K-165kgトーナメントに出場する8選手を紹介していくシリーズ。
本買ってくれ、って頼んでいるのに1冊しか買ってくれた人がいないので先に書いてやるぜ。
結果はあとからついてくるんじゃないかってな。へへっ。

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【まさか、といっては寺崎直樹さんに失礼だが、まさかの敗北を喫したHIROYAさん】

HIROYAはきっと悩んでいる。
負けた自分が果たしてK-1の代表としてトーナメントに出場してもいいのかどうか。

HIROYAは、7月のKrushの初防衛戦において、寺崎直樹相手にまさかの1ラウンドKO負けを喫した。
やや偏った作りの煽りVの盛り上げもあり、Krush史上に残るアップセットに場内は狂乱していた。

HIROYAは……呆然としていた。

HIROYAと初めて会話したのは2007年の4月。
私がアンディ・サワーと対戦し、HIROYAは天才中学生としてデビューした次の戦いだった。
あの中学生だったHIROYAも成人した。
そりゃ私も30過ぎるわけだ。
時間は無情にも刻一刻と積み重ねていく。

私は、HIROYAは旧K-1が終わったとき、キックボクシングを辞めてしまうんじゃないか、と思っていた。
というのも、中学生のときのデビュー戦で、日本トーナメントを連覇した私よりも遥かに大きい扱いでメディアに取り上げられ、また会場も1万人規模の大きなところでの大会だった。
地上波放送もなく、会場も数千人規模に縮小される中、あまりにも華やかな舞台を最初から経験したHIROYAには、今の格闘技暗黒時代は耐えられないのではないか、そう思っていたからだ。

だがしかし、HIROYAは戦い続けた。
天敵・野杁正明には3度敗れたが3回目にはほぼ互角の勝負を繰り広げたという(見ていないから聞いた話だ)。
勝ったり負けたりを繰り返しながら、踏ん張って戦い続けた。
そしてとうとうKrushのタイトルを奪取することに成功したのである。

しかしHIROYAは、冒頭でも話したように寺崎直樹に「まさか」のKO負けを喫してしまう。
だから本来K-1の代表に選ばれるのは、確かに現王者の寺崎直樹なのかもしれない。
だが、世間的な知名度ではHIROYAの方が圧倒的にある。
K-1は興行だ。
客寄せパンダがいるのだ。

HIROYAよ、今の君は客寄せパンダだ。
だが、それがどうした。
知名度も実力と同じだ。
自分がこれまで築き上げてきた努力の結晶じゃないか。
胸を張れ、自信を持て。
そして、怒れ。

怒った客寄せパンダは熊のように獰猛である。

11月3日は覚悟を決めたHIROYAが見られるはすだ。


明るく生こまい
佐藤嘉洋
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