
こんな本を読みました 川内康範 「生涯助っ人 回想録」
2012年8月21(火)日記

2012年8月21(火)日

こんな本を読みました 川内康範 「生涯助っ人 回想録」
P201
第11章 田中角栄はなぜ国賊とされたか
第11章 田中角栄はなぜ国賊とされたか
問わず語りに、私が忖度した田中角栄の考えは、こんな会話の記録として残っている。
「角さん、西郷隆盛のどこが好きかね?」
「人間くささだ。飾りっ気がない。生きているときも西郷、死んでも西郷、あの私心のなさには負けるな。自然にも逆らわなかった。自然に添って生きたな」
「角さん、西郷隆盛のどこが好きかね?」
「人間くささだ。飾りっ気がない。生きているときも西郷、死んでも西郷、あの私心のなさには負けるな。自然にも逆らわなかった。自然に添って生きたな」
p282
人生の甘皮の下にひそむ真実、大切なもの、光るもの、どす黒いもの、ドキリとさせるものを、人に先んじて堀り出し、つきつけてくれる人間を詩人という。俗徒と自称しているが川内康範君は詩人であった。
(林房雄)
(林房雄)
P276
(中河与一)先生の代表作「天の夕顔」を愛読してご縁ができたのだけれど、別に紹介者があったわけではない。
「文学は、学閥や門閥には関係がないですよ。自分の自由な心で書いたらいい。下手に関係を持つとかえってわずらわしいでしょう」
中河先生はそんなことを私に言って励ましてくれた。
・・・
その中でも、太宰治氏は中河先生の仕事ぶりを高く評価していたため、新しいもっと勇気のある雑誌をやろうと私にもちかけてきた。
(中河与一)先生の代表作「天の夕顔」を愛読してご縁ができたのだけれど、別に紹介者があったわけではない。
「文学は、学閥や門閥には関係がないですよ。自分の自由な心で書いたらいい。下手に関係を持つとかえってわずらわしいでしょう」
中河先生はそんなことを私に言って励ましてくれた。
・・・
その中でも、太宰治氏は中河先生の仕事ぶりを高く評価していたため、新しいもっと勇気のある雑誌をやろうと私にもちかけてきた。
P289
戦争中、さんざん煽っておいて、後で変身したことをおれは見ているんだもの。戦後、いわゆる進歩的文化人の作家たちに、無頼派の川内に書かせるんだったら下りると、連名で文芸雑誌に申し入れられたこともある。ああ、いいよ、俺は書かないよと。
学閥も関係ないから、雑誌の方に行ったんだろうね。全部自力だから。池島信平さん(文芸春秋社)にうちの雑誌で書けよと言われたけど、俺は『月刊明星』があるから、いいよって言ったんだ。(笑)
戦争中、さんざん煽っておいて、後で変身したことをおれは見ているんだもの。戦後、いわゆる進歩的文化人の作家たちに、無頼派の川内に書かせるんだったら下りると、連名で文芸雑誌に申し入れられたこともある。ああ、いいよ、俺は書かないよと。
学閥も関係ないから、雑誌の方に行ったんだろうね。全部自力だから。池島信平さん(文芸春秋社)にうちの雑誌で書けよと言われたけど、俺は『月刊明星』があるから、いいよって言ったんだ。(笑)
P315
僕と歌手との縁というものは不思議でね。自分で歌い手を見つけ出すか、後はいろんな事情で僕のところに来てしまった歌手なんです。別に呼び寄せているつもりはないんだが、これがわけありの歌手ばっかり。(笑)
なぜか不遇の立場にある歌手ばかりが僕のところに来てしまうわけだ。その時売れているスターの仕事を引き受けるということはしな
い。それなら誰にでもできることだし、僕には興味がないからね。
僕と歌手との縁というものは不思議でね。自分で歌い手を見つけ出すか、後はいろんな事情で僕のところに来てしまった歌手なんです。別に呼び寄せているつもりはないんだが、これがわけありの歌手ばっかり。(笑)
なぜか不遇の立場にある歌手ばかりが僕のところに来てしまうわけだ。その時売れているスターの仕事を引き受けるということはしな
い。それなら誰にでもできることだし、僕には興味がないからね。
・・・松尾和子を使いたいと言ったがだれも知らない・・・
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モンゴル国際マラソン大会 第16回 2012年
2012年8月3日記
モンゴル国際マラソン大会 第16回 2012年
2012年7月22日 ソンジンボルドック大草原 で撮影
開会式での清水大使の挨拶はモンゴル語と日本語による一人二役でした。


