リハビリテーション体育士&子育て日々徒然 -9ページ目

【子どもが子どもらしく生きる】

子どもは親を喜ばせる存在であらねば、と思い込んでいたけど、子どもは親を困らせてナンボ、なのかも。

何年後かには、このドタバタ劇が、子育ての最高の思い出になるような気がしてきた。

子どもが、大人としてじゃなく、子どもでいられること。わたしには、その経験が薄くて、「子どもらしさ」を創造できなかっただけなのかもしれないな。

子育てって、いろいろあって、子どもがワイワイいってて、親とギャーギャー言って、お互いやり合って、それぞれの気持ちがぶつかり合って、やっとこさ、気持ちに気づいたりしながら過ごすのかもしれない。

いい子育てしたい、
とか、
支援者として、知識としては知っているのに~、
とかじゃなくって、
ああ、まあ、こんなもんなのかもな~って思う😊

【今の自分の感じていることに素直に動く】

つらくても頑張るんだ。みんなそうだ。我慢だ。そうやって、働いて働いて日本は豊かになりました。両親や祖父母の時代のお陰です。

わたしの祖母は明治生まれ。秋田県の生まれで、文字が読めませんでした。唯一読むことができたのはカタカナのみ。漢字のないカタカナだらけの手紙を送りました。

今は、当たり前のように学校に行き、文字を習うことができます。文字を読むことが苦手な子もいるけど、文字を学ぶ機会が与えられないことは少ない。
だから、わたしは学校によって多くの学びを得ていること。学校は大切な場所だということは理解できます。

でも、いつから「学校に行かないといけない」風潮になったのか。きっと選べるの方がいいのかな?なんて思うのです。みんな一緒じゃなくってもいいんだよって。次女は1月中、学校を休みました。罪悪感を感じてるし、恐怖も感じてる。追い詰められる。

親もそうですね。毎日の学校から電話があり「どうですか?」という言葉に「変わりありません」としか答えられません。

しかし、見つけたこともいっぱいあります。声をかけてくれる人の多いこと。情報を教えてくれる人。心のこもったアドバイスをくれる人。わたし自身の感じている不安にも気づくし、夫が協力してくれることにも感謝です。夫は、子どもの声をきき、子どもの思いを尊重してくれます。

一番の気づきは「娘は、家族の変化に、大きな大きな不安があったんだな~」ということ。

夫が1年の中で2度の転職、交通事故、熱中症。命からがらくぐり抜けた1年でした。わたしもそれを支えるので精一杯。その中で、わたしの学びにも時間を割いて、何度も東京に出ていました。娘の感じていることに、気持ちが向いていませんでした。

さて、2月になりました。今は、娘は休みを取って、少しずつ話をしてくれるようになりました。心配で、苦しかったことなどです。わたしも、夫が転職し、3ヶ月経って、やっと落ち着いてきました。

今までのように「自分で何とかしよう」と頑張るのをやめて、できるだけ「助けてほしい」と、人に相談するようにしています。自分だと、見えないこともたくさんあるんだなって思います。

これからは、娘の話を聞けるよう、娘のペースに合わせ、ゆっくりゆっくり進んでいこうと思っています☺

【自分を恥じない】

12月の終わり頃から、次女が学校に行き渋っている。理由を聞いてもハッキリとしない。勉強はついていけてるし、友達にも恵まれている。学校は好きとは言えないが、嫌いでもない。わたしは「どうしたら、学校に行けるのか」そればかりを考えていた。

1月に入って、ますます学校から足が遠退く。朝から行けない日が続き、やっと五時間目から出かける。言葉にしないけど暗に娘を責めているわたし。「学校くらい、行ってよ!」とか「ちゃんとしてよ」とか「わたしが辛いじゃない。予定も立たないし、給食費がもったいない!」など些細なことにもイライラ。先の心配ばかりで、今の子どもの気持ちを考えることが全くできない。

成人式の頃(1月11日~)、母が浜松に遊びに来てくれた。次女は相変わらずだった。学校に行く朝、朝食を食べ制服に着替えるが、学校へ行けない。下を向き落ち込む次女に母が話をしている。通学の時間になったので、わたしは次女に「どうする?」と聞く。次女は「休みたい!」と、顔をあげ、堂々と言った。

その日、母は埼玉に帰った。次女が教えてくれたのは「バアバにね、『みーちゃんが学校に行っても、行かなくってもバアバはみーちゃんが大好きだよ。でも、こんな風に下を向いていたらもったいない。自分を恥じることはない。堂々と自分のやりたいことを、顔をあげて言えばいいんだよ。みーちゃんは太陽が好きなんでしょ。太陽は顔をあげないと見れないよ』って言われた。嬉しかった」と言った。

母はわたしにも優しかった。「いいものあげる」とわたしに言った。なんだろう?と思っていると、両手を広げ「ハグしてあげる」と抱き締めてくれた。わたしは思わず、涙が溢れてきた。小さい頃は、母にあまり抱っこされた記憶がない。膝の上に乗れば「降りて」と言われた。触れることが苦手な母がハグしてくれた。本当に嬉しかった。すぐに母は「おでんが冷める」と離れてしまった。わたしは「もう少し、背中をさすってほしい」と頼むと「え゛~」と言いつつも、さすってくれた。20分くらいはしてくれたと思う。

それから後のわたしは、次女の通学渋りが気にならなくなった。「わたしも堂々と、自分を恥じないで生きよう」と思えるようになったのだ。次女はバレーボールの選抜チームの練習には喜んで出掛けていく。やりたいことには、全力で生きている。彼女の生き方を応援できるためにも、自分の生き方を大切にしたい。スゴい母でなくていい。気持ちに寄り添える母になりたいと今は思っている。