十二支の由来 モンゴル編
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B01A2U206Y/r
モンゴルの十二支の初めの年になぜ鼠が選ばれたかという昔話です。
日本の話と違って、猫や牛の代わりに駱駝が登場します。
そして、駱駝がなぜ灰のある場所を前足で叩くのか、また、十二支に加えられなかったけれども、モンゴルで大切な家畜である駱駝にどのような優れた特性があるのかを説明しています。
ツェベクマさんに会う(2002年1月5日、 2020/1/13 画像を追加し再編集)
モンゴル通信 崑崙の高嶺の此方より

特別版 ツェベクマさんに会う(2002年1月5日)
(2002/01/06記、1月25日一部抜粋 2020/1/13 画像を追加)
この記事は群馬の自宅に住む息子陽一に送ったものを一部抜粋してYahho! Book Shoppingの読者レビューに投稿したものです。amazon.comやYahoo!で「星の草原に帰らん」をオンラインショッピングしようと思い検索したところどちらにもまだブックレビューの書き込みがありませんでした。
ツェベクマさんは私達が馬肉入りのボーズを食べるのをにこにこしながら見ているだけで食事には手を付けませんでした。
私がお土産に持参した丹波の黒豆を煮てタッパーウェアに詰めたものもそのままテーブルに置いてありました。
バータルツォグトさんがそれを見つけてこれは何だとツェベクマさんに聞いていました。「ハル(黒い)まめ」というのが聞き取れました。
私はツェべクマさんの著書「星の草原に帰らん」を持参していたので(JICA調整員の荒井順一さんからの借り物ですが)テーブルに拡げて確認しました。
最後のほうの司馬遼太郎さんに日本に招待された時のことを書いた一節は次のようなものです。
「はとバスが皇居前広場に停車して昼食になった。イミナとバートルツォグトはお弁当も食べずに、まるで新婚さんのように手を組んで歩いていた。私はベンチに腰掛けて幕の内弁当を開いた。お弁当の中に、高塚学校時代に好物だった黒豆を見つけて、思わず胸が熱くなった。
<こんな幸せは七十年の生涯で何回あったかな、二度はなかったかもしれない。正直に生きてきてよかった>
江ノ島の海を眺めながら、そんなことを考えた」
ツェベクマさんは、深々とした黒い皮張りのひじ掛け椅子に座って声は細いがほとんどしゃべり続け、私達はもっぱら聞き役でした。
高塚シゲ子先生のしつけが厳しかったこと、草原にはいろんな薬草がありそのことに詳しい僧侶や学者が大勢いたけれども革命のときに皆殺されて今はその分野の専門家はごく少ないこと、モンゴル人は天性生まれ故郷を大切に思い、年に何回かは故郷に帰っており、例えばフブスグル県の出身であるとか、アルハンガイ県の出身であるとか、そういったことを誇らし気に話すなどが話題になりました。
わたしのカウンターパートのボルドサイハン教授も米沢さんのカウンターパートのブツリン教授(化学の教授なのに物理ン先生です。このことに気が着けば忘れて思い出せないということはありません。駄洒落の効用。)もモンゴル大学のバトフ助教授もこの少ない薬草学に関わりのある化学分野の専門家です。
ツェベクマさんは私が持参した「星の草原に帰らん」の冒頭の司馬遼太郎夫妻と並んで取った写真の右のページに縦文字(こちらではウイグル文字と言います。)でサインをしながら今日は2002年の1月の何日ですかと左隣にしゃがみこんだ私に念押しの質問をされた。
5日ですと答えるとイミナさんもモンゴル語で復唱した。
サインをする間も話が1990年7月の「草原の記」の取材の頃の話になると急に表情が輝き出し、「17年もの空白のあとに突然ですよ」といって手を休められ日付けを書くのが停まってしまった。
「志をしっかりと持っておれば、たとえ17年という歳月が障害になろうとも、やがて時代が巡ってくればことはなるのです」といった意味のことを力説された。
文学者や学者の力というものが長い時代の流れや変化の中でいかに影響力を持つものであるかも繰り返し話された。
鯉淵先生やあべ松先生、画家の須田先生の名前も何度か口にされた。
鯉淵先生は写真の右の人ですかと質問したらその人は車の運転手ですという答えだった。
鯉淵先生は司馬遼太郎さんのコートの後ろに重なって黒子のように顔半分が覗いていた。
「いつもよくお世話していただいいています」とツェベクマさんは言った。
「星の草原に帰らん」には書かれていないことですが、司馬遼太郎さんのその時のモンゴル訪問の目的の一つは「チンギス汗の陵墓探索プロジェクト」の顧問として現地調査視察することだったそうです。
しかし、ツェベクマさんへの取材が本格的に動き出すと司馬遼太郎さんは「17年間恋い焦がれて来た女性に会いに行かなければならないから、視察旅行に参加するのはご遠慮申し上げる」と洒落ッ気たっぷりに宣言され、「みどり夫人も同行されているのに先生はなんてことをおっしゃるのですか?」と皆があわてふためいたというエピソードをさも愉快そうに披露された。
そして、それを遡る17年前の司馬遼太郎さんの最初のモンゴル訪問のときに、「チンギス汗は今どうなっていますか? ツェベクマさんはどう思われますか?」と質問され、「今は残念ながら、何も申し上げることができません。ただ、私が自分の考えを持っていない人間とは思わないでください。きっと、お話ができるときがくるでしょう」と答えたことを話された。
「自分でもなぜあんなことが言えたのか、確かな見通しがあってのことではなかったのに『きっとお話ができるときがくるでしょう』」と言ってしまったのよ」
このセリフは傍にいたせいもあるかもしれないがこの日に話されたなかで一番力がこもっていたように私には感じられた。
それは人間には意志はなく、見えない力によって突き動かされてでもいるかのような物言いだった。
「そして17年も経って突然ですよ。司馬遼太郎先生は二度目のモンゴル訪問をされたのです」
サインをしながら話し込まれて集中できなかったためであろう。今朝になって、「草原の記」の次にサインをしてもらった3冊目の「モンゴル紀行」を開いて見ていたらドットを打つのを忘れて2002.15となっているのに気がついた。
これはそのままにして残しておこうと思う。
(EOF)
朝青龍の初優勝インタビュー 2002年11月22日 (2020年1月8日再編集)
2002年にメーリングリストに配信した記事に動画を追加して再編集しました。2020年1月8日

