
チーボーの近況
2018/10/10
チーボーの近況
2018/5/24
チーボーの近況
2018/1/2

2018/5/24

2018/9/12

2018/9/14

2018/10/10 床暖が入りました。

因みに2004年4月

2018年1月2日 14歳になりました。

古文書「寛政秘伝書」-光格天皇の功績ー
2018/10/07
古文書「寛政秘伝書」 -光格天皇の功績ー
(弘化三年(1846)8月 越後小清水村 佐藤八助 求之 佐藤武久蔵)

古文書「寛政秘伝書」
寛政皇都鑑秘録
『幕末の天皇』藤田覚著…より
2017.02.09 (木)
「 今上陛下が研究、光格天皇の功績 」
古文書「冨士山人穴双紙」その1
2018/10/01
さあ、それでは「富士の人穴物語」の解読を始めよう。多分、今年いっぱい掛ると思う。(1)
そもそも、正治元年(1199)四月三日に、鎌倉右大将頼朝御子に頼家と申すありける。頼朝公の御跡御相続成られ候て、ある時、和田の平太を御召し寄せられ、仰せけるは、いかに平太、承りければ、昔より音にきく富士の人穴と申すあり。音に聞きたるばかり、その人穴見たる者、今になし。その穴の中にいかなる不思義有りや。汝秘かに穴の中へ入り、如何なる不思義やある、人穴の内を見て参れとぞ仰せける。
※ 和田平太 - 和田胤長(わだたねなが)。鎌倉幕府の御家人。和田義盛の甥。弓の名手と伝わる。
平太畏まりつゝしんで申す様、これは思いもよらぬ仰せにて候。空をかける翔、地を走る獣を取って参れとの御上意候わば、いと安き御事にて候えども、これはいかが候わんや。人穴に入り、二た度帰り候事計りがたしと申しければ、頼家公仰せけるは、是非はともあれ、かの穴の内見て参れとぞ仰せける。
平太畏まり御奉公は同じ事、二つなき身命にて候えば、一命を君に奉り、委細畏まり候と御請け申し上げ、我が宿所に立ち帰り候て、和田の義盛の屋敷へ参り申しけるは、平太こそ君の仰せを蒙り、富士の人穴の内を見て参れと上意を蒙り候と申しける。
※ 和田義盛(わだよしもり)- 鎌倉幕府の御家人で、初代侍所別当。
義盛承り申しけるは、それは珍しき大事の御望みかな。自然の事のある時は、生き別れとも成るぞかし。人をも連れず、只独りと、涙を流してぞ仰せける。
※ 自然の事(しぜんのこと)- 自然に起こる予測不能の事件。万一のこと。
相構いて、平太無事にて帰り、高名と謂われて、一門の名を揚げよと申され候て罷り候、と涕(なみだ)を浮べける。
※ 構いて(かまいて)- 必ず。きっと。
※ 罷る(まかる)- お許しをいただいて、貴人のもとから、退去する。
「富士の人穴物語」の解読を続ける。(2)
かかる所へ、朝比奈三郎、この由を見るより、四尺八寸のいか物作りの大太刀指し、鯉口四、五寸抜きかけ、腰の上に横たえ、平太をはたと白眼で、涙こそおこりまじき者世にあらじ。日本国の諸士の見る所で、泣き顔など人に見せては、末孫の次第なり。その様な情病者(憶病者のつもりか)を、一門の中に置くは、それに引かされ、皆憶病に成るぞかし。そこ立ち去れと申しける。
※ 朝比奈三郎 - 朝比奈義秀(あさひなよしひで)。鎌倉幕府御家人。父は和田義盛。朝比奈氏(和田氏一族)の当主。
※ いか物作り(厳物作り) - 太刀の外装がいかめしく立派に作ってあること。
※ 鯉口(こいくち)- 刀のさやの口。
平太腹を立て、これ朝比奈殿、憶病にて候とも、人穴の内を見ずは、二た度ここへ帰るまい。御心安く思し召し候えとぞ申しける。
朝比奈聞いて、から/\と打ち笑いて、これ平太殿、走る馬にも鞭を打つ。血汐に染る紅も染るに増して色ぞや。某(それがし)も倶々(ともども)に貢ぎたくは存ずれども、ただ壱人とされたる頼家公の御上意もあり、かまいて/\この度は高名の穴入りして、一門の名を揚げよ。御用意成されよ、と別れてこそ。
