思い出すことども あけ口

思い出すことども あけ口
資生堂のこのシャンプーにはそそぎ口と書かれているけれども牛乳パックには昔はあけ口と書かれていた。
息子がまだ漢字をよく読めない四、五歳頃のことだったと思うが、「ここにあけろと書いてある」と言った。
モンゴルのけったいな食べ物
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初めてではないがこの夏もこんなご馳走を振舞われた。始めて見る日本人は一瞬ギョッとなるかもしれないがシャケの頭を煮たのと同じようなもの。
タルバカンの肉は脂ギトギトでモンゴル人は大好きだかこの時ばかりはモンゴルウォッカ(アルヒ)を飲んで腹を壊さないように気を付けている。
コレラを媒介すると言う話も聞いていたので田舎を旅していて初めて喰ったときはおっかなびっくり。
これを見る時はいつも開高健のタルバガンの狩の様子を思い出してしまう。
モンゴルの食べ物については下記のYouTube動画に詳しくレボートされていている。
ノモンハン



ノモンハン事件(ハルハ河戦争)
郵便局の近くの路上の古本屋でノモンハン事件に関係のありそうな本を見つけた。モンゴルではハルハ河戦争(1939年)と呼ぶ。
1989年にロシアで刊行されモンゴル語に翻訳されたもので戦後50年の記念出版かと思われる。
冒頭のページにレーニンの銅像の写真と革命を讃える短いメッセージが載っている。
この銅像は昨年の夏まではウランバートルホテルの前の公園に立っていたが今年の夏は撤去されていて台座の跡の敷石の色がわずかに痕跡を残している。
関連記事:
レーニン
関連動画:
モンゴルのバレエ・オペラ

ロジャー5(証券会社BDSecの株主優待席)

7月公演予定
モンゴルのオベラ劇場は土日に開らかれる。今年は6月22日(土)にモンゴル入りする予定だったので翌日の日曜と次週の土日の6月分三回すべての招待券を入手しておいた。
しかし、22日は強風でMIATが欠航になり見ることができず、翌週の29日(土)は旅行先のダルハンから五時の開演に間に合うように帰って来たのに市内に入ったところで車がエンストして時間オーバー。
結局30日(日)のバレエ「ジゼル」だけを見ることができた。
「ジゼル」は去年の夏も見たものなので、画像は初めと終わりの部分だけに留める。
ちなみに、23日、29日の演目は「トスカ」と「セベリアの理髪師」であった。
なお、今年は7月も公演がおこなわれる。
関連動画:
マルコポーロ像 王の中の王 フビライ~想いは東方を駆けて

