佐藤武久のブログ 「日本・モンゴル往来日記」 -105ページ目

この夏は晴れが続かない

2012年7月14日(土)記

7月2日頃から曇りがちの日が多く午後の二時か三時頃に突然土砂降りの雨が降ることがしばしばです。
にわか雨で日本の梅雨のように降り続くことはないのですが、排水施設が不備なので、道路のあちこちに水溜りができ、外を出歩くときは車の跳ねを避けたり、深みに靴で突っ込んだりしないように注意が必要です。
13日も朝は快晴を思わせる天気だったのに、スフバートル広場で行われている民族衣装によるファッションショーの最中に雨が降り出しました。
外国の観光客の皆さんも心得ていて用意周到にレインコートや傘を携えて出歩いているようです。


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モンゴルで視る日本のテレビ番組

2012年7月14日(土)記
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モンゴルで視る日本のテレビ番組

アパートのケーブルTVは最近NHKの放送が配信されなくなって、直接NHK番組を見ることはできませんが、UBSというモンゴルのテレビ局が大相撲の放送時間に合わせてモンゴル語の解説つきで放送しています。
パソコンのKeyHoleテレビを開けば画質と音質を我慢すれば日本と変わらずに地デジ放送を見ることができます。
朝ドラの「梅ちゃん先生」も日本と同じ時間に見れます。但し時差があるのモンゴル時間では9時からとなります。
もし、見逃した時は録画していなくても、パンドラテレビにアップロードされているので好きな時間に見ることができます。

こんな本をよみました

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雨の日はこんな本を読みました。

モンゴルの密集戦法がそれまでの日本の儀式化された戦いを変えさせたという話

以下は司馬遼太郎「この国のkたち(三) 71甲冑(下)より抜粋

文永十一年(一二七四年)十月二十日、博多湾の浜辺に蒙古大軍が上陸し、九州武士団が迎え撃った。
 日本側の総大将は29歳の少弐景資であった。彼は型通り、手の回りのもの十二、三人だけを率い、しずしずと進み出、名乗りあげ、敵の名だたる一騎が進み出てくるのを待った。
前線の各方面で、日本側がこの形式をとるのとるのだが、先方は無論応じなかった。それどころか進み出た騎馬武者を大勢で取り囲んで押しつぶした。
蒙古軍は密集戦法であった。進退の時はやかましく太鼓をたたき、銅鑼を打ち、あまつさえ鉄砲という大型の手榴弾を投げ、轟音をあげて破裂させた。ユーラシア大陸の思想が、博多湾岸に、戦法の形をとってあらわれたのである。
この経験が、その後、日本の戦法を変化させた。
儀式は滅んだ。またユーラシアの密集隊形というほどでもないにせよ足軽という歩卒が重視され、また歩騎の組み合わせによる集団運用が普通になった。


モリンホール(馬頭琴)演奏 2011年6月16日撮影


2012年7月14日(土)記

モリンホール(馬頭琴)演奏 2011年6月16日撮影

モリンホール(馬頭琴)を習い始めて丁度一年
日本の代表的な歌として「浜辺の歌」を勧めたけれども先生は難しいから「赤とんぼ」から練習するように言われたそうです。
今年の上達振りはまだ聞かせてもらっていないけれど背丈だけは10センチくらい伸びた感じ。

雪上の相撲大会 2002年1月


2012年7月14日(土)記

JICAのシニア海外ボランティアとしてモンゴル科学技術大学(MUST)に赴任していた2002年の「先生の日」にテレルジで行われた雪上の相撲大会(撮影は広瀬哲子嬢)
 この後アルヒ(モンゴルウォッカ)の回し飲みをしている間に椅子から転げ落ちて酔い潰れたようです。
わが人生二度目の失態

フブスグル湖畔の相撲大会 2002年夏

2012年7月14日(土)記
 
遠い昔になりました。
2002年夏フブスグル湖に旅行した際に地元のナーダムに飛び入りで参加した時の動画YouTubeにアップロードしました。当時はまだYouTubeのような動画投稿サイトはなく写真中心でした。
関連ブログはこちら
 

 

ナーダムの開会式 2011年 (Mongolia Andy's Video Diary


建仁関東暴風雨、高潮災害(1201年)

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2012年4月21(土)日記

建仁関東暴風雨、高潮災害(1201年)

小清水集落に伝わる「各氏歴代史」と「各氏家記録 佐藤家巻」によると
金子三左衛門 佐藤源作 東側の山の辺に暮らして居り小清水最古の住民である。
一、佐藤源作とは往古より之有候処建仁二年(1202)源作夫婦の嫡死仕り空家となりしを何国の浪人か夫婦男の子一人連れて来たり
当社へ頼み入りこの源作の跡を建立 名は佐藤源左衛門と言へ源氏の落人と言へ伝ふ也
之即ち佐藤家の先祖也

