さて、

先日の猪谷駅訪問は、ずいぶんと堪能させてもらいました。

 

猪谷駅「駅舎編」はこちら。

猪谷駅「ホーム編」はこちらから。

 

富山方面へとホームを見学している時に、

「「何だろうな」」っていうヤツを発見。それがこの景。

(車両の停止表示じゃないよ、その奥です)

この写真でいうと、左の土手から水路橋みたいなヤツが構内を横切ってます。

 

 

近づいて、

なんと・・・

4本の橋脚?が古レールやん!!

 

もちろん線路には降りられないから

もう一度、駅舎の方に戻って見てきました。

 

これが全体の景。

「「Yの字」」がキレイに並んでます。

 

 

下から。

 

 

 

刻印を探したら、やっぱりあった。

見にくいかもしれませんが、右の古レールに刻印があります。

 

そしてこちらにも右側の古レールに刻印があります。

 

駅構内を横断してきた水路橋は、ここで直角に降ります。

 

 

そして「ザバザバ」と流れて行ってます。

 

なぜ??ここに??

 

単に山からの水を、構内を横切って逃がしているだけかもしれませんが、

そこに古レールが使ってあるとは・・・。

 

キレイな女性の「華奢な足元」にも見える古レールの佇まい(笑)が

想い出のひとコマになりました。

 

おしまい。

 

 

前回の猪谷駅「駅舎編」はこちらからどうぞ。

 

さて、駅舎の中を見た後はホームに行きましょう。

まずは、構内踏切で3本の線路を渡ります。

 

 

ホームが遠くに感じます。

 

渡り終えての「高山方面」。

左の奥に見える建屋は何でしょうね。

 

そして「富山方面」。

奥には係留されている、JR東海の「キハ25系」が見えます。

 

更に駅舎の方を振り返って。

いかがでしょう?

上の3枚の写真から、操車場がとても広いことが伝わりますか??

 

やはり、神岡鉱山全盛期の貨物取扱量が相当に多かったんでしょうね。

 

さて、ホームにあがっていきましょうか。

駅舎に近い、向かって右が1番線。左が2番線。

1番線は高山方面の上り線。2番線が富山方面の下り線。

 

先に上り方面(高山方面)のホームの先端まで行きます。

 

フェンスがあるところは「神岡線」(後の神岡鉄道)のホームでした。

こちらは2006年(平成18年)12月1日に廃止されてしまい、

現在は線路も無くなってしまってます。

 

ホームの先まで行って。

 

そこからの振り返り。

ずいぶんと駅舎が小さく見えます。

 

続いて下り方面(富山方面)のホームの先まで。

 

 

おやおや、奥にもう一編成のキハ25がいます。

 

 

そしてそこからの振り返り。

 

静かです・・・。

本当に静かです・・・。

 

これで終わる予定でしたが気になるものがあったので、

次回【番外編】でご紹介します。

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

高山本線の岐阜県側から富山県に入ってすぐの駅が

ここ、猪谷駅。

 

JR東海とJR西日本との境界駅。

駅舎の管理はJR西日本。

 

1930年(昭和5年)11月27日、開業。

 

神岡鉱山の物資搬入中継地点の駅として位置づけられ、

貨物の取り扱い量は相当なものだったようです。

 

現在では貨物の取り扱いも廃止されましたが、

とにかく操車場がやたらと広いんです。

(このあたりは後日の書き込みで紹介します)

 

今ではすっかりと静まり返ったローカルな駅。

 

2013年8月に自転車旅行で立ち寄った際の写真がこれ。

頭上の駅銘板が手書きで迫力があります。

 

そして、2026年5月の駅舎の写真。

駅の入り口付近がキレイにお化粧直しされていましたが・・・

頭上の駅銘板までが現代のモノに変わってしまってました。

 

 

駅舎の全景がこちら。

 

 

正面入り口。

 

 

正面、やや左から。

塩ビ製の波トタンが雪国を物語ってます。

 

 

建物財産標がありました。

詳しい内容はわかりませんが、

『昭和5年11月』に建てられた『駅本屋』ということは

自分なりに理解しました。

 

ちなみに、駅本屋(えきほんや)は鉄道用語で

「主要な施設が入った建物」と解されています。

 

 

駅前の景。

左に郵便局、右に土産物売り場。

もう少し奥には「猪谷関所館」という地域の歴史博物館があります。

 

