リハビリテーション体育士&子育て日々徒然 -4ページ目

【子育ての悩み、自分の感情の苦しさは、親自身のこころ(感情)の痛みとつながっている?】

わたしには、3人の娘がいます。
子ども達は、健やかに育ち、元気に過ごしています。

わたしの人生の中で、一番の喜びは、
この3人の娘の母になれたことです。

ただ、大切だと思う気持ちと同じ位、
色んな心配、不安、焦りなどの感情も湧いてきます。

14歳の長女は、学校の試験前に、全く勉強をしません。
1時間もしません。
テストの点数が悪いことで、
行きたい高校に行けなくなるのでは?
と焦る気持ちがわきます。


12歳の次女は、学校を休みがちです。
「児童会長」の責任を果たせているか、
人から非難されないか、
と不安が募ります。

三女は、算数のテストがのび太君並みです。
個別ならわかるのに、
集団だと授業についていけません。
友達にバカにされないかが気になります。

しかし、
長女は
「勉強したくなったらすると思う」
といい、
次女は
「誰も、わたしを責めないよ」
といい、
三女は
「のび太君より、(点数が)勝っているから大丈夫!」
と笑顔でいうのです。


そう思うと、
誰が問題を作っているのか?

それは「わたし」なのです。

2019年11月2日のシェファリ博士の講演会&WSで、

やっと腑に落ちました。

 

小さな頃、

自分の本来の思いを伝えたとき

「ニーズを受け入れてもらえない」

「勇気づけてくれない」

体験を積み重ねると

「もう、二度と傷つきたくない」

と思うこと。

 

そして、周りから受け入れられる

「外側の自分」

(いつも笑顔、いい子、頑張って働く、気持ちをシェアしない、など)

を作り出すこと。

 

また自分の親も

「外側」

で生きていて、

その親が

「外側」中心の子育てをし、

それが連鎖していくこと。

 

だから

「子どもが親を困らせるのではなく、

親自身が自分の痛みに反応しているだけ」

だったのです。

 

もし

「痛みは何か?」

に気づけたら、癒しが進められます。

 

癒しが進み、

未解決の親や自分自身を許せたら、

自分の価値を取り戻せるでしょう。

 

子育ては

「見失っていた本来の自分に出会える機会」

だったのです。

 

生きる力を膨らませたい

新しい訪問先の提出書類を探してたら、

昔、取材を受けていた新聞が出てきました~

30才のわたし。

大切にしている思いは、あまり変わらないものですね

 

 

子育てと、親の夫婦関係について

幼少期、わたしは、

「母を支えたい」

と頑張って生きてきました。

 

思い返せば、

幼い自分の行動が、

母を喜ばせたこともあれば、

「そんなこと言わないで!」

と、逆に母を悲しませたこともありました。

 

わたしは思います。

 

子どもは、

どんな自分でも、

親に認めてもらい、

受け入れてもらい、

守ってもらえると、

自分の存在に価値を見出すことができる。

そして、

いい子でも、ダメな子でも、

親に「ありのまま」でいることを許されると、

自分で生きていく力が育つんだろうな、と。

 

しかし、親になったからといって、

子どもを認め、

受入れ、

守ることができるかといえば、

そうではないように思います。

 

それは、自分が経験してきた親との関係性が、

我が子と関わりの基礎になるからです。

 

自分が認められ、受入れ、守られていない場合、

意識的になって行動しない限り、

負の連鎖は続いてしまうように思います。

 

今回は、「夫婦関係と子育て」について、

自分の幼年期の経験と、

自分の夫婦関係を見比べてみたいと思います。

 

結論から言えば、

わたしは、昨年、夫とは、ケンカばかりでした。

転職した夫は、勤務時間が15時間。

その疲れからか、いつでもイライラしていました。

わたしも、1人での育児などに疲れ、イライラ。

顔を合わせれば、けんかをする、

という日々が続きます。

 

そんな姿を見ていた次女。

「お父さん、お母さん、絶対離婚しないでね」

と、何度も言われました。

 

次女は、大きな不安の中で過ごしていたでしょう。

次女は今、学校に行けません。

それは、

「不安の中で生きることに、疲れてしまったからなのかな」

と感じています。

 

夫婦の仲が悪いと、

子どものエネルギーはどんどん吸い取られます。

エネルギーがないことで、

今まで耐えられた、学校でのストレスにも耐えられない状況になります。

そして、学校に行くことさえ、できなくなるように感じています。

 

この状況、わたしの子どもの頃に似ているなって思うのです。

 

 

さて、幼年期のわたしの話をします。

 

実は、わたしの父は、

あまり家に帰ってきませんでした。

わたしは、3歳~14歳の中2まで、

母と7つ離れた弟と3人の生活をしていました。

 

なぜ、父が帰ってこなかったのかを少しお話します。

 

父は脱サラをしました。

父の退職金を元に、小さな会社を興したのです。

26歳のときでした。

それから出資者を募り、株式会社を作りました。

1年経つと、負債ができました。

社員を全員、他社へ転職させ、

社長の父は、負債を一人で背負い込みます。

返済の日々が始まります。

 

それからの父は大変でした。

家族がいながら、数千万の負債を背負う父。

 

わたしや母とは、一緒に暮らせません。

生活費がないからです。

 

わたしと母は、浜松の母の実家に戻りました。

わたしが1歳になる前です。

 

2歳になる頃、

「なんとか3人で暮らせそうだ」

と、父と暮らすために、埼玉県に戻ります。

 

でも、

わたしが3歳位の頃から、

家に帰ってこなくなりました。

わたしが小学生になる頃には、

もう、ほとんど帰って来ません。

 

