそば セット』。

カツ丼は「福井のカツ丼」です。

 

「とんかつを卵でとじる」というカツ丼を見慣れている自分にとって、

「福井のカツ丼」は新鮮です。

 

次の時は『焼き飯セット』。

「焼き飯」と「ミニラーメン」のセットです。

ラーメンは魚介系+醤油のダシが効いてサッパリです。

 

また、ある時は『オムライス』。

 

いつも美味しいお食事をありがとうございます。

 

親父さんも、お母さんも、娘さんも

いつまでも元気で長く続けてほしいと思います。

 

 

2024年6月5日、

長野県木曽郡南木曽町⇒飯田市において

大平トンネル大平トンネル・番外編の『現地勉強会』(笑)を終えて、

長野県道8号線を飯田市方面に降り、次のお勉強会場所に向かった。

 

向かったのは「大平集落」。

ここは古いものだと江戸時代末期の建物が残っており、

郷土環境保全地域として指定されているところです。

 

・・・と硬いことを申し上げましたが、

私の目的はこの江戸時代末期の建物ではなくて

『林道 鳩打線』との分岐点です。

 

分岐点に立って、林道方向を写したのがこれ。

 

近づいて、

【高さ制限 3.0m】

【10㎞先 鳩打隧道】

この景だけで、丼ごはん3杯イケる。

 

時期は6月なので深緑真っ盛り。

さあ、レッツゴー!!鳩打隧道!!

 

・・・10㎞の林道は未舗装でガタガタでした。

路面はデッコボコ、時期的(梅雨)に大きな水たまりがいっぱいで、

車はドロまみれ。

それでも行きます!!

 

やっと、やっとでようやく見えてきた!

 

鳩打隧道、西側(大平集落側)坑門。

 

近づいて、

 

こんにちは、鳩打隧道さん!

私の勉強不足のためこの隧道の正確な「延長」、「幅員」、「高さ」や「竣功年月」

はわかりません。ごめんなさい。

観音開きの鉄扉がス・テ・キ

【高さ制限 3.0m】

【幅員制限 2.3m】の標識以外に、

鉄製チェーンで黄色い版に【高さ制限 3.0m】とある。

 

冬季には、トンネル内の凍結防止のためにこの鉄扉が閉められるようで。

よく見ると左側の鉄扉には、人道用の小さい扉も付いている。

入り口付近は、鉄製ライナープレートで補修されている。

 

扁額は、

・・・植生が邪魔して見えない・・・

 

諸先輩方の記録を見ると、右書きで「道隧打鳩」となっているそうで。

しかもかなり崩した書き方で。

 

では、おじゃまします。

うぉ!! カッコイイ

異世界への道みたい。

入って10mぐらいはこんなゴッツイ感じ。

 

それが終わると、キレイなコンクリートに変わった。

このやり方、PCL工法というそうで。

なんか・・・異世界の入り口から冥土へ続いているようです(笑)。

 

内部はこんな感じ。

写真の下半分が明るいのは車のヘッドライトのため。(カメラのフラッシュはOFF)

側壁の様子がリアルにわかっておもしろい。

 

ちなみにこのトンネルは何回か崩落事故を起こしており、

平成21年10月の崩落時にこの「PCL工法」で補修・補強して

今の姿によみがえったそうで。

 

東側坑門(大瀬木集落方面)に近づくと路面がキレイになってきた。

側壁の下にはグレーチングもあった。

 

更に東側坑門に近づくと、コンクリート製の側壁が高くなっているところが。

 

ようやく東側坑門に到着。

すっかり路面がキレイになっている。

 

出る先の景。

こちらも緑が豊かです。

 

あれ??こちらは舗装路だ。

 

そして、出てからの振り返りの景。

「鉄扉」、「高さ制限」「幅員制限」、「鉄製チェーン」、「人道用扉」などは

西側坑門と同じですが、こちらには鉄製ライナープレート施工はありません。

また、坑門の上部にコンクリートの巻き増しが見られます。

 

扁額は、植生はありませんがよく見えません。

こちらも西側と同じ右書きで「道隧打鳩」と書かれているようですが。

 

はい、充分に鳩打隧道を堪能しました。

 

隧道から大瀬木集落の林道分岐点までは、

多少のデコボコはあっても舗装されていました。

 

そして林道分岐点にあった看板の景がこちら。

こちらからは3.9㎞で隧道まで行けるんや。

 

そして林道表記。

いや~、充分におもしろかったです。

楽しい『お勉強会』でした。

 

2009年5月のこと。

 

自転車旅行で岐阜駅から下呂駅まで走った時のこと。

国道から少し外れて「古井(こび)駅」に立ち寄ってしばし休憩。

駅の正面で、自転車を立て掛けて「パチリ」と記念撮影。

今となっては、ハンドルを「キチン」としなかったことが悔やまれる。

板塀の古い木造駅舎。

古井駅の開業が1922年(大正11年)11月だから、

この駅舎もその当時のものだろうか?