立ち帰り、さる程に、平太がその日の出で立ち装束は、何時よりもまた花やかなり。籠には白き帷子を差し、中には白紙を差し込んで、白織の直垂の裾を結びて肩に掛け、大口袴の裾高く、白銀の胴金有りて、赤木の柄に金幅輪の縁頭、赤銅作りの太刀ともに、二た振り佩(は)いて、扇子を差し添う。明松(たいまつ、松明)積まる、十六帯、人六人に持せて。
※ 直垂(ひたたれ)- 上衣と袴(はかま)からなる武家の衣服。
※ 大口袴(おおくちばかま)- 裾の口が大きい下袴。
※ 胴金(どうがね)- 刀のつかや鞘(さや)にはめる金属の輪。合わせ目などが割れるのを防ぐ。
※ 縁頭(ふちがしら)- 刀の柄の頭の部分。また,そこに付ける金具。柄頭(つかがしら)。
鎌倉の御所より頼家公の御前へ参り、御暇(いとま)申し上げ、諸国の武士暇乞い、十三日と申す午の刻帰るべし。それ過ぎて候わば、岩屋の内で死にたると思し召し候えと申し上げければ、諸大名達、打ち詠め、遖(あっぱれ)、弓取の身の上程つらき者はなし。皆々思んばかるなり。
※ 帯(たい)- 松明は一帯、二帯と数える例があった。
※ 詠む(ながむ)- 声を長く引いて詩歌を吟詠する。(但し、ここでは「眺む」の意でよいのかもしれない。)
それより鎌倉より、日を重ね、夜を添えて行けば、程なく駿河の国岩屋にこそ着きにける。
「富士の人穴物語」の解読を続けよう。(3)
さる程に、平太、岩屋内へ入る。壱丁ばかり入りければ、口より火焔を放ち、大蛇、簀の子のごとく並び臥したり。平太、それをも厭わず、飛び越え跳ね越え、五町程行きて見てあれば、生臭き風吹き来たり、恐しき事限りなし。
その傍らの方へ行きて見て有らば、年頃十八、九の、さも美しき女房、十二一重(単、ひとえ)を引き重ね、紅の袴を踏み、三十二相の御姿丈なる御髪に、摺墨を流しかけたる如くなり。白銀の機子に小金の杼を差して、錦を織りてぞおわします。
※ 三十二相 - 仏典に、仏の姿には三十二の相があるという。
※ 摺墨(するすみ)- 墨。墨汁。
※ 機子 - 機織り機のことか?
※ 杼(ひ)- 織機の付属用具の一。横糸とする糸を巻いた管を、舟形の胴部の空所に収めたもの。端から糸を引き出しながら縦糸の間を左右にくぐらせる。
迦陵頻伽の身振り、りん/\たる御声にて仰せけるは、そも何者なれば、かゝる所へ、我が住家へ来たり給うぞと仰せける。平太聞くより、我こそ鎌倉殿よりの御使にて、和田身内の一族、平太義助と申す者にて候と申す。
※ 迦陵頻伽(かりょうびんが)- 想像上の鳥。雪山(せつせん)または極楽にいて、美しい声で鳴くという。上半身は美女、下半身は鳥の姿をしている。その美声を仏の声の形容とする。
かの女房聞き会い、たとい誰人の御使にもあれ、自(おの)が前をば通すまじ。それを押して通るならば、忽ち命を取るべしと、これより帰るべしとぞ仰せける。もし過ちありても端より恨み給ふな。それ如何にと思うらん。汝は仏法に仇を成し、守屋の大臣が九代目の産れなりと、仰せも果ぬば、岩屋の奥より風吹出し、一もとに吹き立られければ、立つ事もならず、岩屋の口へぞ、吹き出され、漸々と立ち揚らんとせし所に、岩屋の内より叫ぶ音して、汝が年は十八歳なり。三十一と云う春の頃、信濃国の住人、和泉三郎と申す者に騙られ、故もなき反叛の起こし討れん事、一丈方甲斐なきぞ、と虚空にて呼ばりける。その声、ただ雷電鳴り響く如くにて、恐ろしき次第なり。
※ 守屋の大臣 - 敏達・用明朝の大連。尾輿の子。排仏を主張して蘇我馬子と対立。用明天皇の死後、穴穂部皇子を推したが、馬子らに攻められて敗死。
※ 反叛(はんほん)- 謀反。反逆。
