やっぱりユノだね。 | グッモ〜ニングッ!!

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(ユノにはダンサーは少人数が

丁度いい、日本ステージの運動会 

要らないよね。やっぱり要らないよね。魅せ方のプロ寒爺本当は分かってそう。だけどいろんな企業絡みがあって運動会に仕立て上げてんだなあ。

関連企業も◯ミク◯だよな。)



ユノが生き生きしているのをみると
何故かホッとして
何故かうんまた頑張ろうと
思う。

ほんの数十秒の中に
ユノのエネルギーと
ユノが今まで生きてきた証を
これから生きていく力を
魅せられている気がして
胸が熱くなる。

今までどうやって生きてきたか
これからどうやって生き延びようと
しているのかが
伝わってくる。

俺は用日だろうと
相方がアレであろうと
なんだろうと
このために生きてきたし
これからも生きる。
祖国でこれで君臨し続ける。
たゆまぬ鍛錬とただ好きなことを
手放ないという執念で生きる。

お前はどうするんだ?
と。問われているような気持ちになる。

ユノを
もう一度、
本気のユノを
もう一度
観たくなる。

やっぱり
パフォーマーのユノは
最高なんだと
思うな。


※私がアンチ的な話をしていながら
やはりユノだよね、と思うのは 
アンチ的内容になるしかない事実が
ある中でも認めてしまうくらいの
ユノの力があるってことでもあります。
用日でなんなら多分反日それは
文化として根強く染み付いたものとしてまた国策要員として選ばれた祖国民として彼の選択肢がない中で身を置かざるえない、あるいは自ら望んでそこに身を置いているのか知らないけれど

それは私が日本人としての誇りが
ある限り容認することは全くできませんが

彼のパフォーマンスは
それでも民族を超えた
共鳴、感動を私に与えてしまう

ということを認めざるえない。

って話です。


それは人間としての共鳴感動なんだ
と思いますね。
そこに善悪は
無い。
もっと原始的な感覚。

ってことかな。