『建物資産標』を写していなかったことが悔やまれる。

 

 

当時の切符売り場がこれ。

 

 

改札口を出て、すぐの1番線から上り(岐阜)方面を写したものがこれ。

 

 

そして2番線の「駅名表示版」を写したのがこれ。

 

 

時は移り、2017年(平成29年)3月から新しい駅舎となった。

 

2023年8月に新しい駅舎を見てきた。

新しい駅舎の全景がこれ。

 

すっかりキレイになったね。

コンクリートパネルの駅舎。

現在、他でも建て替えがされている駅舎は全部こんな感じですね。

駅舎というよりは「待合所」みたいな・・・。

今の時代、「防犯」「防火」等の管理面からすると、

必然的にこうなりますわな。

 

 

待合室の中はこんな感じ。

 

ただ、うれしいことに旧駅舎の入り口上部にあった『駅名表示板』が

この殺風景な待合室の中に掲げられてあった。

うれしい「計らい」ですね。

この表示板を見たら、涙が出てきた。

 

木造駅舎よ、永遠なれ。

2025年1月1日、旅足橋の次に訪れたのは「湯谷橋」。

 

ここも1年ぶりの訪問ですが、

やはり静かな佇まい。

 

おさらいですが、

延長・・・33.8m

幅員・・・4.4m

完成・・・1953年(昭和28年)3月

製造・・・汽車製造株式会社

 

前回訪問時のブログはこちら。

 

 

 

道路左の「おにぎり」もトラスのサビ具合も特にお変わりは無く。

 

 

もう少し近くで。

「橋の補修をおこなっています」との看板があった。

旅足橋と同じ内容でした。

 

 

くどいようですが、おにぎりを。

 

 

 

 

 

 

左岸へ渡り切って、これが上流側からの全景。

 

 

そしてこちらが下流側からの全景。

 

 

有名な青看板も。

 

 

最後になりますが、昨年の訪問時より大きく変わっていたところ。

以前はここに「A型バリケード」で通行止めとなっていましたが、

今回は簡易フェンスのようなもので通行止めです。

扉の右側の取っ手は、錠前でしっかりロックされていました。

 

やっぱり、確実に新丸山ダム工事が進んでいます。

 

 

 

新年あけましておめでとうございます。

 

昨年の初めに当ブログを立ち上げ、

前半こそ意気揚々と取り組みましたが、

後半は完全に電池切れ状態・・・。

 

理由は単純に、

①仕事が忙しくなったこと。

②体調を少し崩したこと。

 

仕事の忙しさは変わりませんが、

体調が回復してきたので、

少しずつですが、

投稿を再開していきたいと思います。

 

新年のご挨拶はこれぐらいにして・・・

 

今年も元日に行ってきました。

岐阜県加茂郡八百津町の旅足橋へ。

ちなみに、2024年1月1日の旅足橋訪問の記事は「こちら」。

 

静かなダム湖畔を走ると、

まるでその界隈の景色をも圧倒させるように、

貫禄あるこの「お姿」が見えてきた。

これは一旦、渡り切って東側からの撮影。

ダム湖の奥に現在の「丸山ダム」がある。

 

 

主塔のたもとに現在進行している工事看板があった。

『橋の補修をおこなっています』と書いてある。

いずれダム湖に沈む運命でも補修はされるんだ??

