佐藤武久のブログ 「日本・モンゴル往来日記」 -170ページ目
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この実何の実?

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2008年12月24日


この実何の実、気になる実
見たこともない実ですから
見たこともない花が咲くでしょう


杉の木に絡まりついていた蔓性の草の実で、地元のお年よりも知らない実でした。
どなたか詳しい方 教えを乞う


参考資料(2009年2月25日追記)
初音ミクの「日立の樹」: http://www.youtube.com/watch?v=e4SY58hWoQs&feature=related

「パックス・モンゴリカ」 (1)チンギス・ハンの憲法(Ih Zasag)

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2008年12月27日記

「パックス・モンゴリカ」(1)チンギス・ハンの憲法(Ih Zasag)

マルチメディアCD-ROM「元気なモンゴル 2006年版」のメニュー、「歴史-モンゴル帝国」より抜粋

広大な帝国の統治機構を確立し、国家権力を強化し中央集権化する最初のステップとして、チンギス・ハーンは憲法(Ih Zasag)を発布しました。
この憲法は、牧夫を特定の貴族に配属させて、彼らが1つの部隊から別の部隊に移動するのを禁じました。
国家運営は、軍事的民主主義の原理に基礎を置いていました。
ハーンの宮廷では、毎日、指導者と特別に重要な賢者による会議が開かれました。
極端に重要な問題、例えば、新しいハーンの選挙や戦争と平和の問題が議論され、大クリルタイで決定されました。
法律に従って審議して、判決を下す責任を担う国家裁判官(zargach)のポストは、チンギス・ハーンの改革で導入された新制度のうちのひとつでした。
社会の軍事行政機構を法的に強化すると、チンギス・ハーンは、鉄の規律を持ち、最新の武器を装備した非常に強力な軍隊の創設へ向けて注力しました。
モンゴル帝国の兵器庫は、いろいろな目的の弓矢だけでなく、頑強な壁を破壊する強力な軍需品や投石器や放火装置のような高品質軍事器材も収納していました。
しかし、厳格な法律と軍事力は、チンギス・ハーンが統一国家の力を強化するために始めた唯一の手段ではありませんでした。

『帝国は馬に乗って獲得したけれども、国の運営は馬に乗ってはできない』という言葉通りにチンギス・ハーンは行動しました。
何にも増して重要なのは知識であり、教育でした。
征服された国の著名な学者と民間行政の経験豊かな官僚が、顧問や相談役として起用されました。
そして、チンギス・ハーンは彼の親戚や役人に読み書きを学ばせました。
明らかに、有能で経験豊かな人民は、国家行政に広く雇用されました。
例えば、ナイマン部族の役人であったタタトゥンガ(Tatatunga)、契丹人学者の耶律阿海(Yelyui Chu-tsai)は、チンギス・ハーンの宮廷に仕えました。

チンギス・ハーンが支配した社会のもう一つの際立った特徴は、その道徳でした。
窃盗と詐欺は、最も重大な犯罪的行為と考えられました。
1246年にモンゴルを訪問した一人のヨーロッパ人旅行者は次のように書いています。
『モンゴルには窃盗、喧嘩、取っ組み合いや殺人がない。彼らは互いに人なつっこく人に接し、口論になることは滅多にない。そして、強盗と窃盗を彼らは知らなかった』
ペルシャの歴史家ラシッド・アド・ディンによると、チンギス・ハーンは、次のように語ったといいます。
『私の権威に従った大草原地帯の人民の間では、窃盗、略奪と密通は、日常茶飯事であった。息子は父に従わなかった。若者は年寄りを尊敬しなかった。夫は妻を信用しなかった。妻は夫を無視した。金持ちは貧乏人を助けなかった。年若い者は目上の者を尊敬しなかった。このように、厚かましい違反行為と限りないわがままが至る所に蔓延していた。私は、こういうことに終止符を打って、彼らの間に法と秩序を確立した』

モンゴル人部族を一つの規則の下に統一し、中央集権化した国家が出現させたことは、モンゴルの歴史の中で大きな意義を持つものでした。
そして、それは新しい社会秩序の封建主義を持つ種族民制度を定着させ、種族の分裂に終止符を打ち、社会の生産力の発展、モンゴル国家の形成とその文化の生長を促しました。

チンギス・ハーンの憲法(ヤサ)

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2008.12.23 作成

私が2004年にCD-ROM[元気なモンゴル」の改定版の作業をしていた頃のノートにチンギス・ハーンのヤサ(憲法とか法令)についての次のようなメモがあります。
私が翻訳した原稿なのか、どなたかの著書(司馬遼太郎、堺屋太一、陳舜臣、杉山正明、岡田英弘、宮脇淳子、小長谷有紀、木村毅(つよし)、その他の諸氏、無断引用だったら御免なさい。)からの書き写しなのか分らなくなっているのですが、ここに公開させていただきます。

チンギス・ハーンのヤサ(Ih Zasag or the yasaq) 法令とか憲法

「行い正しい者、清潔な者を大事にせよ。
いかなる民族においても学問のある賢いものを大事にせよ。
互いに仲良くせよ。
食べている物を人と分かち合え。
盗みをするな。
姦淫をするな。
偽証をするな。
他人を裏切るな。
弱いものを助けよ。
あらゆる宗教を尊重し、どれにもひいきをするな。」