この一年前の建仁元年(1201年)に鎌倉時代の事跡を記した日記『吾妻鏡』八月十一日の条に次のような記述がある。原文は添付写真

○建仁関東暴風雨、高潮災害(811年前)
 1201年9月16日、28日(建仁元年8月11日、23日)
「甚雨。午剋(刻)大風。郷里穿屋。江浦覆船」
午前中から降り続いた激しい雨に加え、昼過ぎからは強風が吹き荒れ、村里では風や洪水によって家々が倒壊した。沿岸部では船の転覆が相次いでいる。とあり、関東地方が大型台風に襲われたことが記されている。
 この時、鎌倉では
「鶴丘寺廻廊。八足門已下。所々仏閣塔廟転倒。凡万家一宇無全所」
鶴ヶ岡八幡宮寺の廻廊や八足門をはじめ、いたる所の仏閣や塔、廟などが倒壊し、市中に無事な家屋など万に一つも無いという状況になっていた。
 また
「下総国葛西郡(東京都江戸川区、葛飾区)海辺。潮牽人屋。千余人漂没」
現在の東京湾北部沿岸部では高潮が押し寄せて、家屋と共に千余人の人が流された。と記録している。
 それに加え12日後の23日には、またも
「甚雨大風。如去十一日」
11日の時のように暴風雨が吹き荒れ、
「両度暴風。於国土。損亡五穀。於庫倉不納一物」
この二度の暴風雨によって稲作などに大きな被害があり、米倉には一物の蓄えもなく、人びとに飢饉の不安が押し寄せているという状況になった。
(出典:「吾妻鏡・第11巻」、講談社刊「日本全史」、池田正一郎編「日本災変通史」)
 
前後の年表
1185年(文治元年)  壇ノ浦で平家滅亡
1186年(文治二年)  西行 鎌倉で頼朝に面談 http://www.st.rim.or.jp/~success/saigyou3.html
1189年(文治5年)義経衣川で自刃(31歳)
1190年(建久元年)  西行 入寂 享年73
1192年(建久3年)頼朝征夷大将軍に任命 鎌倉幕府成立
1199年2月9日(建久10年1月13日) 頼朝死没 享年53(満51歳没)
当時の日本の推定人口:750万人 

鶴竜関のお父さん

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2012年4月16(月)日記
 
鶴竜関のお父さん
 
吾は大相撲については連れ合いに解説してもらってテレビを見ている程度の知識しかないが、こんどの大阪場所で鶴竜に優勝の可能性が出てきた頃からにわかに興味を持ち出してテレビ観戦をするようになった。
その中で鶴竜のお父さんがモンゴル国立工業大学の教授だという解説をしばしば耳にした。
モンゴルの国立大学にそんな呼ばれ方をする大学はないはずだがと不審に思い調べたところ、次のことが判明した。
「鶴竜関の父親は名をマンガラジャラブ(Ch.Mangaljalav )さん(54)と言いモンゴル国立科学技術大学(Mongolian University of Science and Technology - MUST)教授で現在電力学部の部長」
 
情報源は同大学の国際交流課Batbaatar氏と通訳A.Khorolsuren
Batbaatar: Kaukaryuuno otousan ga denryoku Gakubuno buchou san desu.
 
参考資料
 
モンゴル国立科学技術大学ホームページ(英文)
 
鶴竜のお父さんが書いたと思われる研究論文
 
第4回 モンゴル科学技術大学の第一印象 (2001/11/26記)
 
第48回 わが民族の将来を身籠る大学(2002/ 12/7記)
こちらに移動しました
 

 

モンゴル国際マラソン大会

2012年4月16(月)記

このYoTubu動画は2010年の第14回大会のもので私が2008年?に見に行ったときと会場が変わってソンジンボルドック大草原になっています。 

以下は今年の第16回大会の参加募集の案内をmongolia-MLより転載したものです。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「モンゴル国際マラソン大会」のお知らせ

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇



1997年より始まった日本・モンゴル友好親善のための草原マラソン大会は、

おかげさまで今夏「第16回・日本モンゴル外交樹立40周年記念大会」を迎えま

す。今年も首都ウランバートル市とモンゴル陸上競技連盟との共同開催となり、

大会は内外に向け、より大きくなって参りました。

 日本側のモンゴル国際マラソン実行委員会(代表:藤原達一)では営利を求めず

有志がボランティアで大会成功のために活動を支えてきました。国際大会としては

モンゴルで最も歴史が古く世界で唯一の「草原を走る国際マラソン大会」として、

そのユニークさゆえに人気を集めています。

 毎年、より多くの方に参加していただけるよう、沢山の種目をご用意し子供から

大人、お年寄り誰でも走れる楽しい大会を予定しています。ご家族、ご友人お誘い

の上ふるってお申し込み下さいますよう、お願い致します。

 

 ★ハーフマラソン優勝者には馬一頭プレゼント!

 ★日本大使館より優勝カップ授与

 ★ウランバートル市より「ウランバートル市長杯」授与

  各種目別に男女6位入賞者まで賞品と入賞カップが授与されますのでふるって

ご参加下さい。



■ 2012年マラソン大会開催要綱

開催日時:2012年7月22日(日)午後2時スタート(現地は夜10時まで明るい)。

     開会式は当日の午後1時から首都ウランバートルから車で1時間30分

のところにある「ソンジンボルドック大草原」で行います。

開催場所:ソンジンボルドック大草原(アスファルトの無い一面が大草原)

参加種目:1キロ、3キロ、5キロ、10キロ、ハーフの5種目

参加資格:健康な方ならどなたでも。万一の事故の責任は負いかねます。

大会参加料:10,000円(会場までの交通費、参加証、記念Tシャツ、パーティー

費用込み)

      ★モンゴル在住者は別途の規定で行います。



■ お問合せ・お申し込み(募集締め切りは2012年6月25日)

ツアーでのご参加を受付中!

現地マラソン事務局Eメール:kon-aya@hotmail.com <mailto:kon-aya@hotmail.com
(日本語でどうぞ> (日本語でどうぞ)

マラソン事務局ホームページ:geocities.jp/monmara315

ツアー参加者のお問い合わせ

 トラベルあさひエージェンシー、担当:近(こん)

  ホームページはtravelasahi.com 

 TEL: 06-6941-2266、FAX: 06-6941-2290