Comet Picnic 〜未知の世界を旅するように〜 -3ページ目

Comet Picnic 〜未知の世界を旅するように〜

多次元キネシオロジストで産業カウンセラーのSatokoのブログ。
日々のあれこれや、自己ヒーリングの記録、趣味のタロットについて、マイペースに綴っています。
オンラインセッションもやっています。

先月、多次元キネシオロジーのオンライン筋反射クラスがありました。

過去にクラスを受けた人は不要と言われてましたが、もう一度基礎を復習したいと思って受講しました。


で、受けてみたら以前のクラスでは聞いていない内容もどんどん出てきたので、やっぱり受けて良かった〜爆笑

前にクラスを一緒に受けた人たちも結構、参加していたので「みんなも頑張ってるんだな」と、嬉しい気持ちになったり。


あくまで自己調整のためのクラスでしたが、内容は盛りだくさんで、他の受講者の質問もすごく参考になりました。


つい「何が正しいか」を筋反射で確かめようとして、ブロッキングを起こしてしまうこととか。

本当、あるんですよね。


私も最初の頃、知人が筋反射で聞く質問に疑問をもっていました。

それは例えば、

「欲しいお菓子が、どの店に置いてあるか?」

「空いてる駐車場はどこか?」とか。


もちろん大事な場面で、「いつも満車の駐車場が一台だけ空いていて超ラッキー」みたいなことはあるでしょうし、そういう時は筋反射も活用できるかもしれません。でも毎日の生活で、そうやって使えるものなのかな・・・?と。


むしろ、毎日、何回もそんなことを筋反射で調べている知人を見ていると

「時間の無駄をしたくない。損したくない」

「とりあえず正解を教えてもらおう」

といった問題を感じていました。


改めて考えてみると、きっと筋反射は「正解を教えてくれる」ツールではなくて、「つい正解を欲しがってしまう自分」の問題を知り、分析して調整するためのツールなんだと思います。



他にも、筋反射では「自分に合うか」は分かっても、「どう行動すべきか」を知るのは難しいです。


お店でかわいいTシャツを見つけて、ピンクとブルーで迷っていた時に、素材とか染料が、自分の体に合っているか?を調べることはできます。


でも、どっちが似合うか?手持ちの服と合わせやすいか?・・・をふまえて、結局どっちを買うと良いかは、自分で決めることで筋反射に聞くことじゃない。

というか、それくらい自分で決めようよ!(笑)


ここでも筋反射は、「自分の代わりに何かを決めてくれる」ツールではなくて、「決められる自分になる」ためのツールなんだなぁ、と思います。


・・・でも私、好きなブランドのセールの時に、分かっていても、よくこれやります笑い泣き←オイ



なんて、難しいところもありますが、でも食べ物や化粧品のエネルギーレベルを測るとか、やりだすと楽しいんですよね。

カード選びで、ドンピシャなメッセージが出ると、その内容だけじゃなくて、筋反射でカードを選べたこと自体が嬉しくなったり。


小さなことですが、自分だけの力ではない、何か大きな流れが働いているのかな、と自然と感じられます照れ

でもこの感じって、ヒーリングをする上で、というか生きる上で、すごくすごく大切な感覚なんですよね。


そんな感じに、久しぶりに筋反射を使う楽しさを再確認できたクラスでした。



あと、先日はプラクティカルクラスのフォローアップもあったんですが・・・。

すごいのは分かったけど、できる気がしないよ!!(笑)

自己調整に試していますが、もう少し消化に時間がかかりそうですガーン



暑くなってきましたね。

私は、せっせと自己ヒーリング強化月間をやっていますニコニコ

さて、今日はポジティブなパワーを受け取るヒーリングをやっていたのですが、急に喉が痛くなり、スキャンリストを見ていくと、自己価値や安心感に関するインナーチャイルドが反応していました。


「母に責められた」

「話を聞いてもらえなかった」


という言葉が選ばれたんですが、どうもピンと来ない。

いや、どっちも分かるんですが、過去のセッションでも何度も出てきているテーマで、「今さら?」というのが正直な気持ちでした。


リストからは、それ以上の情報が出てこなくて、考えていると、思考があっちこっちに行き、最近の嫌な気分になったことを思い出したり。

陰で私のことを変なあだ名で呼んでいた知人のこととか、相手によってあからさまに態度を変えている人への怒りとか。


私は人に軽く見られて損をしてる!みたいに思った出来事が、つらつらと浮かんできては、でも自分も完璧じゃないし、だったら相手のことも許さないといけないんじゃ・・・。


でもでも、たとえ自分が完璧じゃなくても、嫌なものを嫌だと言うのは自由では!?

それで状況が変わらないかもしれないけど、言う権利はあるでしょう!


