モンゴル非常事態宣言

昨日夕方5時半頃ゴロムト銀行に記帳などしてもらうためモンゴル人民革命党本部の前の通りを車で走ったけれども騒ぎらしきものはありませんでした。
アパートに帰ってボルギオというモンゴルビールの500mlの瓶を開けてNHKワールドの歌番組を聴くともなしにうつらうつらしていると10時半頃突然ホーギーから電話があり「今モンゴルのテレビで革命党本部のビルから火が出ているのが映っているから見て」と電話がありました。
その晩は、暴徒の様子やエンフバヤル大統領の非常事態宣言、野党党首の映像など12時近くまで見てから寝ました。
翌朝、4時半頃NHKワールドをつけるとニュース項目に「モンゴル非常事態宣言」とありました。
日本時間の8時15分の朝ドラが始まる前にアパートからNOKIAの携帯電話で新潟の夏美に国際電話を入れました。
夏美はまだニュースを見ていなかったのですが心配しないようにと話しました。
その後、オフィスに行くのにいつもは現場近くを歩いているのですが、バスで行くことにしました。
バスの窓から見ると中央郵便局の交差点に戦車?装甲車が一台出ていてものものしい雰囲気でした。
党本部の建物も煙で黒く焦げていました。
国立教育大学前(ウランバートルホテルの前)の交差点にも戦車が一台出ていましたが、車の交通規制があり街は平静を取り戻しているように見えました。
今日は街の中心部に出かける仕事は中止にしてオフィスで静かにしていました。
ホーギーに友達から何件も電話が入りましたが皆この話題で、「こんなことで恥ずかしい国ですね」とホーギーの嘆げくことしきりでした。
添付写真:4日の朝、貿易開発銀行前から佐藤武久撮影
ガチョールトの夏営地




ホーギーの弟が韓国で働いている兄貴の援助で韓国製のボロ車を買いました。
その車でホーギーとガチョールトのドグローさんの夏のキャンプ地に挨拶に行きました。
ミトガーは相変わらずまだ鼻水を垂らしていました。
お土産の持っていったアリョーナとミトガーのジーンズのサイズもちょうど良かったです。
夏の旅行計画について相談の結果、6日からフブスグル湖経由でオブス県まで約10日間の旅に出ることになりました。
Blue Sky Tower


昨日夕刻無事モンゴルに到着しました。
初日はフラワーホテルに泊まっています。
ホテルの部屋でインターネットが使えます。
今朝7時頃散歩して撮ったホテルに登る坂道で見る街の中心部の風景です。
半円形の建物は今年10月完成予定のBlue Sky Towerというビルで下がオフィスで上階がマンションだそうです。
中央の四角いビルがシャングリラという豪華ホテルで、一泊三万円とか。
その右手の方がJICAの入っているビルのようです。
今日はモンゴルの総選挙の日だそうです。
追伸:オペラ劇場の前から移したBlue Sky Towerの写真を添付します
ご案内
しばらくの間
ホームページは「モンゴル高原から送るEメール」 http://www.geocities.jp/sato032/
ブログは「日本・モンゴル往来日記」 http://blogs.yahoo.co.jp/jkchp386/47657275.html
をご覧下さい。
ハンサム★スーツ 「洋服の青山」タイアップ



一昨年の春、群馬の自宅に一週間ほど過ごして柏崎に戻ったら思いもかけず親戚の不幸があった。
喪服は持ってきていないし、仕方がないので、「洋服の青山」で喪服を買った。
去年の暮れ、新潟産業大学の図書館に寄ったら新刊で下川裕治著「日本を降りる若者たち (講談社現代新新書)」(写真1)という本があったので借りてきて読んだ。タイのバンコックで暮らす「外こもり」の若者たちが紹介されていた。
その後、十日町のシネマパラダイス http://www.t-cinepara.com/ で映画「闇の子供たち」(写真2)を見た。
これもタイを舞台にした内蔵移植にからむ違法行為を扱ったシリアスなものだった。
年が明けて映画館で見た最初の映画は「ハンサム★スーツ」(写真3)という楽しい映画で何度か思わず声を上げて笑ってしまった。
テーマ曲は渡辺美里の「My Revolution」だった。http://www.sonymusic.co.jp/Music/Arch/ES/MisatoWatanabe/ESDB-3290/
「正月はこういう映画がいいですね」と終って立ち上がったとき一緒に見ていた人が声をかけてくれた。
こんな映画を私の妻も含め四人しか見ていないのももったいないと言うか贅沢と言うか、これでこの映画
館を経営して行けるのだろうかと人ごとながら心配になってくる。
「洋服の青山」のホームページ http://www.y-aoyama.jp/products/index.html を見たら冗談ではなく「ハンサムスーツ」という商品が載っていた。
もてたい人は試してみたら?
私は当面喪服だけあれば事足りているのでご遠慮申し上げる。
頭の中は無限ループ

