昨日と同じような今日☆ | 麻里子の宝塚なひとりごと

麻里子の宝塚なひとりごと

宝塚歌劇とベルサイユのばらが大好きな麻里子が日常の徒然を語りたいです
よろしくお付き合いくださると嬉しいです。

鬼怒川の決壊をはじめ、あちこちの堤防の決壊の様子に、ただ、ただ、唖然とするばかり

川のように水に浸かってしまった家の住人が、
「凄い大雨やなぁと思っているうちに、あっという間に水かさが増してきて、逃げなきゃと思ったときには、もうこんな状態やった、怖かった」
と言われていました。

一瞬のうちに、平和な日常が奪われてしまう理不尽さ。

自然災害は、いつ、どんな風にやってくるのか、想像もできません。

昨日と同じように平凡な毎日があることが、どんなに、どんなに幸せなことでしょうか。

恥かしいことですが、自分が阪神大震災で被災するまで、分かりませんでした。

当たり前だと思っていたことが、実はとてもありがたいことだったと、初めて気がつくことも、たくさんありました。

水道管が破裂して、長い間、断水した生活をしていました。
が、ありがたいことに、下水管は、無事でしたから、水を汲んできて、流すことが出来れば、使用できました。

ようやく、順番が来て、水道工事の人が来られて、水道管を修理してくれて、やっと、蛇口をひねれば、水が出たときには、涙が出ました

工事の人が、水道管を家の外の壁に取り付けて、
「今は、これしかできませんから、応急措置みたいなもんです。寒いから、水道管が凍結しないようにしてください。」

ぼろ布を一杯持ってきて、外の水道管に巻き付けて、凍結しないように必死でした。
水道管がちゃんと、家のなかにある意味が、当たり前ですが、よくわかりました。
今までは、当たり前やったこと一つ一つ、こんな風にありがたく思ったことはなかったです。

お湯が出ない生活が、こんなに辛いなんて、思いませんでした。

日常生活、当たり前に過ごしてきたことが、実はとても満ちたりてありがたかったと思いました。

あれから、もう20年。すっかり、元の暮らしに戻って、生活できるのは、本当に幸せなことです。

昨日と同じように今日が送れる、明日もそうだろうと言うことを心から感謝したいと思います。

被害を受けられた方々も、早く日常が戻ってきますように、お祈りします。