マラソン会場の周辺で出会った牧民の少年
モンゴル語の教材
東京外国語大学(東外大)が国の補助金を受けて開発した日本
語ーモンゴル語の動画による会話集で無料で利用できます。
モンゴル語と日本語の学習に良い教材です。
モンゴル科学技術大学日本語学科のガナー先生に紹介しておいたのですがどれくらい学生に知られているのか疑問です。
ガナー先生はコンピュータがあまり得意でないようです
レーニン
2012年7月20日(金)記
レーニン
1999年の夏に初めてモンゴルを訪問したとき、ウランバートルホテルの前の公園にレーニン像が立っているのを見て驚いた。(添付写真1)
民主化された後、スターリン像などは撤去されたと聞いていた。
「なぜレーニン像だけは残っているのか」と尋ねたら「レーニンはモンゴルの近代化に功績があったから」との説明を受けた。
マルチメディアCD-ROM「元気なモンゴル」の歴史編にモンゴル・ソビエト協定について次のような記述がある。
「条約を調印する日にモンゴル代表派遣団は、レーニンに迎えられました。レーニンはモンゴルの人民革命を高く評価・賞賛し・・・」
(添付写真:2)
レーニンには4分の1モンゴル人の血が流れているという話を聞いたことがある。
この夏テレルジの亀石の傍の土産物屋を覗いていたら、スターリンとレーニンの小さな胸像があった。(添付写真3)
日焼けで赤黒い顔をした店のおじさんにレーニンの話を持ちかけるとレーニンがモンゴルの血を引いていること得意そうに話した。
レーニンがモンゴルに対してかなり好意的に接したのはこのような血縁があったことも一因かもしれない。



モンゴルのウスチン(床屋)
2012年7月17日(火)記
モンゴルのウスチン(床屋)
アパートの近くにあるウスチンで散髪をしてもらった。
髭はかまわなくて髪だけ12mm位にカットしてもらうことで料金は6,000トゥグルク(日本円で400円ほど)
2007年に別のウスチンでは1,000トゥグルク(当時のレイトでは100円くらい)でやってもらった。
6倍に値上がりしていると言えばひどく高そうだが昔が安過ぎたのだと思う。
「ボルン、ボルン(結構、結構)」といっても鋏を止めず、そんなに丁寧にしなくても良いのにと思えるほどに仕上げてくれた。
最後は白い毛の刷毛で切り落とした髪を払うだけで、日本のように頭を洗うということはしない。
関連記事:モンゴルのウスチン(床屋)2007年

モンゴルで見たロシアのサーカス 2002年撮影
2012年7月16日(月)記
モンゴルで見たロシアのサーカス 2002年撮影(再掲載)
モンゴルロシア国交樹立80周年の記念イベント?
その年日本モンゴルは国交樹立30周年
モンゴルで見たロシアのサーカス
モンゴルは冷たい夏、日本は猛暑
2011年7月16日(月)記
モンゴルは冷たい夏、日本は猛暑38度
今朝のモンゴルの今週の天気予報では週末まで曇りとにわか雨のからっとしない天気が続くようです。
日本は「海の日」で熊谷あたりは38度の猛暑になっているようです。
館林も同じような暑さか?

モンゴルの現地最新情報誌 WORLD WALKER モンゴル 2012年春号
2012年7月16日(月)記
モンゴルの現地最新情報誌 WORLD WALKER モンゴル 2012年春号
印刷した無料の情報誌で、フラワーホテルやサクラベーカリーで毎年入手して重宝していました。
今年の夏はサクラベーカリーが改装閉店でまだ見ていなかったのですが、電子ブックとしても公開されていることがわかりました。
モンゴルで見たロシアの踊り 2002年撮影
2012年7月16日(月)記
モンゴルで見たロシアの踊り 2002年撮影
今年は日本・モンゴル国交樹立40周年の年でさまざまな記念イベントが行われています。
同じようにモンゴル・ロシアも国交樹立90周年の年になります。
このロシアの踊りは10年前の2002年に行われたロシアの国交樹立80周年記念イベントのひとつです。
関連動画:
モンゴルのバレエ ジゼル(Giselle) 2012年7月1日撮影
2012年7月15日(日)記
モンゴルのバレエ ジゼル(Giselle) 2012年7月1日撮影
この夏オペラ劇場の最後の公演はバレエ「ジゼル」でした。
ナーダム目当ての観光客は観られないのが残念です。
あらすじはこちら。