そう思った時に、ふと小学校低学年の時のことを思い出しました。

その日は、家には母と私の二人だけ。母が夕飯の準備をしていました。

その日の晩御飯はタコ焼き。(たぶん父がいない時の手抜きメニューてへぺろ


母がお皿に盛ったタコ焼きに、ソースをかけてくれたんですが、私はその頃、お店で食べた出汁につけて食べるタコ焼き(たぶん明石焼)が大好きでした。


なので、「お出汁が良い」と言ったんですが、母はこっちを見ることもなく、「今日はソースだから」という答えでした。


私はもう一度「ソースじゃなくて、お出汁が良い!!」と、さっきより大きい声で言う。

すると母は、お皿を乱暴に置いて、「そんなに言うなら食べなければ良いでしょ!!」と、更に大きい声を出して、不機嫌オーラ全開になってしまったのでした。


キッチンの電気だけがついている、薄暗いリビングの雰囲気と一緒に、母を怒らせてしまった悲しさと、でもそんなに怒られるとは思ってもいなかったので、ひどく驚いたことを覚えています。


正直、もっと辛かったこともたくさんあったのに、この何気ない出来事を、時々ふと思い出すことがありました。


これ、改めて見てみると、被害者意識の応酬ですガーン

以前、多次元キネシオロジーのクラスで、親が被害者意識が強いと、子供も同じようになることが多いと言われました。

親が被害者意識で子供を責めると、子供は「自分は悪くないのに、責められた」となって、被害者意識が強くなる。そんなやりとりを、親子間で繰り返してしまうんですね。



母はせっかく用意した晩御飯に、文句を言われた、責められたと感じたんだと思います。

「ちゃんと晩御飯を用意したのに。自分は頑張ってるのに、どうして責めるの!?」と被害者意識になり大きい声を出した。


そして私は母を責めたつもりはなく、食べ方の希望を言っただけなのに、急に怒られ、責められた。

・・・という被害者意識になっていました。


実際に、その時は家にお出汁がなかったのかもしれません。私がいくら言っても、晩御飯のメニューは変わらなかったのかもしれない。


でもやっぱり、大人になった今は、希望を言って良いんじゃない?と思うのです。

希望が通るかは別として、希望を言うことに、母の顔色を伺う必要なんてない。


ケンカにならない伝え方は少しずつ学んでいけば良い。

でも言ってはいけないと思っていると、どうしたいか感じても無駄なので、だんだん自分の希望すらわからなくなっていく。

被害者意識が、感覚の抑圧に繋がってしまいます。


何気ない記憶にも、こんな気づきが潜んでいたんだな〜と実感する出来事でした。

そんな感じで、自己ヒーリング強化月間、やっています爆笑


・・・あ、陰で私に変なあだ名をつけてた知人には、バレないようにやっとけ!と言っておこうと思いますてへぺろ





最近の自己調整で、筋反射のブロッキングが出ることが多く、その中でも「呪い」というキーワードが、よくリストから選ばれています。

「呪い」って何だか怖い感じがしますが、まとわりつくエネルギーとか、頭から離れない信念体系みたいなものも、まとめて「呪い」と言うみたいです。

「誰かが私を恨んで、呪いをかけてる」という訳ではないと思います、たぶん・・・。(可能性としては、なくはないけどガーン


さて、この「呪い」を深く見ていくと、少し前に自分で書き出した恐れのリストが目に止まりました。


当時、何を思って書いたのか本当に意味不明なんですが

「仕返しができない恐れ」

と、いうものでした。


いやいや、仕返しするの前提かい!?びっくり


以前、過去の日記帳を捨てた時に、「自分がされたことを忘れずに記録しておいて、いつか復讐してやる」といった思いを手放しましたが、まだ残ってたみたいです。


根本要因を探っていくと、もっと小さい頃のこと。

父から理不尽に叱られたり、傷付けられても、怖くて何も言い返すことができませんでした。


父に誘導されるまま、謝るしかないんですが、これが本当に屈辱的で。

でも「いつかやり返してやるから、大丈夫」と自分に言い聞かせて、辛い感情を感じないようにしていたことを思い出しました。


その時のことを一つ一つ思い出していると、父に対する怒りや軽蔑の感情が、どんどん湧いてきました。

・・・いい年した大人が、小学生を相手に、トンデモ理論で説教してるって、大人の私から見たら相当、気持ち悪いです(笑)


当時の私は、私が正しいことを、いつか父に分からせてやる、という希望を抱いてじっと耐えていました。


それなのに、仕返しできなかったら当時の私が本当に間違ってたことになってしまう。

あんなに我慢したのに、報われないなんて悲し過ぎる。


そんなインナーチャイルドの思いが出てきて、当時の感情をじっと感じていました。


そうすると、ふと、父の存在がどんどん小さくなる感じがしてきます。

当時の私には、大人の私を含め、たくさんの味方が付いているのに、父の方は孤立無援で悔し紛れにピーピー騒いでいるような。


それまで父が圧倒的な存在で、子供の自分が無力だと感じていたのに、いつの間にかイメージの中では全く逆転していました。


その感覚を味わっていると、「父には、いくら伝えても分からないだろうな」「私の味方はたくさんいるから、父一人が理解できなくても、まあ良いか」と思えてきました。


これは自己信頼と関わっていると思いますが、自分を充分に認めることができれば、人から認めてもらえなくても、そんなに気にならないんですよね。

むしろ相手には、その人の理解できる範囲があるし、どちらが偉いとかではなく、違うものは違う。


でも突然、誰かに一方的な感情をぶつけられて、その場では言い返さずにやり過ごしたけど、後から「やっぱり酷くない!?今度会ったら文句言ってやりたい!」とか思ってしまうこと、私は大人になっても結構ありました。

いや、結局、次に会っても何も言わないですけど・・・てへぺろ


ただそういうことがあるたびに、この「呪い」が上がってきて、私の筋反射をブロックしてたんだなぁと気付きました。


しっかりインナーチャイルドを癒して、これでスッキリした!・・・と思いましたが、実はそのごも、この自己信頼に関わる呪いは、ちょくちょく反応が出ます(笑)


自己信頼って私には結構、大きなテーマなので、のんびり付き合っていこうと思います〜。