昨日、五木寛之著の「嫌老社会を超えて」を買ってきて、一気に読んだ。
なんだか共感できないなぁ。
「嫌老」から「賢老」への道を探る!とあるが。
日本は急激な超高齢化社会を迎え、高齢者への年金支給や高額医療費等の支出で、そのツケが若い世代に回されている。
そしてその若い世代は、自身が高齢期に入ったときに年金も支給されないのではないか?との不安がつきまとう。
「年寄りはよい年金を受け取り、優雅な生活でうらやましい」という気持ちが、高齢者を疎ましく思うようになって、世代間対立が進むという。
そうならないように、一定の所得のある高齢者は「年金受け取りを辞退」したり、寝たきりになったときには延命医療を辞退する・・・・と続く。
私自身も高齢者の仲間入りをしているが、読んでいてなんだかさみしい。
もちろん著者は、老人の中での所得格差が拡大していることも指摘しているが。
若い世代が、なぜ将来に希望が持てなくなっているのか?
老人世代が、なぜ社会保障を自ら辞退しなければならないか?
私の周りには辞退どころか、今の生活が維持できない経済的身体的問題を抱えた人がワンサカおられる。
なぜこんな社会になったか・・・・という観点がないことが気になって仕方がない。
軍事費にとてつもない金を出し、大企業には減税の大盤振る舞い。
庶民には情け容赦のない消費税の導入。
国には国民の暮らしを守る金がないわけではない。
使い方の根本が間違っているから、嫌老などという自虐的な発想が生まれるのではないだろうか?
私の読み方が狭いのか浅いのかわからないけれど、すっきりしないのだ。