 

駅舎の中は待合所と売店跡の自販機コーナー。

 

 

 

では、ホーム出てみましょう。

 

【「ホーム編」につづく】

 

 

 

 

 

2022年11月8日、

福井県大野市から国道157号を走行し、

温見峠を使って岐阜県へ走った時のこと。

 

大野の市街地を抜けて山岳地域に入ると、

真名川ダムがある。

 

ダムの天端を使って対岸の林道らしき道に入ります。

 

見えてきた景色がこれ。

風格のある上路トラスの橋。

 

場所はここ。

 

正対します。

橋の手前のコンクリート製「駒止め」もいい雰囲気です。

高欄上部も等間隔でへこんでいます。雪の重みでしょうか?。

 

親柱は、

「持篭谷橋」。

 

谷の名前は「持篭谷」。

 

上流側の景。

 

 

そして下流側の景。

すぐ先が「麻耶姫湖」。

 

橋の中ほどから先の景。

 

そこからの振り返り。

高欄の波打ち状態が芸術的にも見えますが・・・。

 

渡った先の親柱。

「昭和四十六年十月完成」

 

こちらはかな読みで「もつかだにばし」。

 

渡り終えての振り返り。

秋の終わりの奥越地方。

物悲しさを感じます。

 

ちなみに、

グーグルマップのストリートビューを見ますと、

最新(2025年7月)の日付ではこのガードレールの高欄が

ポール式のようなものに変わってしまってます。

 

 

 

おしまい。

久しぶりの草ヒロ投稿。

 

畑の倉庫として、余生を送られている。

もう何年もここにいらっしゃるのだろう?

 

2代目トヨタ・タウンエースバンDX(デラックス)

フロントマスクが見えないほど「緑色の支柱」が置かれて、さらに蔓が伸びている。

 

1980年代は車全体が角ばったデザインが流行ったころ。

当時はこのような箱型のワゴンやバンは『ワンボックス』と呼ばれていました。

そしてボディの横にはサイドストライプがおしゃれなワンポイントでした。

 

 

リアウインドから中が見れますが、いろいろギッシリ詰まっています。

 

こちら側も緑色の支柱がたくさんもたれかかっています。

これからも静かに余生を過ごしてください。

 

おしまい。

 

 

里山の集落で見つけた昭和のホーロー看板。

 

1968年発売のボンカレー。

発売当初から女優の松山容子さんがパッケージモデルを

務めていらっしゃったようで。

 

『牛肉 野菜入り』ってあるけど、

昭和の中期ぐらいだと牛肉のカレーって高級品だったよね。

 

髪型もお着物も激シブです。

 

松山さん、いつまでもお元気で。

 

2026年1月1日「旅足橋」の後に訪れたのは、湯谷橋。

 

ちなみに、

2023年12月31日「湯谷橋」はこちら、

2024年1月1日「湯谷橋」はこちら、

2025年1月1日「湯谷橋」はこちら。

 

この湯谷橋は旅足橋のようなお化粧直しの塗装工事も終わっているようで。

冬枯れの景色の中で、真っ赤な姿が異様なまでに目立ちます。

 

近づいて。

 

そして「おにぎり」と並んで正対。

さて、渡りましょう。

 

真ん中付近からの振り返りの景。

 

真ん中付近から東側の景。

 

この青看板も相変わらず、お元気のようで。

 

渡り終えての振り返りの景。

 

少し回り込んで、左岸上流側からの景。

 

左岸下流側から。

 

最後はこの先のR418の景。

 

ゲートまで近づいて。

まるで時間が止まっているような、

静かな・・・、静かなひとときでした。

 

おしまい。

ずいぶんと時間が過ぎてしまい、

記事にアップしようかどうか・・・迷ったのですが

やはりお伝えすることにしました。

 

ちなみに、

2024年1月1日の訪問記録は【こちら】

2025年1月1日の訪問記録は【こちら】

 

いつものように八百津町内から国道418号を東進して、

丸山トンネルを抜けたところで右折する。

 

河岸の木々がずいぶんと手前から伐採されていた。

見えてきた景がこれ。

なにやら工事の匂いがぷんぷん。

 

 

ワイヤーの手前で正対。

両サイドにはオレンジコーンが置かれていますが、

通行止めではないようで。

 

近寄っての景。

橋の東側(この写真では奥)の3分の1ほどだけ足場がかかっている。

 

少し横からの全景。

こちら側には工事の案内が無いので、

どんな工事かはいっさいわかりません。

 

 

渡り始めて。

足場が要塞のように見える。

 

近づいて。

 

 

 

工事個所に少し入ってからの振り返りの景。

 

更に奥(東)へと進んで。

 

ここからの振り返り。

 

抜けての振り返り。

なんか、貫禄あるわ!