2010年2月6(土)日記 雪、風強し
朝青龍の初優勝インタビュー 2002年11月22日
録音不良のため音声は入れ替えてあります。
この大雪と寒さで、映画「ドクトル・ジバゴ」の凍て付くようなシベリアの冬のシーンが頭をよぎる。
映画「ドクトル・ジバゴ」の導入部に「君はモンゴルに居たことがあるか?」という字幕があったと思う。
朝青龍が初優勝した2002年の11月、吾はJICAの海外シニアボランティアとしてモンゴルの科学技術大学に派遣されていた。そして、メーリングリストにこんなことを書いて配信していた。
サインバイツガーノ(皆さんこんにちは)、佐藤武久です。
昨日22日は週末だったので5時半頃大学の研究室を出ようとしていると外出していたオチルバットさんが「朝青龍が優勝した」と言って戻って来ました。研究室の皆が歓声を挙げました。
そのすぐ後に通訳のゲレルにテレビ局の友人からNHKの国際放送の朝青龍の優勝インタビューをモンゴル語に翻訳してくれないかという依頼の電話が入りました。ゲレルが佐藤さんもいっしょに行ってくれないかと頼むので同行することにしました。
テレビ局の編集室はセルベ川の川沿いにある経済大学の中にあるというのです。日の暮れ掛かった国立教育大学の学生寮の間の近道を抜けて10分位で経済大学に着きました。
テレビ局の編集室は大学のニ階の一室が使われ16帖ほどの広さです。スポーツニュースを専門に扱うOdod(英語でStars) Studioという独立したスタジオでした。
コートを脱ぐと挨拶もそこそこにすぐにNHK国際放送のビデオが再生されました。朝青龍の息使いが荒く真剣に聞き取ろうとすると聞きにくい発音が所々あり何度も繰り返して聞き取りました。それをゲレルがモンゴル語に翻訳して原稿を書いて行きます。・・・・・
つづきはこちらをご覧ください。http://www.geocities.jp/sato032_2000/l27.htm
写真:テレビ局で翻訳作業
モンゴル通信 2002年 ヤナギラン (2020年1月再編集)
(2002.7.20配信)
**************************Letters from Mongolia
No.22 カッコ-の鳴く谷で
モンゴル通信「崑崙の高嶺の此方より」
By T. Sato
Letters from Mongolia **************************
サインバイツガーノ(皆さんこんにちは)、佐藤武久です。
ついにウランバートル郊外のガチョールトの地にマイホームならぬマイゲルが建ちました。
バトフさんのゲルが2棟、私のゲルが1棟、それに板で囲った手作りの共同トイレが建っています。(写真1:マイゲル)

