昨日午後、西宮アミティホールにて元西宮市長馬場順三さんのお別れの会があり参列した。
50年以上にわたり西宮市職員として、最後の8年間は市長として奮闘された方だ。
今から29年前に日本共産党の市会議員となった私は、当時の市長を支える助役として威厳をもち、市行政推進の責任者として存在しておられたことを改めて思い出した。
昨日は井戸兵庫県知事と、馬場順三市長を支えて来られた小林元助役がお別れの言葉を述べられた。
お二人とも、半世紀にもわたった地方行政の推進役を立派に果たされた馬場さん、阪神淡路大震災時には、文字通り市のトップとして復旧・復興の先頭にたった馬場さんを評価されていた。
日本共産党議員としての私と馬場さんとは立場が違っていたけれど、尊敬できる人だった。
議員になったばかりの私が、阪神電鉄の保線基地建設(川西町)で、線路南の市道を迂回させる計画見直しを本会議でt取り上げたことを思い出す。
芦屋市との市境での計画で「迂回により計画地際の西宮市民が陸の孤島に残される。まっすぐの現道を残せ」と迫った。
これに助役だった馬場さんが答弁に立ち「芦屋には抜けられるから、問題ない」と。
私は「該当される方々は、芦屋にではなく西宮に税金を納める西宮市民だ」と批判。
今から思えば生意気なことを本会議で言ったものだった。
しかし、その後迂回計画は見直され、保線基地はハーフアンダーとなってまっすぐな現道が残された。
相手がだれであろうと、真摯に向き合って論議する・・・馬場さんはそんな方だった。
小林元助役の「ことば」の中で、市長退任後、奥さんとご一緒に旅行を楽しんで、スイスアルプスまでも楽しまれたとのこと。
なんだかほっとした瞬間だった。
「住民のために!」と、立場の違いはあっても取り組まれた馬場さん、お疲れ様でした。