(素人にはその辺り、わからないですが・・)

 

橋の袂の樹木が伐採されたので、

近くでも全景が見れるようになった。

 

やっぱり、貫禄あるな。

 

 

途中からの西側の景。

遠くに丸山ダムが見えてきた。

 

静かです。

 

 

渡り終えて、少し横からの景。

 

また1年、カウントダウンが短くなった。

 

 

さあ、東側へ戻ろう。

 

 

途中にあった工事の看板。

工事の概要は「当て板補修工(12箇所)」と「現場塗装工(168m)」とあった。

 

 

この日は気温も低く、本当に静かな雰囲気でした。

 

早朝に自宅を車で出発して延々と下道を走り、

4時間かかってようやくたどり着いた。

 

飛騨の山中に続く、大規模林道高山大山線にあるトンネルといえば

ここ

 

ここは「北ノ俣岳登山口」となっていて、この日も数台の車が止まっていた。

 

 

ここから来た道を振り返るとこんな感じ。

 

改めて正対。

なんの変哲もない、コンクリートパネルのポータル。

でもね。

坑門のおでこと左右に「木製の扉」が付いているんだよね。

 

近づいて、

なんか・・・要塞のような??  秘密基地のような??

「ウルトラフォーク」が発信して来そう(笑)。

めっちゃ『カッコイイ』。

 

扁額は、

『飛越トンネル』

 

坑門の脇に銘板があった。

『飛越トンネル』

『1995年3月』

『森林開発公団』

『延長419.9m  幅6.5m  高4.5m』

『施工 大日本土木K.K』

 

では、少し中に入ってみて。

 

左の扉に何か表示がある。

「有峰林道冬期閉鎖中 富山県森林公社」とある。

ここは毎年、11月中旬から翌年の5月31日まで冬期通行止め。

その時には、この門扉が『ピッシャーン』と閉じられるようで。

 

閉じられた姿もこの目で見てみたい!

 

では、おじゃまします。

 

そして振り返りの景。

おでこと左右の扉で「シェッド」みたいになっちゃって・・・。

 

延長が420mほどあるので、徒歩前進は断念。

車で反対側へ移動。

 

トンネル内での県境。

車が全然通らないからこんなことができる。

(良い子はマネしないようにね)

 

トンネルを抜けて、富山県側のポータル。

こちらはおでこと左右の扉が少し坑内に入ってます。

 

では、富山県側にもおじゃまします。

 

ここでの振り返りの景。

 

抜けた先の青看、拡大。

「これより有峰有料林道」

「折立 27㎞」

「有峰ダム 19㎞」

 

そして個人的に大好きな、この青看の反対側がこちら。

『高山 90㎞』

『飛騨 62㎞』

 

ここは飛騨市ですが、飛騨市の中心街まで62㎞もある。

お隣の高山市(中心街)へも90㎞もある。

 

どんだけ遠いねん!!

 

おしまい。

 

 

 

 

本日ご紹介するのは、山間部の集落を結ぶ道にあるちょっと古い橋。

 

高山市の奥飛騨温泉郷エリアから国道471号を東進して、

上宝町鼠餅エリアから「岐阜県道477号 長倉神岡線」に入る。

 

場所はこのあたり

 

高原川の左岸を、ちょっと幅の狭い道路が通っている。

河川沿いの国道が走っていて、

その対岸を走る道は、個人的に『ストライク!!』です。

 

ファーストコンタクトはこんな感じ。

おぉ!

昭和の香しいにおいがする。

 

少し近寄って。

おぉ! いいねぇ。

 

そして正対。

 

左側の親柱はお誕生日。

『昭和三十一年十二月 竣功』

この親柱の形、自分の経験値が少ないせいかあまり見たことがないな。

苔むした具合はとってもいい。

 

高欄はこんな感じ。

おぉ! 実にイイ。

 

右側の親柱は漢字表記で『谷戸橋』

ちょっと足元が欠けていますが・・・。

 

右側の高欄はこんな感じ。

 

では、お邪魔します。

 

そしてお決まりの振り返り。

 

途中の上流の景がこちら。

木々の枝が大きく張り出していて見にくい。

 

下流の景がこちら。

こっちも全然わっからへん。

 

で、渡り終えてからの振り返りがこちら。

お日さまが差していると、雰囲気がぜんぜん違う。

 

右側の親柱は、ひらがな表記で『たにどはし』。

 

左側の親柱は河川名の『谷川』。

なんか・・・そのまんまって感じ。

 

尊敬するQ地図様によると、

完成年(度) 1955年(昭和30年) 「あれ??1年違う??」

延長     13.7m

幅員     4.5m

 

最後にサイドビューがこちら。

 

このあたり、

少し前まではこのようはコンクリート製の高欄を持つ橋がいくつかあったけど、

近年に改良されて「白いガードレールの味気ない高欄の橋」になっている。

 

少しでも長く残っていてほしい。

 

おしまい。