佐藤武久のブログ 「日本・モンゴル往来日記」 -83ページ目

スズメバチの巣

2014年1月12日(日)

どんど焼きの帰り道、我が家の近くの道路にスズメバチの巣が落ちているのを見つけた。
お昼前に雨が少し降って、その後お日様が射したので樫の木に積もった雪が融け落ちてこの巣を巻き添えにしたものと思われる。
スズメバチは日本ミツバチの天敵で、蜜蜂の巣箱を設置する環境条件のひとつに周囲2キロ圏内にスズメバチの巣がないことと言われているので願ってもない自然作用であった。

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No.26 ほのぼの明かりて流るる銀河 

2014年1月13日(月)記 成人の日 外は雪

強い寒波の影響で北海道でマイナス20度以下の最低気温が観測されているという。
10年以上昔になってしまったがモンゴルで暮らしていた冬、メーリングリストにこんな記事を配信していました。
                     
(2002.11.19配信)
*************************Letters from Mongolia
  No.26 ほのぼの明かりて流るる銀河 
      モンゴル通信「崑崙の高嶺の此方より」 
                            By T. Sato
Letters from Mongolia *************************
 
 サインバイツガーノ(皆さんこんにちは)、佐藤武久です。
 ウランバートルは朝の気温がマイナス20℃以下となる日が多くなりました。
 11月に入って帰国隊員の送別会や講演 聴講などのスケージュールで土曜日が塞がりアパートで土日を過ごす週が重なりましたが、16日の土曜日にモンゴル科学技術大学の第一回日本語スピーチコンテストを見た後でしばらくぶりにガチョールトのゲルに出かけました。
 山は一面雪で真っ白でゲルの前の平地も多いところで5cm位積っています。ゲルの屋根に何も雪がないのは留守の間に牧民のドグロースレンさんが払い落としてくれたためです。
 ゲルに入ると冷凍庫に入るような寒さです。早速ストーブに火を起して暖を取ろうとするのですが夏用のストーブなのでなかなか暖かくなりません。
 食料保存用の木製の戸棚にバトフさんの客人が持って来てくれたドイツのBeck's という瓶ビールを飲み切れずに入れておいたのですが一本は凍ってまっ二つに割れ、もう一本は完全に凍っていました。これをストーブの火で少しづつ暖めてもとの液体に戻してから飲んでみましたがどこに泡が飛んでしまったのかひどい味でした。
 それでもアルヒやウィスキーの瓶がなんともないのはアルコール度38度とか42度の効用と思われます。
 じゃがいもも凍っていて叩くと石ころのような金属音がします。銀紙に包んでストーブの灰に突っ込んで焼いてみましたがこれも不味くてとても食べられません。遊びに来ていたモンゴル人のオランカという男の子にも少しあげましたが不味いと言って返して来ました。
 それでも、ストーブの火を強くして鉄板の上でするめを焼いてチンギスハーンやジャックダニエルをちびりちびりやるのはアパートでは味わえない醍醐味です。
 もう一つの楽しみは星空の観測です。これまで北斗七星くらいしか知りませんでしたが北極星の位置が見分けられ、そこを中心にカシオペヤやオリオンなどが少しづつ分かるようになりました。
 アパートに帰ってからコンピュータに入っているStella Navigatorというソフトで真夜中に見た星空を再現して見るのも楽しいものです。

写真1:2002年11月17日早朝4時30分のモンゴルの北の空
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写真2: 羊の毛皮で作ったデール
http://www.geocities.jp/sato032_2000/sato3.jpg
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             佐藤 武久 (2002.11.19記)   
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童謡「春よ来い」

私の孫も「みいちゃん」(海天)です。
童謡「春よ来い」作詞:相馬 御風

春よ来い 早く来い
あるきはじめた みいちゃんが
赤い鼻緒の じょじょはいて
おんもへ出たいと 待っている
春よ来い 早く来い
おうちのまえの 桃の木の
つぼみもみんな ふくらんで
はよ咲きたいと 待っている






農道を行く 2014年1月2日


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 2014年1月2日記

農道を行く

小雨が降って多少風が吹いていたが、正月の運動不足解消も兼ねて、歩いて安住寺へ新年の挨拶に出向いた。
帰り道、近道のつもりで中学校の北側につながる農道に入った。
途中から除雪していない道にかわったがそのまま新雪の上を歩き抜けた。

教訓 : 急がば回れ


電子年賀 2014年

謹んで新年のお慶びを申し上げます。

Шинэ жилийн мэнд хүргье! 