漸々と夜を日に継いで、鎌倉へこそは帰りけり。鎌倉殿へ参りて、岩屋の不思儀、様々と申せども、兎に角、その奥を見ざる事こそ残念なれ、とぞ仰せける。平太は我を鵜の如くに遣し、ことごとにて、さしたる甲斐もなく、高名もなく、我が屋敷へぞ引っ込みける。
「富士の人穴物語」の解読を続ける。(4)
かくて、その後、鎌倉殿何卒(なにとぞ)して人穴の奥を見せ、奥の様子を聞かばやと思し召して、比企ヶ谷明地四百町あり。鎌倉殿御判を成され、岩屋の奥見留めたる者に、右の四百町を下さるべしとの御触れ状を御廻し給いける。皆の申けるは、命ありての領地とて、更に御判の戴く者、岩屋に入るべきと申す者、しば/\なかりける。
※ 比企ヶ谷(ひきがやつ)- 鎌倉の地名。
ここに伊豆の国住人、仁田四郎忠綱と申す鎌倉武士あり。この者は、先年頼朝公富士の御狩りの節、大いなる猪を乗り止め、またその後は曽我十郎を討ち留め、武士の高名、世に触れし武士(もののふ)あり。然れども世につれて、さしたる事のう過ぎにける。
かゝる事を聞き思う拠(よんどころ)は、弓は袋に入り、釼は鞘に納まり、今、四百町下さるとは、珍しき御事なり。我ら領地、今千六百町持ちたるなり。松王、松若とて、男子弐人持ちたり。弐人に千町づゝ譲り取らせばや。子を撫で育てば、繭の虫の蚕を作りて機と成るも同じ事なり。子孫こそ静かなる世の楽しみなり。
いそがれ鎌倉殿へ、仁田申しけるは、忠綱こそ富士の人穴に入り、慥に見届け申し上げんに、御墨付戴き申さんと、御判頂戴仕り、鎌倉殿御悦び限りなく、右の四百町、仁田四郎忠綱にこそ下され、早々出立の御暇下されける。
かくて忠綱は我屋敷へ帰り、女房に、人穴へ入るなり。若し岩屋の内にて死にたるとも、所領庄園は二人の子供に千町ずつ取らすべし。松杉を柱置きて子孫に譲るも同じ事なり。我が無き跡でも、子供こそ鎌倉殿へ御奉公を致すべし。武は挽(ひく)は帰らぬ梓弓、老ては子を思い、習いぞかし。いかに諸国の士も出憎しと思うらん。よし、それとても、欲は人の身の習いなり。笑わば笑え、力無しと。女房子供に暇乞い、旅の用意を致しける。
仁田がその日の出立ち装束は、肌に良き定めに白小袖。中には白織の大口の直垂(ひたたれ)の袖を倍(へ)て扇にかけ、梨子打烏帽子に鉢巻しめ、袴の裾高く取り、厳物作りの太刀に、白銀の鞘巻し多る腰添え、また、一腰は箱根の権現の給わりし名釼なり。
※ 大口(おおぐち)- 大口袴のこと。
※ 梨子打烏帽子(なしうちえぼし)- 黒の紗または綾に薄く漆を塗った柔らかめの烏帽子。兜の下につける。
※ 厳物作り(いかものづくり)- 太刀の外装がいかめしく立派に作ってあること。
※ 鞘巻(さやまき)-鍔のない短い刀。鞘に葛藤のつるを巻いたもの。のち漆塗りでつるを巻いた形を模したものとなった。腰刀用。
兼ねて目付の役人、伊豆の国の住人、工藤左衛門の尉祐経、後已(以後)の役に、具足して明松三十取り持たせ、七日と申すに帰るべし。若しまた、その日に帰らずば、死にたりと思し召し給えと、諸大名に暇乞い、妻子一家に引き別れわば、鎌倉山を跡にして、野暮れ山暮れ急がわば、かの富士の人穴にこそ着きにける。
※ 工藤左衛門の尉祐経 - 工藤祐経。鎌倉初期の武将。伊豆の人。所領の争いから同族の河津祐泰を殺害。のちにその遺児の曽我兄弟に、富士の巻狩りの陣中で討たれる。
「富士の人穴物語」の解読を続ける。(5)
さる程に、仁田四郎、急がば程なく岩屋に入り、五六町行きて見れども、何もなし。名釼を抜き、四方八方打ち払いて見れども、何もなし。また五、六町行きて見れば、月日(じつげつ)の光りあらわれたり。また五、六町行きて見れば、小松原へぞ出る。その地の色、五色なり。
ここに川あり。只今渡りたると見えて、足の跡、砂にあり。この川を渡りて見れば、東に堂あり。その堂より二、三町程歩行(ある)きてみれば、八棟作りの唐破風作りの桧皮葺(ひかわぶき)にしたる堂あり。立柱は錦で包み立てたり。