 

現場にあった、完成イメージの図。

「古い塗膜や錆びを除去して新たに塗り替えています」ってありますが、

もうすぐ役目を終える運命ですよね??

しかもこの図を見る限り、塗り替えは3分の1ほどのようです。

残りはやるの??それともやらないの??

 

どなたか・・・詳しく知っていらっしゃる方、教えてくださいな。

 

 

最後に東側からの全体。

 

2027年1月1日はどうなっているんだろう。

 

さあ、次はあの橋へ。

 

おしまい。

 

 

 

2026年4月29日。

 

所用で岐阜県中津川市に出かけた時のこと。

 

中津川市坂下の「道の駅 きりら坂下」から

岐阜県道6号(中津川田立線)を通った際に見つけた、戦前生まれの橋。

 

一旦、渡り切ってから車を止めて写した全景。(右岸上流側)

橋脚が石積っていうのもとてもいい雰囲気です。

平成24年度全国橋梁マップによると、

名称   坂下橋(さかしたばし)

路線   岐阜県道6号 中津川田立線

架設年度 1932年(昭和7年)

橋長   46m

幅員   4m

 

 

では、正対して

下流側には歩行者用の橋も。

 

右岸上流側の親柱。

 

 

 

コンクリート製の昭和テイストの親柱ですが、銘板が剥がされたのか埋められたのか、

全くもって無い状態。(しかも全部の親柱が・・・です。)

 

右岸下流側の親柱。

親柱の上には何か取り付けられていたのかな??

 

 

渡り始めて中ほどまで来た。

向こうに見えるのが坂下の市街地。

 

 

上流側の景

河川名は川上川

 

下流側の景。

向こうに見えるのは中央本線。

 

高欄のデザインも雰囲気もいい味わいです。

 

 

渡り終えての振り返りの景。

両方の親柱の脇にある「小さな支柱のようなもの」が、なんか気になります。

 

左岸上流側の親柱

 

左岸下流側の親柱

 

 

左岸上流側からの全景。

 

石積の橋脚が気になったので、下まで降りてみた。

そこからの1枚。

橋脚の上流側が尖っている「水切り」も石積だと重厚感がマシマシです。

 

おしまい。

 

 

【1】よりつづく。

 

石榑峠、三重県側のコンクリートブロックに到着。

 

正対して。

 

少し横から。この無数の傷あと。

いったいどれだけのクルマが「ガリガリッ!!!」ってやったんだろう??

 

 

通り抜けて、反対側から。

落ち葉とか、木々の残骸がたくさん。

 

 

時間にして20分ぐらいだろうか。

このコンクリートブロックを堪能してました。

 

さあ、あらためて出発。

ここからが本格的な『酷道区間』です。

 

これは振り返りの景。

「おにぎり421」と「大安町石榑南」の看板。

 

 

今までの路面状況とは大きく変わってきました。

道幅が狭くなり、道路わきの堆積物もたくさん。

そしてひしゃげたガードレール。

 

 

道路の進行方向から、じゃあじゃあと自分の方に水が流れてきます。

やはり、このエリアは水が多いんでしょうね。

「洗い越し」なってもんじゃない。

 

水のじゃあじゃあ区間を過ぎると、今度は砂と砂利の区間。

 

崩れた崖で、道が埋まってます。

 

 

そんなこんなで、

えっちらおっちら進んでいくと・・・

 

峠好きな自転車乗りさんなら、この景色が峠の直前・・・

っていうこと感じますよね。

 

 

はい、ついに峠に到着です。

 

 

 

そして滋賀県側のコンクリートブロック。

 

滋賀県側は、この峠まで車でくることができます。

登山をされる方のクルマでしょうか。

たくさん止まっています。

 

振り返っての「三重県 いなべ市」のカントリーサイン。

足元のA型バリケードが休んでみえます。

 

 

「滋賀県 東近江市」のカントリーサイン。

 

峠の周辺を堪能した後は、

来た道を引き返しました。

 

おしまい。