今年1月に新設オープンしたEtihad Museumに行ってきました。
アブダビのエティハド航空でも馴染みある「エティハド」という言葉は「Unite」という意味。
メトロでもUnion駅に近づくと「Etihad」というアラビア語のアナウンスがありますし
スーパーのUnion Coopにもアラビア語で「エティハド」と書いてあります。
Etihad Museumを日本語に訳すとしたら、「連邦博物館」ってところなんでしょうか。
そう、ここはアラブ首長国連邦が、1971年12月2日に結成されたときのことを記録する博物館なのです。
エントランスには、UAE憲法の序文を記した巨大モニュメントがあります。
「建国は市民の意志によってなされた」という意味の文章が
アラビック・カリグラフィで書かれているのだそうです。
UAEで石油が発見されたのは1960年頃ですが、
68年、イギリスはそれまでの植民地支配を放棄する意志を首長たちに伝えました。
これを受けて当時のアブダビ首長のシェイク・ザイードとドバイ首長のシェイク・ラシッドが協議し、
イギリスが撤退した後にまた他国に攻められたりしないよう、力を併せた首長国連合を作ろう
と首長たちを説得してまわったのです。
シェイク・ザイードは消極的な兄王に対してクーデターを起こし政権を獲って
イギリス統治下からすでに経済開発を進めていた、やり手の人物でありました。
そしてイギリスが撤退した71年12月2日その日に、
現在は「Union House」の名で知られる建物の前で、UAE結成の署名が行われたのであります。
↓エティハド博物館で展示されている、その時の写真です。
エティハド博物館はちょうどこのユニオン・ハウスの隣に建てられています。
ユニオン・ハウスの中に入ることはできませんが、
当時の様子をそのまま、外から覗き見ることができます。
UAEには首都アブダビに、ドバイ、フジャイラ、シャルジャ、アジュマン、ウンムアルクエイン、ラッセルハイマと7つの首長国があります。
しかし、トップに載せた写真には6人の首長しか映っていません。
建国の12月2日時点では、ラッセルハイマはまだ合意していなかったのでした。
ホルムズ海峡を臨むラッセルハイマは、16世紀にはポルトガルに侵略されたこともあり、
18世紀にはペルシャ湾を航行するヨーロッパ勢と対立、海賊と呼ばれた歴史があります。
気性が荒いことで有名でなかなかすぐには連合に入ることに同意しなかったのでした。
ちなみに、連合に入るよう説得されるも応じなかったのが、
カタールとバーレーンで、今でも独立した国ですが、確かに国土は小さいですよね。
こちらは建国翌年の、12月2日の様子(こちらも展示から)
UAE初代の大統領になったシェイク・ザイードが映っています。
以来、毎年12月2日はナショナルデーとしてお祝いされています。
ユニオンハウスはその通りの突き当たりにあるのですが
もとより立っていた大きな国旗のお隣に、さらにでっかい高さ123mの国旗が立っています。
重すぎるのか、風がけっこう吹かないとなびきません
UAEの旗は、1916年、オスマン帝国からのアラブ独立運動の際に用いた、
アラブ反乱旗をベースにデザインされています。
黒、赤、白、緑の4色は汎アラブ色と呼ばれ、他のアラブ諸国でも国旗に取り入れられています。
ちなみにアラブ独立運動とは、現サウジアラビアの街・メッカを任されていたフサイン・イブン・アリーが
シリアのアレッポのあたりからイエメンまでに渡る、「統一アラブ国家」を築こうと起こしたもの。
これにより、オスマン帝国軍からの支配は逃れることができました。
ところがここに絡んでいたのが『アラビアのロレンス』のトーマス・エドワード・ロレンス英国陸軍中尉で、
得意のアラビア語を活かしてアラブ人反乱軍にゲリラ戦を提案、勝利に導きつつ、
ちゃっかりイギリス軍が管轄していたスエズ運河をオスマン帝国軍から防衛したり