※ 八棟作り(やつむねづくり)- 形が複雑で棟が多く、破風も多い豪壮な屋根をもつ建物。近世の民家にみられ、神社では権現造りのものをいう。
その内に入りて見れば、心も言葉も及ばれぬ結構なり。樋の水の音、琵琶弾けるに似たり。吹き来る松風の音は、笙ひちりきかと疑いたり。かゝる絶(たえ)なる事を聞くは、長生殿の夢覚えて、面白き事限りなし。
※ 結構(けっこう)- 構造。
※ 長生殿(ちょうせいでん)- 唐の太宗が驪山(りざん)に建てた離宮。玄宗が華清宮と改名し、楊貴妃を伴って遊んだことで有名。
堂の前に池あり。五色の蓮花あり。この開くが昼なり。しぼめる時が夜となる。また艮(うしとら)に当り、小金(黄金)作りの光輝く堂あり。錦をもって天井を張り、綾にて柱を包み、珠の木梵樹、珊瑚の桁、瑪瑙の梁、所々の隅々に、小金の鈴を掛られ、その角の音聞かば、常楽我浄の風ともろともに、皆々法華経を読まれたり。初本第一、一部八巻廿八品残りなく唱えける。
※ 常楽我浄(じょうらくがじょう)-(仏)涅槃の四徳。常住不変の常、安楽で苦を離れた楽、自在で障りとなるもののない我、迷いがなく無垢清浄である浄。転じて、極楽浄土にいるように何の心配もなく、のどかな生活にいう。
※ 一部八巻廿八品 - 法華経は28の章(品)から成り立ち、古来は28品を巻物にして読経した。この巻物が八巻あり、八巻が揃って法華経の一部経という。
※「木梵樹」- 意味不明。翻字が間違いかもしれない。
奥に聞こえて鐘の声、祇園精舎と響きける。諸行無常もかくやらんとぞ思いける。なお艮(うしとら)の方に行き見れば、草むら茂り、仁田思う様は、今のは慥かに諸仏菩薩の客殿なるべしと。この奥に御堂阿り。また北の方へ行きて見れば池あり。池の中に島あり。嶋の上に小金の閻浮檀金の光り御堂あり。八棟作りにて光輝き、心も言葉も及ばず。
※ 閻浮檀金(えんぶだんごん)- 閻浮樹の森を流れる川の底からとれるという砂金。赤黄色の良質の金という。
さてまた島より陸路へ八十九間の珠の橋あり。壱間に壱つづゝ小金の鈴あり。皆々に妙法蓮花(華)経を唱えにける。八十九の鈴、一部八巻廿八品文字の数、残らず唱えにける。その中にまた壱つの鈴、この経の功力により一切の衆生をば九品の浄土へ向わせ給え。十羅刹女、三十番神へ申すとて唱えける。
※ 功力(くりき)-(仏)功徳の力。効験。
※ 九品の浄土(くほんのじょうど)-(仏)極楽浄土。往生する者に九種の差異があるところからいい、また浄土にも九種の差異を立てていう。
※ 十羅刹女(じゅうらせつにょ)-「法華経」に説く10人の鬼女。後に、仏法に接し、鬼子母神らとともに、「法華経」を持する者の守護を誓ったという。
※ 三十番神
「人穴物語」はこの辺りより仏教色が濃くなってきた。富士信仰に仏教が色濃く絡んでいることを示している。
「富士の人穴物語」の解読を続ける。(6)
池の水五色に湛え、仁田、嶋に近付き、内の躰相を急度指し覗き見ければ、内よりもりん/\たる御声にて、何者なれば自らが住家へ来たるぞと仰せけるが、立ち出で給うその御姿、十丈ばかりなる大蛇なり。頭には十六本の角生いたり。口より吹き出し給う火焔の長さ十丈ばかりぞ、上りける。舌の紅の如くなり。頭の角を振り立てたる、その勢い恐しき事限りなし。
※ 躰相(ていそう)- ありさま。ようす。
命を的の武(つわもの)も、跡へひさりこそしたりける。大音揚げて名乗りけるは、我こそ鎌足公の後胤に、野住の大納言十二代の孫、仁田四郎忠綱と申す者なり。鎌倉殿御使を蒙り、ここまで参上仕り候、と大音に申しける。
※ 跡へひさり-「後びさり」は「あとずさり」と同じ意。