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2002年冬 モンゴル国ウランバートルにて撮影

雪景色 2013年

2013年12月27日(金)記

冬景色 2013年

12月25日9時半撮影
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時にはこんな日もあるが、

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一ヶ月前(11月28日撮影)に木枯らしが吹いていたのが遠い昔に思える今日この頃


鈍い冬日もありがたく

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絵本モンゴル秘史 20(最終回)

絵本モンゴル秘史 20(最終回)

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モンゴル秘史 20(最終回)

1226年、チンギス•ハーンはこれまで一度も約束を守らなかったタングート族の西夏に遠征を開始した。
その時妃の一人イエスエを伴っていた。
途中で野生馬の狩猟をしている時、チンギス•ハーンは馬から落ちて重傷を負った。
息子たちと軍の指導者たちは相談して進言した。
「身体の具合が良くありません。今は故郷に引き返しましょう。健康を回復したら、また力を蓄えて戦いに復帰しましょう」

しかし、チンギス•ハーンはこの提案を拒んで言った。
「タングートは我らが怖気づいたと思うであろう。戦え!」
こうして、タングートの西夏王国は地にひれ伏す運命となった。

その後、亥の年1227年に、チンギス•ハーンは死去した。
兵たちは主君を秘密の場所に埋葬した。

翌年のねずみ年1228年、息子たちとすべての貴族がホデーアラルの地に集まり、息子のオゴデイをチンギス•ハーンの後継者として承認した。
オゴデイは父の夢を引継ぎ、残りの世界を平定して全世界をひとつの家族にまとめようと決意した。
チンギス•ハーンには四人の息子がいた。ジュチ、チャガタイ、オゴデイとトルイである。
母親のホエルンは四人の息子を慈しみ育て上げたが、メルキトの生まれのホチョー、タイチュート生まれのホホチュー、タタル生まれのシヒホトグ、ゾルヘン国のボロホルも分け隔てなく面倒を見た。
昼には我が目となり、夜には我が耳となって欲しいとの願いであった。

(おわり)

絵本モンゴル秘史 19

絵本モンゴル秘史 19

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モンゴル秘史 19

チンギス•ハーンはサルタウルと通常の友好関係を結びたいと百人からなる使節団を送った。
しかしながら、サルタウルの支配者はすべての使者を皆殺しにした。
侮辱を受けたチンギス•ハーンは、1219年にサルタウルへの侵略を決意し、7年に及ぶ戦いの後これを征服した。
7年の間に、チンギス•ハーンの息子と軍の指導者たちは、ロシア、ハンガリー、ブルガリア、キエフ、ブハラ、ボルガ、ウラルなどを傘下に収めた。
1225年の秋に、チンギス•ハーンは、トーラ河の流れる谷に広大な宮殿を建てた。


絵本モンゴル秘史 18

絵本モンゴル秘史 18

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モンゴル秘史 18

1211年にチンギス•ハーンは中国を征服するために出陣した。
その年は四人の息子を伴って軍を進め、中国軍を粉砕した。
モンゴルが強大になったため、タングートと韓国のような周辺国はさまざまな貢物を携えた使節を送り込んでモンゴルの属国となった。
その当時、モンゴル国家は最強の帝国となり、中央アジアのサルタウルと国境を接することになった。

絵本モンゴル秘史 17

絵本モンゴル秘史 17

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モンゴル秘史 17

1206年にチンギス•ハーンはすべてのモンゴルの遊牧氏族を統一した。
そして、オノン河の河口に大集会を開き、九つの馬の尾を垂らした白い纛(とう)が掲げられ、そこでチンギス•ハーンは全モンゴルの大ハーンとして承認された。

チンギス•ハーンは労苦を共にする千人隊の隊長を任命する法令を作った。千人隊は十の百人隊に分かれ、百人隊は十の十人隊に分かれていた。
このようにしてすべての領民は万人隊の中に組み込まれ、それを指揮する万人隊の隊長を任命した。
チンギス•ハーンはまた800人で構成される近衛隊を任命する法令を作った。
税務長官と裁判の長官も任命した。

1207年までにオイラート部族を攻略し、キルギス部族の首領もモンゴル帝国に加えさせた。
オイラート、ブリアッド、バルガ、オルソード、ハブハナス、トバなどの部族もモンゴル帝国に加わった。
この時、モンゴル帝国の領土は、西は新疆(Sinkiang)、北は北極海まで拡がっていた。