リハビリテーション体育士&子育て日々徒然 -10ページ目

【人生脚本の元は禁止令?~子育て中に気づいたこと~】

子どもを産んでから、自分が感情的になることが増えました。

子どもが可愛くて、抱きしめたくなる衝動。

思いがけない動きに驚いたり、お腹を抱えて笑ったりすること。

子どもと触れ合える時間に喜びを感じます。

しかし、それと同時に

「ブラックな感情をもつ自分」

も出てきました。

今まで感じることのない位の怒り、焦り、悲しみ。

子どもって可愛いばかりじゃないじゃない!

と、子育てしながら徐々に気づいていきました。

 

それでも「いいお母さんになりたい!」と、本を読んだり、

講演会に行ったりしました。

 

子どもの生まれた生年月日で、

子どもの特性を知ろうとしたり、

自分との相性をみたりもしました。

 

とにかく色んな情報を集めて、

子育てに迷走していました。

 

でも、だんだんと気づいてくるのです。

 

「ああ、これって、子どもじゃないんじゃない?わたしの問題なんだろうな~」

って。

 

 

 

情報の1つに「交流分析」がありました。

精神科で長年勤められた看護師から、

交流分析を学びました。

 

交流分析は、性格や人と関わる際の特徴などを、

エゴグラム、

ストローク、

ディスカウント、

ゲーム、

ラケット、

人生脚本、

禁止令等で説明します。

 

わたしは

「禁止令(※1)がもとで、葛藤がうまれる」

という言葉が残りました。

 

「わたしの禁止令ってなに?禁止しているものなんてあるの?」

これが、最初のわたしの印象でした。

 

禁止令は、自分の人生脚本の元になるそうです。

無意識にある禁止令に恐さも感じました。

でも、その命令は解除できるそうです。

 

それには、

「〇〇してもいい」

と禁止されていることを許し、

その場を与え、

具体的な行動をとることだそうです。

 

その過程には

「どうして禁止令をもったのか」

と認識を深めることと、

「決断したのは自分だ」

と知り、誰かに責任転嫁をせず、

自分で再決断する力と責任を持つことが必要だそうです。

 

※1〈禁止令〉(交流分析入門2 チーム医療より)
①存在してはいけない(Don't be)
②男(女)であってはいけない(Don't be the sex you are)
③子どものように楽しんではいけない(Don't be a child)
④成長してはいけない(Don't grow)
⑤成功してはいけない(Don't make it)
⑥実行してはいけない(Don't)
⑦重要な人物になってはいけない(Don't be important)
⑧みんなの仲間入りをしてはいけない(Don't belong)
⑨愛してはいけない(信用してはいけない)(Don't love Don't trust)
⑩健康であってはいけない(Don't be well)
⑪考えてはいけない(Don't think)
⑫自然な感情を体感してはいけない(Don't feel)

 

【メインストリームから、外れてもいいよ】

子どもが学校に行かない。

このことに、わたしの感情は、反応する。

学校は、行けたらいけばいい。
行けないなら、行かなくてもいい。

本気で、そう思っている。

でも、実際行かないと

「なぜ、健康な体があり、時間もあるのに、休むの?」

と、質問形式で、子ども達を責めてしまう。

夫は

「精神は、心は、忘れちゃうの?心も疲れるし、

休みたいときだってあるよ。

さとちゃん(わたし)が、

もうちょっと待ってあげれば・・・、

一言余計に言わなければ、

今日は行けたのに・・・」

なんて、言う。

夫のその一言に、

わたしは、悲しみの上澄みである怒りを感じ始める。

「わたしのせいなの?!」

と、いう言葉で表現して。

そして、続けて、

「コンシャスな子育て目指すんじゃないの?」

という、一言。

「コンシャスな子育て」という言葉は、

アメリカの臨床心理士である、

シェファリ博士の本や、講演会で知った。

先日、シェファリ博士の講演会、ワークショップに参加し、

コンシャスな子育てについて、直接博士から学んできた。

東京でのイベントの主催者であるたかもりくみこさんは

「コンシャスな子育ては、メインストリームから外れることじゃないかな?」

とコメントした。

メインストリームから外れる。

学校に行かないってことも、その1つだと思った。

「え?外れることって、こんなに苦しいの?

あれ?休んでもいいって思っているじゃないの?

じゃ、何に苦しさを感じているの?」

と、今更ながら、考える。

「本当の自分で生きようとしたとき、

自分のそのままの感情を表現していく」

ここもポイントだそうだ。

大人自身が、どれだけ感情を感じていきているか。

感情につながらないと、

子ども(我が子) とつながることは、難しいそうだ。

じゃ、わたしは、学校に行かない娘をみて、

何を感じている?

と、見つめてみる。

やっぱり、

「学校にいかないこと」

それ自体が、

自分のタブーに触れているように感じた。

これって、両親の影響かな?