大蛇この由を聞こし召し仰せけるは、いかに汝おこりし自らが住家を見る事、一重に頼家が運命の極みと思し、さりながら、汝が帯せし太刀を自らに得させよ、とて仰せける。仁田承り畏まり候と、何の苦もなく、四尺八寸ありける太刀を抜きて、大蛇にまいらする。小金作り太刀なり。鞘をば抜きて身ばかり大蛇に奉る。大蛇太刀二振りともに、柄口より呑み、六根に納め、御悦の躰に見えたり。
その後大蛇仰せけるは、さればや日本の主ほどある頼家が、心に痴れたる望みをするものかな。然れども、この太刀を得さする上は、仁田が実も見えたり。また我心内、生死の眠りも覚ましつゝ、貪瞋癡の三毒を出て、迷土黄泉の対峙、地獄は一百三十六地獄、無間地獄、叫喚地獄、大叫喚、紅蓮、大紅蓮、焦熱、大焦熱、永沈(ようちん)、等活地獄、阿鼻地獄、あらゆる地獄の大罪人、三世因果の道理を聞かせん。また九品蓮台を見せて、九九、八十一の極楽世界、刹那の内をも見すべし。地獄、極楽、音に聞けども見る者なし。いざや先ず、六道四生を見すべしとのたまう。
※ 貪瞋癡(とんじんち)の三毒 - 仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩。
※ 迷土(めいど)- (仏)死者の霊魂の行く世界。あの世。冥土。
※ 九品蓮台(くほんれんだい)- 極楽浄土にある、蓮の葉でできた台。往生すればその上に生まれ出るという。九等の階位がある。
※ 刹那(せつな)-(仏)時間の最小単位。きわめて短い時間。瞬間。
※ 六道四生(ろくどうししょう)-(仏)六道における、胎生・卵生・湿生・化生の四種の生まれ方。
御声ともろともに、大蛇の姿引き替りて、十七、八の法師とぞ成らせ給うなり。仁田も三毒の念晴らしと思い、ただ仏神のごとく一切を打ち忘れて、寝覚めのごとく成ると思えば、はや迷土へ趣きける。
「富士の人穴物語」の解読を続ける。(7)
大蛇から姿を変えた17、8の若い法師が浅間大菩薩で、おそらく富士信仰の御本尊でもあるのだろう。この後、仁田四郎の案内役になり、「浅間」「菩薩」「大菩薩」などと呼ばれるのは、この浅間大菩薩のことである。
仁田申しけるは、ここは何国にて候。浅間大菩薩のたまいけるは、こここそ地獄の西にて、さいの河原と申す所なり。山川の向うを見れば、美しき法師、十二波羅蜜の尺丈を持ち立たせ給うなり。浅間仰せけるは、あれこそ六道の化成、地蔵大菩薩達なりとぞ仰せける。
※ 波羅蜜(はらみつ)-(仏)迷いの世界から悟りの世界へ至ることの意。実際には,そのために菩薩の行う修行のこと。
※ 尺丈(しゃくじょう)- 錫杖。僧侶・修験者が持ち歩くつえ。頭部は塔婆形で数個の環がかけてあり、振ったり地面を強く突いたりして鳴らす。
※ 化成(かせい)- 徳に感化されてよいほうに改めること。
その菩薩のたまう様、無仏世界地獄りやう利益衆生につこんおんこんふそく如来一こんふてうださいあくとぶ、と唱え給えば、数万の子供現われ出で、娑婆のとゝさま、かゝさま、姉さま、居給う、と呼べりける所へ、赤鬼来りて、石の堂を積む。積むと、後ろより、また立ちはだかり、或は十才ばかりの子供なり。皆々石の堂を積むなり。積めば赤き鬼、鉄の棒にて打ち崩すなり。仁田が見るに、度々責められて、娑婆のとゝさま、かゝさま、姉さまと泣き叫けぶ。その有り様、哀れとも無性とも、目も当てられぬ次第なり。
※ 無仏世界(むぶつせかい)-(仏)仏のいない世界。釈迦が入滅してから弥勒菩薩が出現するまでの世界。この間は地蔵菩薩が衆生を救うという。(これ以下、下線分、呪文のようで、意味不明。)
※ 娑婆(しゃば)-(仏)釈迦が衆生を救い教化する、この世界。煩悩や苦しみの多いこの世。現世。
※ 無性(むしょう)- 分別のないこと。道理がわからないこと。