ガチョールトのこの地はウランバートルの中心街から東に30キロ位の所で、1時間に1本出るバスの終点からさらに北に向かって川に沿って6キロほど歩いた所にあります。
うねうねと蛇行する小川を挟んでその西側と東側に低い山なみが南北にのびています。
その東側の山の緩やかな斜面に私達のゲルは建っています。
そのため、西側の山に遮られてウランバートルからの電波は遮断され、谷では携帯電話は繋がりません。
バトフさんの話では、山の上に登れば繋がるかも知れないとのことでしたので、良く晴れた午後に実験することにしました。
すぐ目の前に見える頂上ですが歩いて登ると1時間ほどもかかります。
山の途中で電話した時は繋がらなかったのに頂上では応答がありました。実験は大成功です。
「バイノー(もしもし)、ゲレル、私の声が聞こえるか?」などと気取ってしゃべっているとまるで神様になったような気分です。
谷底に私の白いゲルが夕日の中に沈んで見えます。南側にはバスの終点のあるガチョールトの町並みも見えます。(写真2:山頂より望むガチョ-ルトの谷)

カッコ-が夜明け前から日が完全に暮れて闇に沈むまでしょっちゅう鳴いています。一羽のカッコ-が鳴いているのか何羽かが交替制で鳴いているのかよくわかりませんがこの谷で一番耳に残る声です。
このカッコ-の鳴く谷でバトフさんの家族と8月の末まで暮らす予定です。
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佐藤 武久 (2002.7.20記)
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(EOF)
ナーダム 2002年 モンゴル (動画を追加して再編集)
https://youtu.be/6UwvaF4Gxws
(2002.7.20配信)
**************************Letters from Mongolia
No.21 ナーダム
モンゴル通信「崑崙の高嶺の此方より」
By T. Sato
Letters from Mongolia **************************
サインバイツガーノ(皆さんこんにちは)、佐藤武久です。
7月11日はウランバートルのナーダムで開会式を観覧することができました。
東北大学の阿部総長ご一行様がモンゴル科学技術大学を訪問され、われわれシニア海外ボランティアの3人も招待されての観覧でした。
私は1999年の夏に初めてナーダムを観たので今度で二度目です。ウランバートルのナーダムはバガバンディ大統領の開会挨拶に始まる国家的行事です。
今回のナーダムは空からパラグライダーに乗った人が10人ほど次々にグランドに舞い降りるなどこれまでにない催しも加わって最初に観た時に比べ一層華やかになっている感じです。(写真1)

弓の会場では欧米の外国人が8割ほどもいて3年前とは大違いの多さに驚きました。
翌日12日に大学に行ってみると正面玄関に「東北大学御一行様歓迎」の英語の横断幕が掛かっており、中に入ると漢字で書いた垂れ幕が掛かっていました。
守衛さんに一言ことわって写真を撮らせてもらいました。(写真2)

実は、この垂れ幕は同僚の米澤さんの奥さんが依頼されて書いたものですが、阿部総長はこの垂れ幕を観て「モンゴルにもこのような立派な書家がおられるのですか?」と驚かれたと言うことです。
写真を撮りに来たついでに研究室に誰かいないかと思い守衛さんに聞いてみると「ナーダムだから誰もいない」との返事でした。
モンゴルではナーダムが終わると秋だと言うそうですが、ひっそりと静まり返った大学の構内は夏休みの最後の登校日のようなもの悲しい雰囲気を漂わせていました。
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佐藤 武久 (2002.7.20記)
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電子年賀 2020
謹んで新年のお慶びを申し上げます。2020
Шинэ жилийн мэнд хүргье! 2020
五勺の酒に 酔ってそうろう 喜寿の秋 (武久)
自家製どぶろくの甘酒割です。 ドブロク 2:1甘酒
喜寿の峠を越えました。次の米寿(八十八歳)の峠を目指します。
佐藤武久のブログ「日本・モンゴル往来日記 」
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佐藤武久、佐藤夏美 & 猫のチー坊(17歳)