2013年7月4日撮影 右下ウランバートル・ホテル

後方スフバートル広場
ぴ
昔、中学や高校の世界史の教科書で習った東方見聞録(今は「世界の記述」と呼ぶのが一般的らしい)による日本の記述でジパングの黄金伝説はよく聞かされたが東洋文庫を読んで日本人に人肉食の習慣があると書かれているのを知ったのは50歳を過ぎた頃であった。
ただ私がしっかりと言っておきたいのは次のことです。この島あるいは他の島々の 人々は皆、捕まえた敵の身代金が払われない場合、敵を捕らえた者は親類や友人を 呼び集めると、みんなで敵を取り押さえ、殺して、料理した後で、大きな宴会を開いてそれを食べてしまうのです。彼らにとって人肉はこの世で一番のご馳走なので す。(引用終わり)
関連記事
マルコポーロの冒険
最終回 想いは東方を駆けて
http://youtu.be/rrvfOP3NeDo Part A
http://youtu.be/jmhNClfcw14 Part B
マルコポーロの冒険 ドラマ編
王の中の王 フビライ~想いは東方を駆けて
マルコポーロ 東方見聞録 青木一夫訳 1960年11月発行 校倉書房
しかし ,これだけはぜひ知っておいてほしいので話すことにする。
それは、チパング諸島に住む偶像教徒は、自分たちの仲間以外の人間を捕まえてくると、その男が身代金を払えない場合には、友人や親戚を残らず招待して、「うちでいっしょに食事をしましょう。」という。そうして捕まえた男を殺して、みんな寄り合って食べる。ーーーもちろん料理をしてであるが。彼らときたら、いろいろな食べられる肉のなかで、人間の肉ほどうまいものはないと心得ている。
さてこのくらいにして本題に戻ろう。P221
チパング (訳註 「日本」の中国音ジーペン・グオの訛り)
しかし ,これだけはぜひ知っておいてほしいので話すことにする。
それは、チパング諸島に住む偶像教徒は、自分たちの仲間以外の人間を捕まえてくると、その男が身代金を払えない場合には、友人や親戚を残らず招待して、「うちでいっしょに食事をしましょう。」という。そうして捕まえた男を殺して、みんな寄り合って食べる。ーーーもちろん料理をしてであるが。彼らときたら、いろいろな食べられる肉のなかで、人間の肉ほどうまいものはないと心得ている。
さてこのくらいにして本題に戻ろう。P221
チパング (訳註 「日本」の中国音ジーペン・グオの訛り)
元の皇帝 フビライ 大草原の虹 岡本好古
p302
ポーロ兄弟は、ここで、キリスト教の賢者を同行させられなかった事情をのべたが、
「それは残念だが、もう苦にするな。そなたたちが万里万苦を越えてふたたび来てくれたことがいかなる土産にもまさる」
ニコロはすかさず、傍に平伏してるマルコを紹介した。ほうっ・・・・・と言うようにこの時、大君主はこの若者の燃える瞳にぴったりと視線を固定した。チンギス・ハーンの誇りある孫、六十歳の大汗フビライと、ヨーロッパから長い旅を続けてきた二十一歳の若者との運命的な出会いであった。
大汗は、一目でこのマルコが気にいった。それは霊感的ともいえる一瞥である。
「マルコと申すか。余はこのいま、とつぜん・・・・ 天より息子を一人さずかった気がする。さあ、何なりと望みのものをとらせる。ひたすら東へ、あけぼのへ向かって旅してきた熱意に褒美を与えたい」
「陛下、すでにいただいております。私の大好物は、幾万里の遠路もいとわず夢と冒険を追いつづけることです。陛下が、西方を望まれ、関心と期待をもたれるより何百倍も私は東方の国と高名なる陛下にあこがれ、三年半かかって到達できました。
陛下をを仰ぎみられるこのいま、これ以上の褒美がありましょうか。あとは陛下にお仕えしてお国を見させていただきとう存じます」
マルコ・ポーロ的記憶力・・・・・の表現があるように、後年あれほど精確緻密な「東方見聞録」をあらわしたマルコの記憶力は超人的であった。旅の途上のさまざま風俗の見聞と実体験、すなわち、あけぼのへ向かって旅したマルコ・ポーロの大ロマンを、それから連日、可汗に語り、可汗は興味津々のあまり夜を徹して耳をかたむけた。
当時、国々がせめぎあう狭苦しいヨーロッパは、キリスト旧教の重石に抑圧されていた。そこから脱して、ヨーロッパでは考られない大地のひろがりのなかで、マルコ・ポーロが初めて知った『拡散』感は、何にたとえられよう。
テラノサウルス・バタール(別名タルボサウルス)


モンゴルから米国に密輸され、オークションなどを経てさまざまな人物の手に渡っていた7000万年前の恐竜の化石が5月6日、海を隔てた所有権争いの末に、モンゴルに返還された。
現在スフバートル広場の特別展示場で無料公開中。
昨日27日そのテラノサウルス・バタール(別名タルボサウルス)を見て来ました。
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米へ密輸された恐竜の化石、波乱の末モンゴルに返還
From MNB News
スジャータシャンド( http://sujatashand.wiki2.jp/j01.html )の活動がモンゴル国営放送で紹介されました。http://sujatashand.wiki2.jp/j01.html
関連記事:
ダルハン郊外の草原にて

ダルハン郊外の草原にて (2013年6月28日)
司馬遼太郎の『草原の記』の表現によれば
〈モンゴル高原が、天に近いという ことについてである。そこは、空と草だけでできあがっている。人影はまばらで、その くらしは天に棲んでいるとしかおもえない〉
草原の草に寝転んで風に吹かれているとそのことを実感できる。
聞こえるのは風の音と遠くで羊の啼く声。
モンゴル航空(MIAT)欠航のドタバタ


6月22日成田発のMIATは掲示板に定刻(OnTime)と表示されていたのに12時10分にチェックインが始まり、長い行列ができているのに途中から未定(Indifinitive)に変更された。強風のためウランバートルからまだ飛び立っていないという。
それならば出発は少なくとも7時間ほど後になると考えて千葉市内で時間を潰すことにした。千葉市内からその後の状況を確認しようとMIATの東京支店に電話したが土日はお休みだそうで、埒が開かず再び成田空港に引き返した。
空港の掲示板には欠航とあり、ウランバートルからの到着予定は21時××分で深夜の出発はできないとのこと。
結局、翌日23日の同時刻に出発との情報を得て再び千葉市に戻って妹の家にお世話になった。
23日はこともなく進行して一安心。機内でのお詫びの日本語アナウンスに「後ろからの風が強かったために」との説明があり、昨日の対応の悪さに少々腹立ち気分で「北風」のことでしょうとつぶやいてみたが、「追い風」のことかなと思い直して納得。
チンギスハーン空港に到着したとき、翼の先にHUNUU AIRと書かれた小型機が見えた。Hunuuとは世界史の教科書に出てきた匈奴、突厥、鮮卑、契丹などのあの匈奴のことで、モンゴル族の最初の統一国家である。
この時分には成田での不快な気分は消し飛んでモンゴルフリークになり切っていた。