他にも「草原を耕すな」、「川の中で体を洗ったり洗濯をして水を汚すな」というものもあったように思います。

百匁柿

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2008.12.09 作成

めずらしく朝から晴天になりました。
いつもより時期が遅れてしまったけれど、11時頃から百匁柿を捥ぎに行きました。
ご覧のとおりの鈴なり状態です。
遠くに見える山が黒姫山です。
注) CW.二コルさんの長野の黒姫とは別の山です。黒姫山は私の知る限り新潟、長野方面には三つほどあります。
この背後のもう少し高いところに私の母方の祖父佐藤松風(本名松蔵)の墓がありました。
遺言によりその地に土葬にしたのだそうですが、おそらく無許可の違法行為だったのではとないかと従弟の茂さんが話していました。

高い木なので梯子に登り、命綱を体に巻いて屋根のペンキ塗りに使う2段伸縮のアルミ棒の先にペンキ塗りのローラの柄を付けて枝を揺すると面白いようにばらばらと落ちました。
落ちたものはネットで受けると傷が付かずに収穫できました。
ネットからはみ出したものも6日の夜に降った10セントほどの積雪のため軟着陸でつぶれませんでした。
熟柿になったものを食べながら作業をしたのでお昼は抜きで夕方4時半頃、辺りが薄暗くなるころ作業を終えました。
残っているものは雀に似た小鳥や尾長のような体形のきれいな鳴き声の小鳥が来て突いていました。
下に落ちたものは狸の餌になります。

収穫が遅かったため焼酎で処理しなくても十分甘くなっていました。
片いめのものは皮をむいてストーブの上で乾かして干し柿にする予定です。

それにしても、最近なぜ子供たちが柿を食べなくなったのか? 不思議です。
柿で連想すること:
柿本人麻呂、「人麻呂の暗号」、 梅原猛
柿右衛門
柿の種(元祖浪花屋よりも私は亀田製菓の方が好きです。特に夏はビールのおともにわさび味)
柿崎(柏崎の隣あたり)
あわてる乞食はもらいが少ない(私の上司が良く言っていた: この場合、急いで柿を取らなかったことのご利益)
柿食えば金がなるなり法隆寺 正岡子規(誤変換だけど敢えて訂正せず)

取った柿を従兄の冨二夫さんに届けたらお裾分けできのこをもらいました。
ヒラタケとかいう種類らしいが、きのこを取りながら私たちが柿を取っているのが山の上から見えたそうです。
山の名は天皇山と言います。
子供の頃、この山の団栗の木と木の間に枝を組んで棲家を作って遊んだことをすっかり忘れていました。
(EOF)

LEDによるイルミネーション

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2008.12.07 作成

Yahooオークションで入手したマルチカラーのLED(30素子)を畑にあるテムジン小屋の北面に取り付けました。
太陽電池で充電したECOバッテリの電圧をDC-ACコンバータで100ボルトの交流に変換して動作させています。
家庭の電源でテスト動作の時は華やかに点滅動作をしていたのですが、正弦波波形でないためか点滅しかかりという程度です。
ハートの形もまだ整えていません。
数日前には西の空に宵の明星が出て三日月とうまく組み合わさるとニコニコマークが出来たのだそうですが残念でした。
タイマーをセットして夕方5時に点灯、10時に消灯するように考えています。
直接12ボルト電源で動作させることも検討中です。

それにしても、昨年の暮れに仙台で見たイルミネーションは見事でした。

雪景色

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2008.12.07 作成

12月7日朝の坂道の登り口からの撮影です。
左の二本の大木は櫟(いちい)と高野槙という木だと思います。
日露戦争の出征記念に植えられたものだと村の古老から聞きました。
櫟は木偏に楽しいと書きますが別名でアララギとも言うそうです。
こんな葉をしています。(写真追加、2008.12.23)
正岡子規のアララギ派というのはこの言葉に由来しているようです。
アララギ派の歌人たち 
正岡子規
石原純
伊藤左千夫(馬酔木創刊)
鹿児島寿蔵
古泉千樫(アララギ退会)
五味保義
近藤芳美(未来創刊)
斎藤茂吉
佐藤佐太郎(歩道創刊)
島木赤彦(比牟呂創刊)
・・・・

私のテムジン小屋は前日突風の吹く中でブルーシートをかけてロープでぐるぐる巻きにしておいたので今朝は雪が滑り落ちて積もっていませんでした。
この調子で雪につぶされずに冬を無事越せそうです。

追記:農協の広告で見た「滑雪シート」という商品は私がいつも利用しているお店では扱っていませんでした。

太陽光利用プロジェクト

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2008.08.05 作成

モンゴルの田舎ではどのゲルにも太陽電池と直径1メートル位のパラボラアンテナが見られるようになりました。
「太陽光利用プロジェクト」と称する国の牧民援助計画で太陽電池とチャージコントローラ(写真参照)がセットで日本円で2万円くらい、パラボラアンテナとBSチューナーのセットが日本円で1万2千円くらいで正価の半額で買えるのだそうです。
チャージコントローラの出力はすべて12ボルトで端子が三つあり、そこから照明、テレビとラジオ、携帯電話の充電に使っています。テレビ受信機は別売りです。
そのため、電球もテレビも12ボルトで動作するものです。電球は多分蛍光灯ではなくLEDランプによるものだと思います。
ACの出力端子がないのでビデオの電池を充電するのに困りました。田舎を旅行するにはDC-ACコンバータが必携品です。
オブス県の場合、モンゴル人民革命党への支持が圧倒的に多いのだそうですがこのような牧民への支援政策が影響しているのだと思います。

八木山会モンゴル特別例会2007(ムービー)

八木山会モンゴル特別例会2007(スライドショー)

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