はや地獄の日暮れと思(おぼ)しき時に、心淋しくなりける数万の子供、或は戻り、或は娑婆の親々様、恋しやと歎くなり。地蔵菩薩立ち寄りて、我れが母親、今日、我に志を致したりとて、錫杖に取り付かせ、子供もかき消す様に失せ給う。仁田申しけるは、あれは如何様の罪にて候や。浅間仰せけるは、あれこそ娑婆にて、母親に胎内に宿る事、十月(とつき)なり。親を苦しめ、親と成り、子と成りて、その報恩の送らずして死したる子供が、あの苦を身に請けるなり。日数九千才が程なり。母の歎きの涙、大となりて火を消すなり。子を殺したる親々に、地蔵菩薩を尊(たっと)めて、早や歎くなと、仁田告げよと仰せける。
※ 早や(はや)- もはや。
※ 仁田告げよ - 娑婆に戻って告げることをいう。この後にも何度か同様の言い回しがあり、浅間大菩薩は仁田を現世へ戻すつもりで入るようだ。
「富士の人穴物語」の解読を続ける。(8)
また少し歩みて見れば川あり。広き事空のごとし。それに川瀬三つあり。三途川とはこれなり。かの川の端に、丈十丈ばかりの乳母御前おわすなり。頭は赤熊の髪乱れて、大成る口を開き、恐しき顔付なり。上の歯が九十一枚、下の歯が百廿一枚なり。ここに来たる罪人の衣装を削り取り給うなり。また経帷子を着ざる罪人は、身の皮を剥ぐなり、平げて軒に掛け給うなり。またいろ/\の衣装を着て暮す者、皆々ここにてはがれて、罪人の数を知り給う役なりと、浅間仰せける。これは世を照らし給う大日如来の化身なり。
※ 乳母御前 - 奪衣婆(だつえば)のこと。 三途の川の岸にいて、亡者の衣服をはぎ取る老女の鬼。
※ 赤熊(しゃぐま)- 赤く染めたヤクの尾の毛。また、それに似た赤い髪の毛。
※ 経帷子(きょうかたびら)- 仏式の葬儀で、名号・経文・題目などを書いて死者に着せる衣。
またこの所過ぎ行かば、けわしき山路に差し掛る。正しく死出の山とはこれ成らん。巌石飄とし刃の如く、登るにも刃を研ぎたる如くにて、登るべき様は更になし。秋の草葉にことならず。
※ 死出の山(しでのやま)- 人が死後に行く冥途にあるという険しい山。
かゝる所にて空より呼ばわる声ぞしたり。その声を聞けば、今日、娑婆にて仏事、法事をするなり。願わくば極楽ヘ向い取り、かように札に記し給わるべしとぞ
唱えける。仁田これを聞き、あれは我が事を呼び叫び候や。大菩薩仰せけるようは、あれは人間に魂(こん)と魄(はく)と二つある。魄は命と黄泉の旅路に趣き、魂はこの世にと留りて、一家親類が忘るにて、菩提忌を問い、善根をなすなり。それを鏡に誌して、明け暮れ見れば、人またその魂魄及びたる者なし。その魂、墓の上にて、あの如く呼ぶなり。迷土の魄へ告げるなり。
※ あれは我が事を~ - 仁田は死んで、まさに葬式が行われている。閻魔の裁定を受けると、札へ「地獄行」「極楽行」と記される。
※ 黄泉(こうせん)- 地下にあり、死者の行くとされる所。あの世。よみじ。冥土。
※ 菩提(ぼだい)- 死後の冥福のこと。
またこの所を少し行き見てあれば、罪人どもに重き般若を附けて、鬼ども鉄の棒を振り立て、今の釼の山、上れ/\と責めるなり。仁田、これを見て尋ねける。大菩薩の仰せけるは、あれは娑婆にて馬や牛を商い、馬牛の馬喰や色々の偽りを立て、または馬牛をむごくして、物も喰せず責め遣いしものどもなり。または殺しなどすべからず。あの如く顔は馬牛の角生えた、鬼どもが責めるなり。あれを阿房羅刹と云うなり。
※ 阿房羅刹(あぼうらせつ)- 地獄で亡者を責めたてる鬼。地獄の獄卒。
その2に続く
https://ameblo.jp/sato032/entry-12519336069.html
蓮の花
7月22日 今年最初の花

7月31日 二つ目の花

8月8日 三つ目の花

8月16日 四つ目の花 曇りから雨に

8月26日 五つ目の花

9月4日 六つ目の花

9月18日 七つ目の花


