わたしが父に

「どうして帰って来れないの?」

と聞くと、

父は覚えていないかもしれませんが、

「家に帰っても楽しくないから」

と、言いました。

 

もしかしたら、その言葉を言ったのは、

母と夫婦ケンカをした後だったかもしれません。

 

でも、当時小学生だったわたしは、

きっとこう思っていたと思います。

 

「お父さんって、家が楽しくないんだ~」

「わたしに会うのは、楽しくないのかな~」

「なんだか、悲しいな~」

と。

そして、

「父にとって、楽しい家になるにはどうしたらいい?」

「父が会いたくなる娘ってどんな存在?」

と。

 

多分、父は悪気なく、何気なく話したと思います。

でも、その一言は、わたしの中に残ったのです。

 

わたしは、いじけましたが、

「父は、わたしを嫌いじゃないはず」

と感じていました。

 

じゃあ、どうすれば、関心をもってくれるか。

どうすれば、家に帰ってきてくれるのか。

 

わたしは、「頑張ること」にしました。

 

テストの点数、運動会ではリレーの選手、児童会の役員・・・

 

結果がでると、

父は手をたたいて

「すごいね~」

と喜んでくれました。

わたしは、とても嬉しかった。

お父さんが、楽しそうだ、良かった~と。

 

学校のイベントでは、積極的に役割を持ちました。

開会のことば、

閉会のことば、

みんなの前に立つように準備し、

「お父さん、見に来てね」

とお願いしました。

結局、父が見にきたのは、数回だったかもしれません。

 

でも、できるだけ、

わたしに興味をもってもらい、

家に帰ってくる理由をみつけてほしかったのです。

 

いくら頑張っても、

なかなか家に帰ってこない父。

そんな生活が10年間続きます。

 

父母は離婚はしなかったものの、

実質、シングルマザーのような日々。

「母に見捨てられたら、生きていけない」

状況のわたしでした。

(それで、母子密着の共依存になっていくのですが(^_^;))

 

そして、わたしは夜寝る前に

「お父さんとお母さんが離婚しませんように」

と、いつも願っていたのです。

 

再び、話を戻します。

 

昨年、わたしと夫は、

夫婦ケンカばかりのわたしでした。

 

次女が何度も「離婚しないで」と言いました。

そう願う気持ち。

その気持ちを、わたしは痛いほど知っています。

 

夫婦の不仲は、

子ども心が、ものすごく不安になること。

お父さんも、お母さんも大好きで、大切なのに、

お互いが傷つけ合っている姿をみることはとても悲しいこと。

 

胸が張り裂けそうなくらいな気持ちを

体験しているのに、

それなのに、

自分が大人になって、

自分が親になると

「わかっているはずなのに、やってしまう」

のです。

 

わかっているのに、

子どもを悲しませる行動を続けてしまうのです。

 

 

今は、わたし達夫婦のケンカは減りました。

心理トレーナーさんに

助けてもらったことが大きなきっかけです。

 

環境的にも、変わりました。

夫が再度転職し、勤務時間は8時間になったのです。

きちんとお休みも取ることができるようになりました。

夫の持っている才能を活かして働くこともできています。

 

生活が安定し、

経済的にも見通しがついたことで、

夫婦で話す時間が取れるようになり、

お互いの思いを伝え合えるようになりました。

 

夫の体力も戻りました。

(夫は7キロもやせました。今は体重が元通りに)

 

そうしてやっと、

夫婦のけんかが、徐々に減っていったのです。

 

子どもは、両親が仲良く安定していることで

安心感をもちます。

 

わたしの父も母も、

経済的にも、時間的にも、

苦しかったのだろうな~、

と、大人の今ならわかります。

 

きっと、その中で、

子育てしたのは大変だっただろうな、

ありがとう、

と、今は感謝しています。

 

ただ、パートナーシップの在り方。

 

自分のパートナシップの在り方も、

自分の両親の在り方を、

身に付けているように思います。

 

だからこそ、

わたしが感じた悲しみを

次女にも味あわせてしまいました。

 

子どもが安心して生きていくには、

両親の仲、

パートナーシップが、

影響する1つの要因であることを、

経験上、ひしひしと感じている今日この頃です。

 

さて、最後に、

父の名誉を傷つけないように、

また、明るい話で終れるように、

お伝えしたいことがあります。

 

わたしが中3になる頃に、

やっと、父が、

毎日家に帰ってくるようになりました。

 

ある日父は、事業のことを相談するために、

ある方を訪ねました。

すると、その方が

「夫婦仲がよくならないと、

家族を大切にできないようだと、

事業なんて、うまくいくわけがない!」

と言われたそうです。

 

その方は、両目を失明されていました。

実は、父は片目が見えません。

 

父が片目が見えないこと。

それは、わたしにとっては当たり前のことでした。

でもきっと、17歳で片目が見えなくなったことは、

父の人生を大きく変えたのだと思います。

 

父は、この言葉が心にグッと響いたそうです。

それから、父は変わりました。

 

母も変わります。

父が帰ってくる日に、

新しい料理を作って出したり、

キレイな服をきたり、

明るい話をしたり、

楽しい時間を作りだしていました。

 

そして、夫婦仲が良くなってから、

父の事業は軌道にのります。

 

結果、年商数千万の会社になっていくのです!

 

今は、事業を息子(わたしの弟)に譲り、

無理のない形で働き続けています。

 

父も母も努力の人です。

 

もし、親子の連鎖があるとすれば、

きっと、わたしも右上がりに変わっていけるだろう~

と、明るい希望をもっているのです(笑)

 

夫さんは、いつも娘を可愛がってくれます。

こういう時間が、親子のつながりを育む時間なのでしょうね(#^.^#)