とも思った。

けど、もう、両親じゃない、と感じた。

発熱しても、仕事に行く母。

休まない母。

でも、母はきっとわたしが休みたいって言ったら

きっと、アッサリ「いいよ」という。

両親に育てられず、17歳で片目を失い、

26歳で脱サラ、借金、返済をして生きてきた父。

メインストリームを生きては、いない。

両親に育てられず、ネグレクト。

自分の母を12歳で知り、

それから身長が40㎝も伸び、

「自分で生き抜いていこう」と決意した母。

メインストリームを生きては、いない。

そんな2人から、

普通じゃなくっても、生きられる。

人生は、何とかなる。

それを学んだ。

父母は、そういう姿を実際にわたしに見せてくれた。

思い返せば、いつでも、わたしの選択を受け入れ、

待っていてくれた2人だった。

どんなわたしでも、味方になってくれた。

「お姉ちゃんなら大丈夫、きっとうまくいく」

と言ってくれた。

そう思うと、今回の感情はどこから???

多分、学校生活の中で身に付けた恐怖感かな?

と思った。

学生時代、部活動では、毎日ビシバシ叩かれた。

練習を一日休めば、三日遅れるって言われていた。

肉離れしていても、病院に行かず、練習をした。

腰を痛めても、授業を抜けて針を打ち、部活の時間には戻ってきた。

学校を休んだら、シゴキが待っていた。

恐くって学校は休めない。

簡単に休んじゃダメだ。

ズルくちゃダメだ。

辛くっても、行くんだ。

いやだ、でも、行かないともっと嫌なことが起こる。

苦しい、でも、弱い人と思われたくない。

そんな風に、無理してた自分を思い出す。

ここを、子育ては、無意識に感じ取る。

苦しさになる。

もう、

時代が違う。

価値観が違う。

学校の対応も違う。

先生に叩かれることも、ない。

なのに、

大切な子どもが同じ目に合うように感じてしまう。

相反した気持ちもある。

なぜ、あなただけ許されるの?

ここは、逃げないで、頑張るんでしょ!

と、子を許すことができない。

自分の今までの人生を、振り返ることができない。

わたしは、

「お母さんは、自分の今までの成功法則を捨てられない」

と、休んだ娘達に伝えてみた。

すると、

(2人休んだうちの)1人は

「それって、『成功法則』なんだ~!へ~」

と反応した。

確かに、

「成功法則なの?成功してるか?」

と、感じた。

「成功してないよね」

と、気づく。

怒られない状況を作るだけで、

全く幸せでなかった。

もう一人は

「捨てなくっていいと思うよ。

(子ども達の考え方を聞いて)

『そういう考えもあるのか』

って、増やせばいいんじゃないの?」

と言った。

最後に夫が、

「これは、扇が広がっていいね~。

今までの考えも、新しい考えもあって。

良かったじゃない」

と、まとめた。

わたしは、

頑張ることがいいこと、

という、成功法則(?)を持っている。

結構、上手く行くことも多かった。

娘達は、

頑張らないこと、

休むこと、

逃げること

を実践している。

わたしも、子育ての中で、気がつくと

一緒に経験している。

実際、困ることがほとんどない。

きっと、どっちでもいい。

ケースバイケース、なのでしょうね。

これを書いていて、

本当のわたしの気持ちは、

「頑張らなくっても受け入れてほしい」

って思っているんだな、って気づく。

力を抜いて、

このままダラダラして、

ゆっくり、

ゆったり、

風や、季節や、香りや、味を感じて、

ああ幸せだな~

とか、

ああ、気持ちいいな~

とか、

なんて、自由なんだろう~

とか、

そういうことを感じて、

ただ生きていたいんだよな~って、

思う。

わたしも、休みたかった。

青年期のわたしが言ってる。

そういうことに、気づいて、

無意識を意識できるようになって、

今のわたしが、許してあげる。

休んでみるのもいいかもしれない。

深く感情を感じること、

感覚を取り戻すこと。

そんなことが、大切なんだろうな、と感じています。

 

 

 

【子どもとのかかわりは、HAPPYに続く!】

子どもがどうやって、大人との信頼関係を学んでいるのか。
それは、とても簡単なことの繰り返しだという。

たとえば、

泣くことで空腹、眠い、痛い等を大人に知らせる

それを聞いた大人が、その泣き声を聞き分けて、適切な行動(授乳、抱いて寝かせる等)をする

すると、子どもは、満足感、幸福感を感じる

お世話する人に、信頼関係をもつようになる

 

この繰り返しが、信頼関係を育てるそうだ。

 

この関係づくりを、愛着形成という。

 

子どもと大人との関係で、愛着形成ができないと、

色んな表れが出る、といわれている。

たとえば、

 

①大人を信頼できない
②良心、倫理観、正義感が育たない
③起床や食事、など基本的生活がマイペースになる
④自分の行動に責任をとれない
⑤動物や、弱い子をいじめる
⑥共感や、同情ができない
⑦人の目を見ない、目を合わせることを嫌がる(自制能力の欠如と人間関係の構成能力の欠如)

など。

 