そのままいけばアラブ人の土地となりそうだった場所(線引きは曖昧だったらしい)をフランス、ロシアと3国で分割する約束を裏でしていたり
パレスチナにユダヤ人居住区を作る計画がおかげでうまく行っちゃったりして
様々な問題の原点となるのでした。
ちなみにフサインはヨルダン王家の祖であり、サダム・フセインが独裁体制を敷く以前にあったイラク王国にもその血が流れています。
UAEの首長国は1892年以降からずっとイギリスの保護下にあったので
この運動には直接関わってはいないのだろうと思いますが
「アラブ人をひとつに」というのは、シェイク・ザイードも共通して持つ願いだったようです。
だいーぶ脱線してしまいましたが…
館内では、UAE結成のときに集まった、各首長が紹介されています。さすが新設の博物館。それぞれの写真の前に置かれたタッチパネルを触ると
各首長の家系図が見られるようになっていて、カッコいい
これを使ってたんだなあ、と思うと、キュンとします
気性の荒い(笑)ラッセルハイマのシェイク・サクルのところには
さすが、腰に差すサーベルとピストルが展示されていました。
テントに入るのが面倒だから、テントを斬っちゃうみたいな方だったそうで
2010年に90歳、世界で最高齢の現役の王様として崩御されたそうです。
伝説のようなお人ですね…
インタラクティブ大好きなドバイ、こんな展示もあります。
壁に投影されるようになっています。
今のドバイを見ると、50年前はこんな感じだったなんて信じられません
昔の女性たち。みんなブルカを着用していますね。
昔の女性たち。みんなブルカを着用していますね。
こちらは建国時にできた、憲法の草案です。
金色の壁面に、憲法に出てくるキーワードが投影されていて、やっぱりカッコイイ
UAE結成の舞台が、首都のアブダビではなくドバイだったのは
ドバイがちょうどUAEの真ん中あたりにあって
他の首長国からもアクセスがよかったから。
集まったときの晩餐室は、見学することができます。
そして私が気になったのは、ユニオンハウスで結成がなされた際の、この1枚。
赤いTシャツにデニムって…カメラマンのあなた、ちょっとカジュアルすぎるうえに目立ちすぎじゃありませんか
それにしても、ドラマチックな建国を経てまだ45年。
UAEの人々は、愛国心がとても強いです。
シェイク・ザイードのお葬式では外国人労働者もが路に崩れ落ちて泣いていたそうですが
今でも学校教育はもちろん、いろんなところで内外の人ともに愛国心が涵養されています。
我が家の子どもたちも例外ではなく、5歳と2歳の娘たちも国歌をしょっちゅう口ずさんでおります。
最初は♪ぶらーりぶらーりぶらーり♪とはーこが歌っているのを聞いて「はて...」と思っていたらあとから国歌なんだと気がつきました
UAE国歌「Ishy Bilady」、確かに気持ちが明るく奮わされるようなメロディーで
私もつい洗濯ものを畳みながら♪ビラーディビラーディ♪と歌っていたりします
対訳はこんな感じです(間違ってたらすみません)
私の国、私たちの首長国連合に栄えあれ
イスラムを信じ、コーランの導きのもとに、国家となった私の国
故郷の地よ、神の御名もとに私はあなたに力を注ぐ
私の国、私の国、私の国、私の国
神が長きにわたり、あなたを悪から守りますよう
私たちは働き、築くことを誓います
まじめに働き、まじめに働き、生きるほどに私たちはまじめになります
安全が続き、常に旗が上がっていますよう、首長国よ、アラブのシンボルよ
私たちはすべてを捧げ、その血をすべて供し、魂を捧げます
私たちの故郷の地よ
うん、なんか良くも悪くもアラブ!って感じがします。
なお、この記事の建国のことだとか、UAEローカルの生活様式や考え方を知るには
UAE男性に嫁いでお子さん5人を育てたハムダなおこさんの著作の
右に出るものはないと思います。
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ドバイにいらっしゃる際にはぜひ!先に読んでみてください