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Comet Picnic 〜未知の世界を旅するように〜

多次元キネシオロジストで産業カウンセラーのSatokoのブログ。
日々のあれこれや、自己ヒーリングの記録、趣味のタロットについて、マイペースに綴っています。
オンラインセッションもやっています。

2022年も約半分に差し掛かってきたなぁと思っていたら、これが今年最初のブログと気づいて、衝撃を受けましたガーン

自分の発信力の弱さに愕然としたので、これからたくさん書いて行きますよ!(←本当か!?)


さて、今年も多次元キネシオロジーのオンラインリトリートを受けています。

前回とほぼ同じプログラムと聞いていましたが、定期的にヒーリングの話を聞けるのはとても楽しいので迷わず受講。まあ前回と同じと言っても、ブラッシュアップされてるだろうなぁ・・・と思っていたし、実際その通りでした爆笑


先日、インナーチャイルドワークで、誘導瞑想に胎児のワークが入っていたので、おお!と思いました。

というのも、私は人からヒーリングを受けると、バーストラウマを指摘されることがよくあったんです。


後付けのストーリーかもしれませんが、私自身、母の胎内にいるときに、母のネガティブな感情を強く感じていた気がします。

父への不信感や不安、「私の人生は、こんなはずじゃなかったのに」といった失望とか。


胎児の私は母を助けたいと思っているのに、私の存在自体が母を苦しめているという絶望と申し訳なさが、バンバン出てきていました。


なので、今回のリトリートの誘導瞑想でも、「お母さんを助けられない」と感じて傷ついていたインナーチャイルドに寄り添っていたのですが、急にふと別の感覚が湧いてきました。


っていうか、なんで私はお母さんを助けようと思ったんだっけ?

私が産まれてくることで、お母さんが悩んだとしても、それは母自身の問題で、私は関係ないじゃん・・・。


そう思ったら、何故か急に涙が溢れてきて、その後のワークにあんまり集中できなかったですびっくり


でも気付いてしまったら、なんで今まで、こんな簡単なことに気づかなかったんだろう!?と不思議になるくらいでした。

どうして私は、あるタイミングで「母に必要とされていない」と感じたことで、自分のその後の長い人生まで全て、否定されたと受け取ったんだろう。


母との気持ちの一体化も、よく指摘されて調整していたので、そのお陰で母の感情との距離が取れるようになってきたのかな。

今までは「一体化してる」と言われても、全然ピンと来なかったんですが(笑)


調整して変化したと感じていることでも、他の部分の調整が進むと、また違った感覚が出てきて、過去の捉え方が全く変わってしまったり。
多次元キネシオロジーは本当に奥が深い・・・というか、永遠に終わらない楽しい自己探求の旅ですねてへぺろ


今年も残すところあと数時間ですね。

いやー、今年も色々ありました爆笑

物理的な変化とか、何かを成し遂げたとか、そういうものは少なかったですが、昨年に引き続き、内面的な変化が大きい一年でした。


昨年は体調面でも精神面でも、人生で一番、辛い時期で、それを何とか乗り越えたという意味で、マイナスからゼロに戻った一年でした。

今年はじゃあ、プラスに転じたかと言うと、そうでもなくて(笑)

言ってみれば、ゼロ地点を整えた一年でした。


幸せは心の持ち方次第とよく言うし、実際、周りを見ていても、大変そうな環境でも幸せを感じている人もいれば、その逆もいて。

幸せは本人が決めることなんだろうなぁ、とは多くの人が実感していることだと思います。


でもじゃあ、どうやったら自分が幸せになれるのか?

どうしたら、大変な環境でも幸せを感じて、前向きに生きられる自分になれるのか?