その結果、

①衝動的、過激行動、不注意
②刺激を求め、感情を行動に移す
③自己に、否定的概念を持つ
④反抗的、挑戦的
⑤友達を作らない
⑥叱られることをして注目を集める
⑦見え透いた嘘をつき、人を操る

という、行動になることがある。

 

愛着の絆には、

その結びつきに強さがあるので、

 

その程度によって、あらわれに差がでるのが、特徴的

感情、

思考、

人間関係、

倫理観等にも、特徴が出るらしい。

 

☆感情面

愛されない不安でイライラ、

自己肯定感がない、

他人との優劣のみで自分のことをはかる。

 

☆行動面

自分を愛そうとする人に向ける、絶え間ない攻撃性、

 

☆思考面

短絡的、

プロセスを待つことができず、結果だけ求める、

〇か×かの答えを求め、中間がわからない。

融通がきかない、

毎日の生活パターンの変化に対応できない、

年齢相応の思考能力の不足、

自己否定、他者否定のマイナス思考、

 

☆人間関係

支配-隷属(れいぞく)の結びつきが強い、

特定の人と親密な関係が結べない、

誰とでも表面上の関係性は作ることができるが、あくまで表面的、

他人との適度な距離が取れないので0%か100%の関係で、好きか嫌いがはっきりしている、

 

☆身体面

身の回りの不潔さや肉体の痛みに無頓着、

 

☆道徳面・倫理観

盗み、非行、

社会のダークサイドに目を向ける

 

 

さて、

一番最初の、赤ちゃんとの関わり戻ってみると、

赤ちゃんのときに、大人がやることは、わかりやすい。

 

泣いたらその感情に寄り添い、

抱っこしてあげるだけ。

 

それだけでよかった。

 

その関わりが、うまく出来ないないと、

その積み重ねは、

子どもの育ち方を大きくかえていくそうだ。

 

でも、元々の子どもの器質的なこともある。

一概に「関係性だけが影響する」

とはいえないことも忘れずに。

 

「泣いたら、寄り添う」

「駄々をこねたら、つきあう」

この2つは、とっても重要なことだと、覚えておいてほしい。

 

だけど、

簡単なようで、この2つを実行することは、

結構、難しい。

 

「わたし、子どもに寄り添ったり、

子どもに付き合うことができないの。

どうしたら、付き合うことができるの?」

 

そういう風に感じていることに、

気づくことは、大切だと思う。

 

自分に問いかけることができれば、

自分を見つめていくこともできる。

 

でも実際、

この作業は、面倒くさいし、

できたらやりたくない。

 

そんなときは、

「できなくってもいいよ、大変だもんね」

と自分に寄り添う。

 

「行動しようって思うだけで、すごいことだよ」

って、自分を励ます。

 

「なんで、こんな簡単なことができないの!」

と、また、子どもを叱ってしまってもいい。

 

ふとしたとき、こんな風に思い出すかもしれない。

 

「わたしも、子どもの頃、

簡単なことができなくって叱られたな。

あれって、スゴク悲しかったな。

もしかしたら、この子も悲しいのかな?

よく見ると、子どもの表情が暗い。

あれ?泣いているな~。

わたしの子どもの頃と一緒で、

悲しいのかもしれないな」

 

なんて、思い出す。

そして、

「ああ、わたしも親のように、我が子を悲しませちゃったな。

でも、腹が立つことをしたのは、子どもだから。

わたしのせいじゃないよ」

と、言い訳したくなる。

 

「でも、やっぱり、この子のこの顔は、見ていて可哀そう。

どうして、こんな風に、子どもを叱っちゃうのかな」

と、自分を責め始める。

 

「いやいや、わたしのせい?

うちの子だけが、こんなに手がかかるのかな。

この子じゃなければ、もっと楽なのかな。

わたしは、子どものとき、もうちょっと、いい子だったな」

なんて、やっぱり、子どものせいにしたくなる。

 

「でもやっぱり、子どものとき、親からされて嫌だったことを、

今、わたしも子どもにやってるんだな」

と、気持ちが揺れながらも、気づいていく。

 

親は葛藤する。

おとなの自分と、こどもだった自分が

出たり、入ったりしながら。

 

子育て中は、頭の中は、ぐちゃぐちゃ。

自分を責めたり、子どもを責めたり、

夫を責めたり、周りに当たったり。

 

からだは、くたくた。

こころは、へとへと。

 

あたまは朦朧(もうろう)としながら、

子育てをしていると思う。

 

子育てって、

子どもに関わることって、

想像していたより、

わたし自身は、ずっと、ずっと、難しかった。

 

それでも、子どもとの関わりは、

気づけば、

多くのhappyも、もたらしてくれている。

 

自分の人生の生き直し、やり直しもできる。

 

いいこともいっぱいあるんだよね。

 

「大変」とは、

大きく変わる、

という言葉。

 

 

わたしは、毎日、右往左往している。

お母さん達も、子育てで感情がぐちゃぐちゃになる。

 

子どもとの関わりを「Happy」と感じられる時間を、

提供できたらいいな、と思って運動あそびの活動していこうと思う。