もう二十年以上昔のことですが、浩宮皇太子殿下がビオラでシューベルトの「死と乙女」を弾かれるのをテレビで拝見しました。(添付写真は2007年のモンゴルのUB POST紙 の記事より転載)
全曲を聴いてみたくてCDを買い求めて数日間朝の朝食の時間にステレオで鳴らしていました。
その頃次男は中学校の一年生でしたが、学校に行っても「死と乙女」の第二楽章のメロディが頭の中でぐ
るぐる回って勉強に集中できなかったそうです。
そのことを作文に書いたところ、大学を出たばかりの担任の女姓教師が「お父様はクラシックをお好きで
いらっしゃるのかしら・・・・・」とコメントを書いてくれてそれが我が家では夕食時の話題の種になりました。
私にも昔、「六甲のおいしい水」のコマーシャルソングが頭でぐるぐる回っていたことがあります。
最近私の頭にぐるぐる回っているコマーシャルソングは♪おこげサックサクー♪です。
夜になって雪


夕方から降り出した霙が夜になって雪に変わりました。
今「デルス・ウザーラ」を見ていますが、時々ドスンドスン屋根から「なぜ」がつきます。
一週間前の土曜日(11月29日)は快晴で、町から実家に来ていた二歳年上の隆さんが杉林の手入れに行
くというので同行しました。
隆さんの杉林の近くに親父が植えた杉があるというのです。
40年以上昔に親父が植えているのを見たというので多分わたしが高校生か大学にいた頃と思います。
添付写真の桜もその時親父が植えたものだそうです。(添付写真1)
二年前の春、山歩きの途中でそんなことを知らずにこの桜の木の下で休んで花見をしました。
小学校にあがる前だと思いますが親父に連れられて春木山(その年の冬に焚くコナラなどの雑木を伐採し
て薪にする作業をこのように呼びます)に連れて行ってもらったことがあります。
遠くに残雪の雪山が春の陽光の中に輝いていました。
「あの山の麓に東京がある」と親父は嘘を教えたのですがわたしは電車の音がチンチンと聞こえてくるような気がしました。
あの子供の頃見たと同じ風景の場所に出会いました。
遠くの山端に白雲か雪山かわからいほどに白い縁取りがありました。(添付写真2)
「あれは八海山です」と隆さんが教えてくれました。
この場所は見通しが良いのでNiokiaの携帯電話が通じました。
この冬が終って春になったら鉈を持って二人で山道の整備をしようと約束をして別れました。
小学生に贈るモンゴル糞尿譚(ムービー)
母校の柏崎市立南鯖石小学校(当時は刈羽郡南鯖石村村立南鯖石小学校)でモンゴルの自然と文化について約一時間の授業を依頼されました。生徒数は当時一学年で約150名でしたが今は全学年で53名だそうです。
2008年12月16日(火)
2008年12月16日(火)
呼び板




従兄の家の玄関に啄木鳥の形の飾り物が付いたので何かと思ったら呼びリンの代わりに使うのだそうだ。
指で尻尾を押すとばねの力で嘴が木を叩くという仕掛けだ。
これが結構大きな音がして家の奥まで聞こえるそうだ。
そこで私にもアイデアがひらめいた。
我が家では子供たちが理科の授業で使ったインターホンやベルの教材を捨てずに取っておいて、それを玄関において呼び鈴として使っている(写真1)。
ところが、母は耳が遠くなっているのでテレビの音が大きいと聞き漏らすらしいし、電池が切れていて宅配便のお兄さんが留守だとあきらめて帰ったりすることが二度三度あった。
建築廃材に混じっていた杉の木の輪切りを流用したこの仕掛け(写真2)。
板厚が暑いほど高い音がし、台所の奥にいても良く聞こえる。
一般に呼び板と呼ぶようだ。
検索するとこんな製品もあるにはある(写真3)。
「渡し場の船よび板」なんて風情のある風景も見つかった(写真4)。
今でも上州の利根川沿いには残っているのかな?
それとも「おーい、船方さーん、船方さーんよー」などと三波春夫のように大声で叫んだのかな。
それにしても何にでも安易に電気を使うのは考えものだ。
地元新潟では地震の後、電気を使わない石油ストーブがよく売れるそうだ。
藤村靖之さん http://www.flintstone.co.jp/20060924.html
の提唱する「非電化元年」以来今年で何年目だろう。
モンゴルでも活躍されています。
ダダル紀行2003 韃靼海峡

2003年の初秋にチンギスハーンの生れ故郷ダダル村に旅行した帰り道、オノン河のほとりで夕食を取りました。
女性陣が食事の用意をしている間、ルアーで釣りをしました。
ところが、糸の結び方が悪かったので15センチほどのルアーが糸を離れて川面にぷかぷか浮かんで流れ出しました。岸のほうに寄って来るように祈るような気持ちでゆったりした流れを追い続けていたのですがついに手に届くところには流れてきませんでした。
私の次男坊の康久が手作りした貴重なルアーだったので川下に見えなくなるまで名残を惜しんで見送りました。
もし、無事に流れ続ければ、やがてアムール河に合流し、最後は韃靼(だったん)海峡(間宮海峡の旧称)に流れ出るはずです。おそらく二ヶ月くらいかかると思います。
テレビで3000キロも旅をする蝶の話をしています。
昔読んだこんな詩を思い出しています。
「てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた」
注:「てふてふ」は旧仮名使いで「蝶」のことです。韃靼はモンゴル族の総