それを求めて、何年も何年も、心理学やヒーリングや、スピリチュアルを学んできました。


で、今年は何かよくわからないけど、こういうことかー!!みたいな感覚を味わうことが何度もありました。(ボキャブラリーが貧弱過ぎるガーン


苦しみも喜びも、問題も答えも、全て自分の内面にあるような、ある意味とてもシンプルなものです。

忙しいと忘れてしまいそうなくらいの感覚ですが、でもその意識状態でいると、確かに日々を生きるのが楽に感じました。


言葉にすると意味が限定されてしまいそうですが、敢えて言うなら、「自己信頼」というものなのかもしれません。


先日、仏様の教えの講義を聞きに行った時に、先生が「大切なのは自分の中に仏様がいることを信じ切ること」と言われていました。

修行とか奉仕とか、そういった行動はもちろん尊いけど、それは自分の中の仏様を信じるためのプロセスであって、本当に必要なことは信じることだけ、というお話でした。

これは仏教の話なので「仏様」ですが、もちろんイエス様でも天使でもご先祖様でも何でも良いと思います。


もう一つ、多次元キネシオロジーのオンラインクラスで言われた「Trust your process」と言う言葉。

自分に起きていること、全ては自分の人生に必要なプロセスであって、それを信頼すること。

人生は小さなプロセスとゴールの繰り返しでもあるけど、でもそのゴールも長い目で見ればプロセスの一つだし、良くも悪くも執着することなく、進んで行けば良い。


自分が勉強したこと、経験したことがみんな、この自分を信じること、世界を信じること、そして楽しい時だけでなく、苦しいときもそれを信じ切ること。

その意識に繋がっていたんだなーと思います。

そして、その状態こそが、本当のゼロ地点なんでしょう。


という訳で、私の2021年を一文字で表すとしたら「信」かな。


この感覚で、過去に読んでイマイチだった本を読み返すと、新たな気付きがどんどん見つかったり、自分の過去の出来事の意味づけが変わったり。


今年は一つの到達点に着いたような気がしますが、きっともっと先があって、毎年、毎日、新しい自分を発見しながら生きていくんでしょう。


そんな訳で、今年も関わってくれた皆様、ブログを読んでくださった方々、本当にありがとうございました!

2022年も素晴らしい年になりますように!


宗像大社で撮った一枚。

光がまるで天使みたいに見えますラブ


普段はあまりテレビでスポーツを見ることはないんですが、オリンピックはちょこちょこ見てました。


私も昔は部活で結構ハードにスポーツをやっていたんですが、じゃあその競技は見るかというと、そうでもない(笑)

つくづく、当時の私はその競技が好きでやっていたのではなく、やりたくないことを我慢して続けることが大事、という思い込みのために続けていたんだなぁと思いますガーン


練習したいなんて少しも思ってないけど(←え?)、部活に出席して、先生や先輩が決めた練習メニューを文句も言わずにこなしていたら、試合で表彰されるくらい上達するはず、と心のどこかで信じていました。

当然ですが実際は全然上達しませんでした〜(笑)


先日、実家に行ったら父がテレビを見ながら「怪我や病気に苦しめられても、泣きながら練習を重ねてオリンピックに出場して、すごい選手だ」とか色々語っていて、そういえば私はこういう環境で育ったんだと改めて思いました。


もちろん出場選手の凄さは素直に尊敬するばかりですが、父は本当に「決して諦めない」「痛みに耐えて泣きながら努力した」みたいなスポ根的な美談が大好き。

そして二言目には「それなのにお前は、恵まれた環境に甘えてばかりで情けない」といった、私へのダメ出しが始まる。


小さい頃からこんな環境にいたら、自分を苦しめるような努力をしてこそ、人から認められる、愛されると思うよなぁ・・・と。


自分を幸せにすること、心地良く過ごすことを、進んで放棄して、父と同じように、楽をすることを選ぶ人を軽蔑していたように思います。

そして自分を苦しめる方向には、ものすごい根性を発揮してましたびっくり


さて、そんな感じで「頑張らないと認められない」みたいな思い込みはたくさんあって、これは今まで何度も向き合って来たので、もう大丈夫だろうと思っていました。


・・・が、まだまだあるんですよね(笑)


私が編み物をしていた時に、人から「器用なんだね〜、羨ましい。私には絶対ムリだよー」と言われたことがありました。

悪気はないし、むしろ私を褒めようとしていることも分かるので、適当にお礼を言って流すんですが、内心、ちょっとモヤっとするんですよ。


私が編み物ができるのは、編み物を前からやっているからだし、失敗しても続けているから。

初心者だったら、できなくても当たり前なのに、どうして「器用な人はできるけど、不器用な自分にはムリ」ってなってしまうんだろう、と。


そして更に、私が今まで編み物に使った労力や時間を全否定されて、「あなたは器用だから、できて当然でしょ」と言われたような感覚。


ちなみにこれ、「女性は手先が器用で良いね〜」みたいな、ジェンダーバージョンもあります(笑)

これも私の場合、性的役割の押し付けにイラっとするだけじゃなく、「女性だったら特別な努力をしなくても、料理も裁縫もできて楽で良いね」と言われたように感じる(だんだん違う被害妄想が入ってきた/笑)


先日、多次元キネシオロジーのセッションを受けていた時に、雑談でこの話をしたら、指摘されたのは「自分の努力を認めて欲しい」という思い。

そしてその裏にある「努力してこそ、人から認められる」という信念でした。


正直、努力したのに努力してないように言われたら、モヤっとするのは当然だと思っていたので、「??」だったんですが。

努力を隠したい人もいる、という話をされて腑に落ちました。


すごいことを成し遂げても「いや、大したことやってないよ」と涼しい顔をしているのが良い、みたいな価値観。

まあ、確かにカッコ良いよなぁ(笑)


なので「器用なんだね〜」とか言われたら、内心で「私、天才なんで!」くらいに思ってれば良いじゃん、と(笑)


この「努力してこそ認められる」みたいな価値観が自分を苦しめることなんて、今まで何度も人に言われたり本で読んで知ってたのに、やっぱりセッションという生身の人間同士の中でこそ、気付くものがあるんだと、改めてヒーリングやカウンセリングの重要さを感じました。


そんな訳で、自分を幸せにする方向に、これまで培った根性を発揮しようと思います爆笑